表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第四章 命を繋ぐ桃農園

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/37

第六話 忍び寄る影*桃木農園

 翌日。

 颯汰は、縁側で丸くなったきなこの毛をぼんやり撫でながら、空を仰いでいた。


 雲はない。

 にもかかわらず、太陽の光はどこか鈍い。

 風は吹いているのに、葉は揺れず沈黙したまま。


 ――嵐の前触れ。


 そんな言葉が、無意識に脳裏をよぎった。


 そのときだった。

 母屋の方角から、かすかな焦げの匂いがした。

 乾いた木片が燃えたときの、あの鼻の奥に刺さる匂い。


 颯汰は、ピンと背筋を伸ばした。


「……母さん、今、変な匂いしなかった?」


 台所にいた母は、振り向きもせず首を傾ける。


「え? 別に。気のせいじゃない?」


 しかし、颯汰の胸の奥には確かな違和感が残ったままだった。


 ――雪幻桃が呼んでいる。


 けれど、声ではない。

 輪郭を持たない悲鳴のようなものが、頭の奥でざらりとノイズになって響く。

 はっきり掴めないのに、消えもしない。


 額に手を当て、深く息を吐いた。


「……疲れてるだけだ」


 呟く声は弱々しい。


 隣では、フウがきなこの背にごろんと寝転んだまま、小さく言葉を零す。


「颯汰……」


 だがそれ以上言わず、唇を結んだ。


 秋の空は高く澄んでいるのに、どこか遠い。

 昨日見た光景が胸に巣食い、不安の影を落としていた。


 疲労。

 両親への負い目。

 金城への怒り。

 そして、守れなかった雪幻桃への罪悪感。


 何一つ、簡単に振り払うことができない。


 それでも、放っておくこともできなかった。


 颯汰は立ち上がり、ひとり雪幻桃の区域へ向かった。


 木々は変わらず、死の色を帯びていた。

 幹に触れると、冷たい。

 かつて清冽な加護の息づく冷気ではなく、ただの冷たさ――凍りつくような無の温度。


「もう少し……きっと、元に戻れる」


 自分に言い聞かせるように囁く。


 返事はない。

 木は沈黙したまま立ち尽くしている。


 その沈黙の奥――ほんのかすかに、か細い何かが震えた。


『……くる……し……』


 風の音か、幻聴か。

 フウだけがぴくりと肩を震わせた。


「颯汰……今の、聞こえた? 雪幻桃が『苦しい』って……」


 だが颯汰は、「え? 別に……」とだけ答え、遠くを見ていた。


「渉先輩、もう研究室に着いたかな……」


 畑の中央で、颯汰の溜息だけが、夕風に溶けていった。


 *


 夕刻。

 母屋の居間で、湯飲みから立ちのぼる湯気をぼんやり眺めていると、スマホが震えた。


 画面には、渉先輩の名。


「はい、颯汰です! 先輩、結果は――?」


 声が自然と上ずる。

 フウは跳ね起き、耳を澄ませるようにスマホへ顔を寄せた。


 受話口越しの渉先輩の声は、いつも通りの静けさ。

 しかし、その裏に硬い緊張が潜んでいた。


『まず、土壌と金属片の中間報告だ。正直、予想以上に深刻な結果が出た』


 颯汰は息を呑む。


『土壌から、特殊な化学物質が検出された。これは雪幻桃の成長を支える微量元素の働きを、一時的に模倣するよう設計されたものだ』


「……模倣?」


『そうだ。精霊の加護が作り出す環境を、化学的に再現しようとした形跡がある。だが同時に、強い毒性を持つ。植物の生命力を、急速に奪っていく性質だ』


 喉が痛むほど、唾を飲んだ。


 ――雪幻桃を「生かしたまま、殺す」技術。


「じゃあ、錆びた金属片は?」


 恐る恐る問うと、渉先輩は声をさらに低くした。


『問題はそこだ。あれは工業製品じゃない。大学のデータベースにも、植物庁の資料にも該当がない』


「未知の……金属?」


『純度と結晶構造が異常に精密だ。意図的に精製された装置――そう考えるのが自然だ』


 装置。

 あの、赤錆色の、指ほどの小さな欠片が。


『推測だが、金城は葛見農園の偽物だけでなく、桃木農園の雪幻桃そのものを解析しようとしていた可能性が高い。加護の情報を、科学で解体しようとしている』


 背筋が、氷のように冷えた。


 雪幻桃の命も、精霊との契約も、記憶も、歴史も――数字に変えて、奪い取るつもりだったのか。


『颯汰、そっちの畑をこれまで以上に注意して見てくれ。金属片以外にも、痕跡が残っているかもしれない。柳教授も植物庁と連絡を取り合っている。分かっていると思うが、気をつけろよ』


「……はい。わかりました」


 通話が終わると、フウがしずかに言った。


「やっぱり……ただの詐欺じゃない。もっと……もっと悪いことが起きてる」


「ああ。科学の名を借りた、悪意だ」


 颯汰は障子越しに畑を見た。

 夕闇に沈みながら、雪幻桃の枝は影のように細く、折れそうに弱っている。


 戦いは、すでに始まっていた。

 それも、気づかないうちに深い場所で。


 決着の刻限だけが、静かに近づいている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ