第二話 バズる雪幻桃
研究室の空気が震える。
柳教授がゆっくりと言葉を発した。
「——この人物、名を金城光一。肩書きは農業コンサルタント。都市伝説と農産ブランドを巧みに結びつけ、ここ数年で名を売りつつあります」
教授の声は、いつもと変わらず穏やかだった。だが、その瞳の奥には、氷の欠片のような厳しさが宿っている。
静まり返った研究室で、金城という名前がやけに冷たく響いた。
「金城光一……」
その名を小さく、噛みしめるように呟く。
動画は、秋の柔らかな陽光の中、金城が桃の木を背景に立っている場面から始まった。
その姿は、笑っているのに冷たい。陽だまりの中に立ちながら、どこか影を纏っている。
枝には、霜が降りたように白い薄衣をまとった桃の実——雪幻桃。
だがそれは、うちの農園の景色ではない。どこか、見知らぬ土地の木々だった。
『——雪幻桃。冬の訪れとともに実る、奇跡の果実』
低い声が、画面の向こうから静かに響く。
一語一句が、観客の耳に絡みつくような調子で。
『この名を知る人は多いでしょう。しかし——この秋に出逢えると誰が想像したでしょうか』
髪が風に揺れ、細い切れ長の目がカメラを射抜く。
ほんの一瞬、その瞳が金色に閃いた。
気のせいだろうか。
けれど、目には冷たい光が宿っていた。
金城は桃をひとつもぎ取り、掌に転がした。
その仕草はやけにゆっくりで、儀式じみている。
『この桃は、精霊の加護を受けた樹にしか実りません。でも、精霊は気まぐれです。冬の果実が秋に実る——こうして奇跡だって起こせるのです。どうか、これを手にする皆さんにも加護がありますように』
優しい口調なのに、温度がない。
笑っているのに、心が通ってこない。
コメント欄だけが熱気を帯びていた。
>> @Miracle_K: 食べたら持病が治った! 精霊の加護に感謝します!
>> @Lucky_Star: 飾った翌日に宝くじ当たりました!
>> @Angel_G: 金城さんの笑顔、神の御加護。信じます!
『信じます』ばかりが並ぶ。
疑問の声は、雪の下に埋もれた小石ほども見つからない。
最後に、金城は桃をカメラへ差し出した。
『奇跡の桃を、ひと足先に』
囁く声。柔らかな笑み。
画面が白い光へと溶ける。
まるで、人の記憶を霧で包み隠すかのように。
「……こいつが、うちの雪幻桃を——」
知らない土地で、知らない木で。
勝手に名前を使い、奇跡を語り、人気を奪っていく。
胸の奥で、何かがひりつく。
「落ち着け、颯汰」
渉先輩が肩に手を置いた。
その声は、氷を溶かす春の水のように柔らかい。
「動画は意図的に噂を広げているように見えます。宣伝とはいえ……これはやり過ぎな気がします」
「ふんっ! もし悪さしてるなら、フウがぶっ飛ばす!」
セレス姫の小さな身体で、フウが胸を張る。
フィギュアの腕がぷるぷる震えながら、魔法ステッキを振り回した。
その滑稽さに緊張の糸が緩む。
教授と渉先輩は静かに笑い、颯汰はもう少しで吹き出しそうだった。
だが別の動画でも、再生数はすでに百万を超えている。
『精霊なんているのか? はいはい、今そう言いましたよね。聞こえてますよー。みなさん、精霊は実在します。これは都市伝説なんかじゃありません』
ーー精霊は実在する。
それを、軽やかに、嘘のように、真実のように。
大勢の前で言い放つ。
「ずいぶんと饒舌だな。……こいつ、本当に何者なんだよ」
ぼそっと颯汰が呟く。教授は何も言わず、ただ画面を見つめ続けた。
「ちょっと!」
フウが突然、机の端まで跳ね上がった。
「ん? どうした、フウ」
「この人……なにか変。服のせいじゃない、光のせいでもない。体の奥から、変なキラキラが漏れてるみたい……植物じゃない、別のエネルギー。嫌な匂いがする」
「ただのイケメンだろ……」
そう言ってみたものの、フウの目は真剣だった。
教授は静かに目を細め、言葉を飲み込んだ。
研究室に重い沈黙が落ちる。
「演出だろうとなんだろうと……勝手に雪幻桃を使うな」
気づけば拳を握りしめていた。
ただの噂なら笑い話で済む。
だけど、家の名前と、桃の誇りを踏みにじられるのは、見過ごせない。
「桃くん。君は実家へ戻り、雪幻桃の木を直接確認しなさい。集音路くんとフウも同行したほうがいいでしょう。現地でなければ分からないこともありますから」
教授の声は、揺るぎなかった。
「教授は?」
「私は金城光一の背後を調べます。植物庁が掴んでいない情報が、必ずあるはずです」
役割が自然と決まっていく。
仲間が側にいるというだけで、胸の底に強い灯がともる。
フウはまだ、画面を睨みつけていた。
「やっぱり変……すごく嫌な感じ」
小さな呟きが、研究室の空気に溶けていく。
颯汰は息を吸い、背筋を伸ばした。怒りはまだ胸を灼いている。
けれど——
先輩がいる。
教授がいる。
フウがいる。
ひとりじゃない。
「……行ってきます。雪幻桃の名前、絶対に守り抜きます」
そう言った瞬間、画面の金城がふと笑った。
はっきりと、こちらを嘲るように。
あれは、偶然だろうか。
それとも——誰かの策謀の始まりなのか。
次回は来週金曜日更新!
柳教授が植物庁へ調べに行きます!




