第十話 不可思議な金属
◆颯汰視点◆
大学の研究室には、機械の駆動音と、蛍光灯の白い光が落ちていた。
渉先輩はモニターと試薬の山に埋もれ、柳教授は彼の横で静かにデータを整理している。
颯汰は焼け焦げた土壌サンプルを見つめていた。
フウは卓上にちょこんと座り、脚をぶらぶらさせながらあたりを見回している。
「――これ、やっぱり……雪幻桃の加護を、無理やり分解した痕跡に見える」
先輩が絞り出すように言う。
颯汰の背筋がぞわっとした。
「分解って……そもそも加護は、壊せるものなんですか?」
訊ねた颯汰に、教授が穏やかな声で応じた。
「本来は不可能です。精霊の加護は、植物と精霊の契約によって成り立っていますから。しかし――科学は、時に禁忌に触れます」
教授の声音は丁寧なのに、いつもより声のトーンが低い気がした。
それが逆に怖かった。
「つまり、あの半地下施設は加護の分解と抽出をしていた?」
先輩が震える声で言うと、教授は静かに頷いた。
「ええ。抽出し、解析し、再構築しようとした形跡があります。成功すれば――」
教授は一度言葉を区切り、淡々と続けた。
「桃木農園でしか作れなかった雪幻桃は、どこの農園でも、どんな事業者でも栽培できるようになるでしょう」
その言葉は、想像よりずっと重かった。
「……ま、待ってください。じゃあ、極端な話――精霊なんて、いらなくなるんですか? 本物の加護がなくても、人工で作れるなら……」
教授は答えず、渉が代わりに呟いた。
「偽の加護が量産できる。見た目も、糖度も、香りも、本物とほとんど変わらない果実が作れる。でも、植物は本当は苦しんでいる……」
その瞬間、机の端で座っていたフウが、小さな声で言った。
「……それ、とても怖いこと。加護は、ただの味つけじゃない。生きようとする力なの。植物は、精霊と一緒に息をしてる。偽物の加護で生かされるのは、植物にとって、牢屋と同じ」
おもわず息を飲んだ。
フウは普段ふわふわしているくせに、こういう時だけ妙に鋭い。
「でも、この事件って……表向きは、葛見さんの単独犯ってことで終わりますよね。本物を焼いて、証拠を消して、市場を独占しようとした――って」
「ええ、彼の供述も、そう報道されています」
教授は一切の感情を乗せずに言った。
「ですが、危険性はむしろ、そこから先にあります。もし誰かが応用すれば、精霊の加護は不要になる未来が来るでしょう。人は、契約や祈りや信仰を経ずに、精霊の恩恵だけを奪い取れるようになる」
――それはもう、農業じゃない。
奪い取るだけの、搾取だ。
「教授……それは……」
「だからこそ、黒幕は痕跡を残さなかった。この事件がただの嫉妬と利益のための犯行として片付けば、技術そのものに注目が向きませんから」
ぞっとした。
火事の目的が、桃木農園を潰すことだけじゃない。
技術の存在を隠すためでもある。
先輩が、乾いた声で言った。
「……怖いのは、罪を隠したことじゃない。技術が残ったこと」
「そうです。誰かがまた同じことをしようと思えば、できてしまう。――今度はもっと、上手に」
少しの沈黙の後、先輩がパソコンキーを操作した。
「教授、この合金の組成と技術の精密さについて、最終的な分析結果が出ています」
モニターを操作し、合金の構造図を表示する。
「この電位操作用合金は、既存の金属のカテゴリーに属していません。そして、その構造を安定させ、合金に異常な電位操作能力を与えているのが、この極めて微細な『純金』なんです」
「純金……?」
颯汰が不意につぶやいた。
先輩の視線が注がれ、その瞳が何だか悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「そして問題は、その純度と配置です。単なる工業的な添加物ではありません。原子レベルで結晶構造に組み込まれており、通常の精製技術ではこの状態を維持できません。たとえ偶然混入したとしても、次の瞬間に構造から弾き出されてしまう可能性が高い。それなのにまるで、何かの力で『固定』されているかのように――」
先輩の言葉を繋ぐように教授がその先を言う。
「つまり金城光一という人物は――」
しかし遮ったのは――小さな体のフウが飛び上がり、強く頷く。
「そうだ! 精霊で間違いない! あたしが感じてた変なキラキラした匂いは、『金の精霊』の波動だったんだ! 植物じゃない、金属の嫌な匂い!」
一瞬、教授が顔色を変え、眼鏡の奥の目が鋭くなる。
颯汰は息を呑む。
「金の精霊? 精霊が……人間を騙して、精霊の加護を壊す……? なんで?」
「だって金の精霊は……」
フウは言葉を詰まらせた。その小さな体には、大きな悲しみと怒りが満ちているようだった。
「……金の精霊は、ずっと、古い精霊たちから嫌われてた。鉄や金は『自然じゃない』って。だからこれは精霊に対する復讐だ! あたしも記憶樹種だから邪魔者扱いされてたけど、仲間の精霊を傷つけることはしない!」
フウの言葉に誰も何も言えなかった。
……疎まれていた。邪魔者扱い。
精霊同士でもそんなことあるのかと考えさせられた。
教授は植物庁との調査で判明したことを、静かに説明しはじめた。
金城は加護のある他の農作物にも数多く手を出していること。そして精霊加護を抽出しようとした企業が過去にあったこと。
「彼――金城光一が『金の精霊』と仮定すれば、この合金の技術、そして精霊の加護へ細工が可能なことも納得がいきます。ですが、確証となる証拠がない以上、今は仮定に留めるしかありません」
金城が精霊、しかも金の精霊。
柳教授は仮定と言ったが、確定で間違いないだろうと颯汰は思った。
フウが悲しげな顔で呟いた。
「多くの精霊たちは、長い時間をかけて、人と仲良くなってきた。それを仲間の精霊に奪われるの……すごく嫌。すごく、悲しい」
誰もその言葉に返事ができなかった。
フウの声は小さくて、でも言葉は重くて。
雪幻桃の事件は、終わったことにされようとしている。
だけどここにいる全員は知っている。
本当の問題は、まだ解決していない――そして、自分がその渦に巻き込まれていることを、颯汰はようやく実感しはじめていた。
次回は来週金曜日更新!




