エピローグ
第四章エピローグ
雪幻桃はどうなったのか……
◆颯汰視点◆
深夜の焦土から救い出された一本の枝は、三十センチほど。
黒い煤の匂いを纏いながら、それでも確かに生きていた。
あの夜から数日後――颯汰はその枝を、柳研究室の温室へ運び込んでいた。
透明なガラス越しに、冬の光が静かに射し込む。
温室の空気は外より少しだけ暖かく、湿り気を帯び、どこか呼吸をしているように感じられた。
小さな鉢に、慎重に、丁寧に枝を挿す。
水を含んだ土は柔らかかった。
「……なあ、フウ。こんなんで、本当に生きてくれるのかな」
胸の奥には、微かな怖さがあった。
もしここで、枝が完全に死んでしまったら――。
あの夜、きなこが命がけで守った想いが、消えてしまう気がしていた。
だが、フウは肩に乗ったまま、ぱたぱたと羽衣を揺らした。
「大丈夫。命は簡単には諦めないよ。それに……この子はちゃんと颯汰に返事してる」
「返事って……」
「ほら、耳を澄まして」
颯汰はじっと枝を見つめた。
細い木肌はまだ傷だらけで、焼け焦げが少しだけ、黒く残っている。
それでも――。
たしかに、微かな脈動を感じた気がした。
水が染み込むたび、枝が呼吸をしているような、生き物のような温かさ。
その瞬間、耳の奥で、柔らかな声が響いた感じだった。
――ありがとう。
幻でも、思い込みでもよかった。
颯汰は息をのみ、ゆっくり笑った。
「……生きてるんだな。お前、まだ……ここにいるんだな」
その表情を見て、フウはくすりと笑った。
「もう颯汰は雪幻桃のお父さんだね」
「……誰が父親だ、バカ言うな」
顔が少し熱くなる。
だが、否定しきれない。
目の前には、本当に命の重みがあった。
そのとき、温室の扉が静かに開く。
「良い顔をしていますね、桃くん」
柳教授だ。
柔らかな眼差しを向けながら、枝の鉢を覗き込む。
「枝は驚くほど強い。根さえ出れば、雪幻桃はまた息を吹き返すでしょう」
「……はい。絶対、育てます」
その言葉に、教授はふっと微笑んだ。
「桃くんは、立派な雪幻桃の守り人になりましたね。いえ――こう呼ぶべきでしょう『花守り』と」
颯汰の胸が、不思議な熱で満たされる。
花守り。
それは、ただ木を育てる役割ではない。
命を繋ぐ者。
声を失くした花たちの代わりに、未来へ橋をかける者。
颯汰の先祖がそうであったように。
自分なんかが――そう思う気持ちは、もうなかった。
「……俺、やります。農園も、大学の研究も、全部。逃げたくて悩むんじゃなくて……繋ぐために悩みたいんです」
教授は頷き、フウは満足げに微笑み、温室の空気がふっと明るくなったように見えた。
ふと鉢の中を覗き込む。枝に短い緑色の芽が見えた。
葉だ。
かすかに、けれど確かな命の証。
颯汰は息を飲み、思わず身を乗り出した。
「……出た……葉が、出てる……!」
フウが小さく拍手し、柳教授も目を細める。
「ようこそ、雪幻桃。よく戻ってきましたね」
枝は何も言わない。
けれどその沈黙は、もう死の静けさではない。
それは、生きようとする者の、静かな呼吸だった。
颯汰は、鉢にそっと触れた。
「これからは、ここがお前の家だ。ゆっくりでいいから……もう一度、花を咲かせような」
小さな葉が光ったように見えた。
タイミング良く、温室の扉が控えめに開き、白衣の裾を揺らしながら渉先輩が顔をのぞかせた。
「教授、内線入りました。古都大学の寺角先生から、交流会の日程について――」
差し込む光を反射して、先輩の若葉色の瞳が微かに琥珀色を帯びて光った。
視線が自然と鉢へと吸い寄せられていく。
「あ、雪幻桃……元気になったんだね」
何気ない一言のようで、言葉の奥には確かな確信があった。
先輩はしゃがみ込み、枝にそっと顔を寄せる。
まるで耳元でささやきを聞くように。
ほんの数秒の沈黙。
けれど、温室の空気がふっと柔らかく変わった。
「……うん。もう、大丈夫。この子、自分で立とうとしてる」
颯汰は驚いて、息をのんだ。
「やっぱ先輩には聞こえるんだ……」
先輩は照れたように笑い、肩をすくめた。
「……少しだけだよ。声というより……気配かな。でも、ちゃんと息してるよ」
柳教授は満足げに頷き、その背に向けて穏やかに声をかけた。
「桃くんが守った命ですからね。集音路くん、こちらの電話につないでください。交流会の件はぜひ前向きに進めたい」
「承知しました。すぐに繋ぎます」
軽い足取りで、先輩が去っていく。
扉が閉まる瞬間――彼は雪幻桃へ小さく手を振った。
まるで「またね」と言うように。
颯汰はその背中を見つめ、胸の奥が少しだけ暖かくなった。
まだ終わっていない。
雪幻桃と、農園と――それに愛犬きなこも回復へ向かっている。
スマホを取り出し、実家から送られたきなこの写真を見つめた。
あの炎から、雪幻桃の枝を咥えて持ってきてくれた。
もうダメかと思ったけど、枝もきなこも生きている。
枝の小さな芽と、きなこの瞳が、互いに光を返しているようだった。
思わず画面に手を伸ばし、そっと撫でるような気持ちになった。
「犬さん、元気になったんだね。よかったぁ〜」
嬉しそうにフウがくるくるとドレスを翻す。
そう、命はそう簡単には奪えない。
自分たちの未来は、自分たちで守っていく。
たとえ科学を悪用する者たちがいようとも。
枝もきなこも、静かに息づく命。
その小さな存在たちを胸に、颯汰は深く息をついた。
第四章 完
次回は新章、第五章の物語は、渉たちと古都大学との交流会です!
新キャラも登場します!
更新は来週金曜日、どうぞお楽しみに!!




