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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第四章 命を繋ぐ桃農園

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第七話 忍び寄る影*葛見農園

ニセ雪幻桃の真相……

 遡ること半年前――。



 ――桃木農園から車で三十分。

 山ひとつ越えた先、土色の風が吹く谷間に、朽ちた畑と傾いた倉庫だけが取り残されている。


 かつて地域一番の収穫高を誇った場所。

 その名は葛見農園。




 ◆葛見視点◆


 いまは、風が吹けば古びたビニールがむなしくはためき、看板の文字は雨で滲んだまま、誰にも読まれなくなっていた。


 葛見健太郎は、白髪の混じった頭を乱暴に掻きながら、誰もいない畑を見つめていた。

 通帳は赤。返済日は容赦なく迫る。息子は家を出て、妻は銀行からの電話のたび怯えた顔をする。


 ――終わった。


 その言葉を飲み込んだ瞬間、背中に穏やかな声が落ちた。


「終わりじゃありませんよ」


 振り向くと、見知らぬ男が立っていた。

 黒いスーツは皺ひとつなく、声は低く、澄んでいる。


「農業コンサルタントの、金城光一と申します」


 男は土を掬い上げ、光にかざし、ふと微笑んだ。

 その笑みは、疲れきった心に染みるほど、優しかった。


「もし、もう一度だけ花を咲かせたいのなら、方法がありますよ」


 そう言って取り出したのは、白い産毛を纏った小さな枝。

 銀灰色に光る、冬の霜のような枝だった。


「……雪幻桃、だと?」


 健太郎は息を呑んだ。


「桃木農園でしか実らない、解禁されていない果実のはずだ」


「ええ、本来は門外不出です」

 金城は微笑んだまま続ける。

「ですが、価値あるものを独占する時代は終わりです。立派な土地が眠ったまま朽ちるなんて、世界の損失ですよ」


 その言葉は、捨てられた土の底で眠っていた希望を、そっと掬い上げるようだった。


「……本当に、実るんだな?」


「ええ。あなたが努力さえすれば、精霊の加護は必ず応えてくれます」


 その確信に満ちた瞳に、健太郎の胸は熱くなった。


「……賭けてみるよ。これで駄目なら、本当に畑を手放す」


「素晴らしい覚悟です。希望は、掴む者の前にだけ開かれます」


 金城は、枝を柔らかく撫でながら言った。


「必要なのは、『精霊の力が宿る環境』と『科学的な調整』です。――納屋の地下を使いましょう」


 健太郎は目を瞬いた。


「地下……?」


「桃木農園の土壌を科学的に模倣し、雪幻桃の生命力を最大まで引き出せば、『奇跡』はここでも咲く」


 設備費用は、すべて金城が持つという。

 利益が出てから返済すればいいという甘すぎる条件は、健太郎の最後の理性を静かに溶かした。


 *


 一週間後。

 金城が連れてきた作業員たちが、納屋の床を剥がし、暗い土を掘り下げていく。

 指揮をとっていたのは、結奈という若い女性だった。


 無表情のまま、特殊照明、温度調整機、そして化学的に配合された土壌溶液をパイプで配し、半地下の空間に人工の胎内を組み上げていく。


 健太郎は、その光景が農業なのか科学施設なのか分からなくなる瞬間があった。

 だが金城の声は、いつも優しく耳元で囁いた。


「心配はいりません。これは、精霊の奇跡を科学で最適化する、未来の農業です」


 その言葉は、救いのようで、呪いのようでもあった。


 *


 ――半年後。


 白い花が咲いた。

 本来真冬にしか咲かぬはずの雪幻桃が、秋の畑を雪のように染めた。


 薄い青の果実を収穫し、直送すれば、ネットは歓声で埋まった。

 予約は数日で埋まり、テレビが取材に来た。


「親父! 本当に……本当に、うちの桃がテレビに映ってる!」


 家を出た息子が戻り、

 妻の頬に、久しぶりの笑顔が咲いた。


 健太郎は、震える声で呟いた。


「……俺にも、まだ役に立てる場所があったんだな」


 その時、畑の端で金城が静かに微笑んだ。


「あなたが努力したからですよ。奇跡は、努力の上にしか降りません」


 夢のような日々だった。

 あの瞬間までは。


 *


 ある晩。

 事務所の扉を叩く音がした。


「こんばんは、葛見さん」


 金城はいつもと同じ笑顔だった。

 ただ、瞳だけが、冬の鉄のように冷えていた。


「雪幻桃の生産者になったこと、心から祝福します」


「……おかげで、家族も救われた。感謝してる」


「ですが――一つだけ、問題が残っています」


 机に置かれた封筒。

 桃木農園の写真、価格表、レビュー、取引先。


「世間は、桃木農園を本物だと信じています。あなたの桃がどんなに素晴らしくても、その影からは逃れられない」


 健太郎の喉が、音を失った。


「……うちは、偽物じゃない。努力して育てた」


「もちろんです。偽物なのは、世間の認識のほうですよ」


 金城は優しく微笑んだ。


「桃木農園は、いま雪幻桃が枯れています。――もし火が走れば、自然火災と判断されるでしょう」


 息が止まった。


「やめろ……何を言ってる」


「あなたが望むのは、家族の未来でしょう? 借金の完済でしょう? 次の雪幻桃の収穫でしょう?」


 金城の声は穏やかで、しかし逃げ場がなかった。


「偽物という烙印を永遠に消すために――本物を消すのです」


「……できるわけがない」


「できますよ。人は、大切なもののためなら、火を灯せる」


 その笑みは、神父の祈りのように静かで、酷薄だった。


 *


 そして数日後の夜。

 葛見健太郎は、桃木農園の雪幻桃の前に立っていた。


 マッチを握る手が震える。

 燃やしたいわけじゃなかった。憎しみなどなかった。


 ただ――家族を守りたかった。


「……ごめんな。誰よりこの土地を愛してるのは、桃木の奴らなのにな」


 火は、木を喰った。

 音を立て、赤い舌が夜を照らす。


 葉が落ちる音は、まるで泣いているようだった。


 健太郎は泣かなかった。

 泣く資格など、とっくに持っていなかった。

次回は来週金曜日更新!

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