表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第四章 命を繋ぐ桃農園

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/37

第八話 深紅の炎と精霊の託宣

颯汰視点……

 ――真夜中。


 深い眠りの底から、颯汰は引きずり上げられた。

 肌を刺すほどの熱。喉の奥にひりつく、焦げの匂い。

 闇のはずの窓は、昼のように赤く明るい。


 胸がざわついた。


 「……なんだ?」


 足元が覚束ないまま窓へ駆け寄る。

 視界に飛び込んできたのは――夜空を炎色に染め上げる、深紅のゆらめき。


 「火事……!」


 叫びより早く、心臓が跳ねた。


 雪幻桃の区画だ。


 見慣れた静かな農園が、一瞬で異形の景色へと変わっていた。

 白い幹は黒煙に包まれ、枝は燃え崩れ、炎が夜の空気を噛み砕いている。


 「精霊の桃を――守らなきゃ」


 言葉というより、本能だった。

 気づけば颯汰はパジャマ姿で廊下へ飛び出していた。

 父と母も玄関に立ち尽くし、炎の光に照らされて顔色を失っている。


 その時、老犬きなこが吠えた。

 普段は昼寝ばかりの老いた体とは思えぬ速さで、炎の方へ突進した。


「きなこ! 戻れ!」


 父の声は届かない。

 影は炎の中へ飲まれていった。


 ――雪幻桃の木々の焼ける匂いがした。

 月の霜のように透き通っていた幹が、砕け、崩れ、黒い灰となって風に舞った。

 消防車のサイレンが、暗い山々へと響き渡っていく。


 止める力など、誰にもなかった。


 *


 夜明け前の空は、墨のように重く曇っていた。


 数時間にわたる消火作業の末、炎はようやく静まった。

 だが、その沈黙は死の気配を孕んでいる。


 畑には、焼けた木々の残骸。

 昨日まで息づいていた生命は、黒い骨のようになって立ち尽くしていた。


 颯汰は、呆然とその光景を見つめる。


「……嘘みたいだろ」


 声は驚くほど冷静だった。

 涙より先に、燃え跡の現実を受け止めようとする思考が働いていた。


 上着の中から、震えるささやきが聞こえる。


「……颯汰……大丈夫?」


 フィギュア姿のフウが、そっと顔を覗かせる。

 いつもの軽さはなく、声は細く揺れていた。


「大丈夫じゃねぇよ……」


 かすれた声が、霜のように落ちる。


 消防や警察さえも自然発火とは考えにくいと言った。

 だが、決定的な証拠もない。

 燃え残る煙の冷たさだけが、颯汰の胸に突き刺さっていく。


 ――そのとき。


 焦げた大地の奥から、小さな鳴き声がした。


「……クゥン」


 煤で真っ黒に汚れたきなこが、よろめきながら戻ってきた。

 毛は焦げ、体は水で濡れ、息は荒い。

 それでも――その口には、何かを咥えていた。


 地面へそっと置かれたそれは、燃焼の地獄を奇跡のように生き延びた一本の枝だった。

 枝先には、白銀の産毛がまだ残り、わずかな蕾が、確かな生命の鼓動を宿している。


「……きなこ……」


 膝が崩れた。

 颯汰が抱きしめると、きなこは安心したように弱々しく尻尾を揺らし、静かに横たわった。


 父と母も、声を発することができなかった。


 颯汰は震える手で、枝を拾う。


 焦土の冷たい空気の中で――この一本だけが、生きている。


 フウが、呼吸を呑むように囁いた。


「これは……精霊からの、託宣だよ」


 木々は死んだ。

 花は消えた。

 声は届かなくなった。


 それでも、精霊はこの枝を残した。

 祈りか、警告か、希望か。

 ただひとつの命が、すべてを物語っていた。


 ――雪幻桃は、まだ終わっていない。


 胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。

 それは悲しみではなかった。

 怒りでもなかった。


 名前のない、強い決意。


 颯汰は立ち上がり、焦げた畑を背に、夜明けの空を見据えた。


「……俺は、この農園を継ぐ」


 声は震えなかった。


「この枝を、生かす。必ず、育てる。そして――誰がこんなことをしたのか、絶対に突き止める」


 夜の余熱が、パジャマの裾を揺らす。

 手には小さな枝が、息をしていた。


 それは、精霊ときなこが託した、未来への誓いだった。

次回は来週金曜日に更新します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ