第三話 柳教授の調査
今回は柳教授も動きます!
◆柳教授視点◆
雪に祝福されたように咲き、真冬の空気の下だけで熟す果実――雪幻桃。
桃木農園以外では決して実らず、精霊の加護によってのみ成り立つ果樹。
そのはずの果実が、秋の市場に並んでいるという報せは、静かに、しかし確実に、常識と理の根幹を揺らがしていた。
柳は、その謎を確かめるべく、東京の植物庁を訪れていた。
*
植物庁資源適応研究課――通称「資研課」。
白い庁舎の窓越しに、秋の光が淡く降り注ぐ。
書類の山、電子地図、衛星画像、農園から寄せられる調査報告。
そのすべてを静かに飲み込みながら、部署は今日も淡々と動いている。
だが、柳の胸中には、揺らぎがあった。
精霊の加護を受ける植物は、季節から解き放たれることはあっても、摂理そのものを踏み潰すことはない。
花も咲かぬ季節に実る果実など――本来、あり得ない。
柳はモニターを見つめ、隣に立つ資研課課長の早瀬透とともに、動画を追った。
画面の中、金城光一と名乗る男が、霜を纏った桃の木の前で静かに微笑んでいる。
声は柔らかく、よく通り、言葉に神秘をまぶす。
しかし、その瞳は湖面のように静かだが、どこか深みが欠けている色に見えた。
『奇跡の果実――雪幻桃』
続くニュースでは、キャスターのどこか浮ついた調子の声が画面を賑わせる。
柳はゆっくり眼鏡を押し上げ、静かに息を吐いた。
「……看過できるものではありませんね」
早瀬が苦い顔で頷く。
「教授。過去のコンサル案件を確認しましたが……金城氏が関わった作物のいくつかは、植物庁が非公式に把握している精霊加護作物と一致しています。偶然で済ませるには、不自然です」
「同感です。狙っているとしか思えませんね。ただ目的が見えない分、厄介です」
柳は腕を組み、画面を数秒見つめたまま沈黙した。
それは過去の知見をひとつずつ照らし合わせているときの仕草だった。
「それから過去の精霊干渉案件を調べました。ほとんどが知らずに触れてしまった例でした。加護の存在を知らないまま環境を乱したり、偶然が重なった結果だったり」
やがて、早瀬がためらうように声を落とす。
「教授……調べているうちに、嫌な記憶が蘇りまして……」
柳が静かに視線を向けた。
「数十年前の加護操作事件です。精霊の血を持つ者を実験台にして、精霊加護を人工的に扱おうとした――あの研究企業の……」
柳の瞳がかすかに揺れた。
「……そうですか。あなたも思い出しましたか……忘れろという方が無理です。加護を扱うことは本来不可能だと、あの事件で我々は痛いほど学びました」
柳はしばし沈黙し、そして静かに口を開いた。
「……被験者のひとりには、私の教え子の母君がおられました。精霊の血を理由に利用され、加護の制御に耐えきれず……それ以上は、申し上げるべきではありませんね」
そこで言葉を切り、眼鏡の位置を再び直す。
「企業は検挙され、研究は凍結。精霊の加護は都合よく扱えるものではない――その結論は揺るぎません」
画面の中の金城を柳は見つめた。
……もしや過去の研究企業の生き残り?
資料を捲りながら、早瀬が静かに話を続ける。
「おっしゃる通りです。ですが金城氏は、今回の雪幻桃を『精霊加護がある桃』だと自ら宣伝している。概念を理解したうえで触れていることになります」
「知らずに干渉してしまった過去の案件とは全く違う。意図して手を伸ばしている……しかも、加護は本来、外部から都合よく制御できるものではありません。にもかかわらず、彼の周囲だけ例外が続く。これは……」
声を潜める。
「……作為の疑いが濃い」
早瀬は緊張を含んだ表情でつぶやいた。
「流通経路を追いましたが、矛盾ばかりで真相に届きません。教授、庁内で外部からの声が集まる課があります――市民対応窓口課です」
「窓口課……確かにあそこならなにかしら、情報があるかもしれないですね」
柳は椅子から立ち上がり、資料をまとめる。
「行きましょう、早瀬くん。金城光一――この男の目的がなにか、我々は突き止める必要があります」
二人は資料を手に、静かに資研課を後にした。
*
植物庁・市民対応窓口課。
ここは、いつだって騒がしい。
苦情、相談、奇妙な問い合わせの絶えない、庁内で最も落ち着きのない部門だ。
しかし今日は、空気がさらに荒んでいた。
電話は途切れず鳴り、受話器の音が連続する。
職員たちは資料を抱えて走り、声には焦鬱した緊迫が混じる。
――すでに、どこかで歪みが始まっているのか。
直感だった。
だが柳は、こういう直感が外れたことはあまり無い。
ちょうど電話を切ったばかりの若い職員が、二人に気づき、慌てて立ち上がった。
名札には〈吉野 真〉。
「ご、ご用件でしょうか!」
柳は穏やかに微笑む。
「お久しぶりですね、吉野くん。先日の講演のあと、質問に来てくれましたね。覚えていますよ」
青年は真っ赤になり、背筋を伸ばして頭を下げた。
その初々しさに、柳はごく弱く目を細める。
「雪幻桃について確認したいことがあります。少しお時間を」
吉野は深く頷き、三人は会議室へ向かった。
*
テーブルには苦情記録が並べられた。
柳はひとつずつ視線を落とし、数字の異常を静かに拾い上げていく。
隣に座る平瀬が資料を指差しながら、確かめるように言った。
「出荷されて間もないのに……いつもより苦情の数が、多すぎます。あり得ない」
吉野も険しい顔をした。
「ええ。しかも『味が違う』『本物か調べてほしい』という依頼や苦情も増えてます」
「消費者レベルで違和感が表面化している……」
「この数であれば、通常なら流通を止めるべき案件です。……止まっていないということは、誰かが通している」
柳は資料を閉じ、数秒黙する。
雪幻桃の名を使えば売れる――そんな浅薄なものなのか。
それとも、売上が目的ではなく、名だけ欲しいのか。
早瀬が、さらに一枚の報告書を差し出す。
「教授。こちらを」
吉野が不安げな声で続ける。
「別の農業コンサルタントに関する苦情が、最近増えてるんです。『作物が病気のようだ』『急に枯れた』と……。ただ、名前までは特定できなくて」
柳の視線が鋭く細まった。
「……雪幻桃だけの問題ではない、ということですね。農業全体に、異変が起きつつある」
「教授、これは――」
ふたりの視線が交差し、静かに頷きあう。
「ここから先は、現地での検証しかありません」
「ええ。すでに、集音路くんと桃くん、そしてフウが向かっています。いずれ真相は見えてくるでしょう」
柳は吉野に向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとう、吉野くん。君の記録がなければ、ここまで辿り着けなかった」
青年は照れながらも、誇らしげだった。
外ではまた電話が鳴り、窓口課の日常が続いていく。
だがその騒音の向こうに、柳は確かに「異変の声」を聞いた。
柳はゆっくりコートの襟を正し、静かに言った。
「……雪幻桃に何が起きているのか。必ず、突き止めてみせます」
その言葉は淡々としていた。
だが、冬の枝に宿る蕾のように、揺らぎのない決意を秘めていた。
次回は来週金曜日!
颯汰の実家へ!




