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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第四章 命を繋ぐ桃農園

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第九話 代償

 雪幻桃火災の翌日。

 桃木農園は、まだ灰の匂いをまとっていた。黒く残る木の骨、風に舞う白い灰。片付けを進めても、燃える夜が胸の内に居座り続ける。


 そんな折、東京に残っていた渉先輩から、一通のニュース速報が届いた。


 〈季節外れの雪幻桃、消費者から健康被害報告〉


 吐き気、発疹、のどの腫れ。アレルギー症状に似た体調不良が、葛見農園の桃を食べた複数人から報告され始めたという。


「……ついに表に出たか」


 思わず、つぶやいた。

 渉先輩が送ってくれた中間調査報告――土壌から検出された、『生命力を削る毒性化学物質』。

 偽物の奇跡には、必ず代償がある。

 その代償は人間にまで及んでしまった。


 さらに柳教授からメッセージが入る。


 《桃くん、我々は葛見農園の調査へ向かっています。一緒に行きますか?》


 《合流します》とだけ返事をし、急いで家を飛び出した。


 *


 教授が率いるのは、植物庁・資源適応研究課と、保健庁食品安全課の合同調査団――保健庁まで動くなど、異例中の異例だった。


「桃くんたちが回収した土壌と金属片のデータが決め手でした」


 葛見農園で合流した渉先輩は、深刻な表情で続けた。


「あの物質は植物だけじゃない。人体にも有害である可能性が非常に高いと結論が出たんだ。行政はもう、放置できない」


 颯汰の肩で、フィギュア姿のフウが、羽衣を揺らすように腕を広げる。


「大丈夫、颯汰。真実を掘り起こせば、雪幻桃は清らかだって証明できるよ」


 小さな体の声が、不思議と温かい。


 *


 葛見農園は、静寂とはほど遠かった。

 パトライトの赤が畑の上を行き来し、保健庁の職員が残存サンプルを回収し、植物庁の調査員が土壌を採取している。


 この光景は、もう農園ではなく、現場だった。


「葛見健太郎さんは?」


 柳教授が問うと、葛見家の息子が、震えた声で答えた。


「昨夜から……家に戻っていないんです」


 不穏な気配だけが、畑全体を沈黙させる。


 渉先輩が視線を動かし、傾いた納屋の脇で立ち止まった。


「教授……この地面、掘り返した跡があります」


 盛り上がった土を取り除くと、汚れたビニールシートの下から、古びた鉄のハッチが顔を覗かせた。


 そこは――半地下への入口だった。


 *


 階段を降りた瞬間、肌にまとわりつく重い湿気。

 鼻孔を刺す刺激臭。

 錆びた鉄と、化学薬品の混ざり合った匂い――ここは、植物が育つ場所じゃない。

 生命を製造するための、無音の工場。


 コンクリートの床に、無機質なパイプが網を張り巡らせる。

 青白い人工光が、夜のように冷たく空間を照らしていた。


 中央にはガラス槽がいくつも並び、桃の枝が、チューブと溶液に繋がれ、無理やり根を伸ばされている。

 その根元には――あの赤茶けた金属片が、土壌と同じように埋め込まれていた。


「……やっぱり」


 渉先輩が呟いた。


「桃木農園で見つかった合金と同じです。この金属片は、土壌に撒かれた化学物質と連動して、電位を操作している。雪幻桃の精霊的環境を模倣し、無理矢理、季節外れの実りを生み出していたんです」


 柳教授は、しばらく言葉を失っていた。

 重く、沈んだ声で言う。


「精霊の祝福を、数値化し、工場で量産する……その結果が、毒と病とは……」


 颯汰は、怒りより先に、寒気を覚えた。

 雪幻桃は、こんな場所に生きるものじゃない。

 雪と月の下、静かに息づく命だ。それを――金属と薬品で囲い、搾り取った。


 その時だった。


「出て行けえええええ!」


 怒号とともに、瓦礫の陰から飛び出してきた影。


 葛見健太郎だった。


 泥にまみれた作業着、焦点を失った目。

 手には、重い鍬。


「俺の桃だ……奇跡の桃は、俺が作るんだ……! 邪魔をするな! 出ていけ!」


 健太郎の叫びは、悲鳴と紙一重だった。

 彼の中の信じたものが、崩れ落ちつつある声だった。


 鍬が振り上げられ、颯汰に迫る。


「颯汰!」


 渉先輩が体をぶつけるように押し、刃先が空を裂いた。


 刹那――。


「そこまでです、葛見健太郎さん!」


 入口から数名の警察官が駆け降り、彼を取り押さえた。


 抵抗は短かった。

 鍬を落とし、崩れ落ちる。

 そして、子どものような声で、震えながら繰り返した。


「精霊……裏切った……俺は……精霊を……」


 その涙は、自分への悔恨なのか、騙した誰かに向けたものなのか、もう分からなかった。


 闇の半地下に、健太郎のすすり泣きだけが落ちていった。

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