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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第四章 命を繋ぐ桃農園

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第一話 桃木颯汰の憂鬱

新章開始!

今回は桃木颯汰が主役のお話。

彼の桃農園が舞台です。


サスペンス風の新章、お楽しみください!

 秋学期の始まりは、いつも季節が名残惜しそうに夏を抱え込んでいる。

 焼けたアスファルトに、ほんの少しだけ冷たい影。草いきれは薄れ、代わりに風の中には金木犀の甘い香りが滲み始めていた。


 ――まるで季節そのものが、前へ進み切れずに立ち止まっている。


 どこか、今の自分みたいだなと颯汰は思った。


 大学三年の秋。

 周りは就職活動や研究計画を口にし始め、履歴書や推薦や教授面談、そんな単語が廊下に漂い始めている。

 足音だけが前へ進んでいくのに、自分だけが踏み出す理由を見つけられない。


 ――農園を継ぐのか。

 ――それとも研究という別の道を選ぶのか。


 岐路はすぐそこにあるのに、靴底が床に貼りついたままだ。


 気がつけば、毎日と変わらない風景の前に立っていた。

 柳研究室の扉。

 深呼吸ひとつ。気持ちを切り替えるつもりで押し開ける。


 軽い紙の擦れる音。

 観察ライトの控えめな唸り。

 研究室特有の、静かで清潔な空気。


 ノートをめくっている渉先輩が、柔らかい視線をこちらへ向けた。

 白衣の袖口を整える指が、落ち着いたリズムで動いている。


「お疲れ、颯汰」


 声は、押しつけがましさのない穏やかな低さ。

 隣には、薄緑色のドレスでふわふわと浮くフウ。セレス姫の姿のまま、ステッキをくるくると回している。


「颯汰~、眉間にしわ! おでこに字が書けちゃうよ?」

「書かなくていいから」


 笑ったつもりなのに、引きつった声になった。

 それを察したように、渉先輩は無言のまま机の端へ、小さな紙袋を置いた。


「柳教授が持ってきてくれた焼き菓子だ。甘いものがあると、少し楽になるだろう?」


 袋を開ける前から、バターと砂糖が溶けあった香りがふわりと漂う。

 大げさな励ましはなく、それでも気遣いは確かにそこにある。

 そのさりげなさに、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 黙って顕微鏡に向かう渉先輩の横顔。

 焦点ハンドルをゆっくりと回す指先は、いつ見ても無駄がない。

 その静かな動作を眺めていると、自分の胸の中の濁りが、少しずつ沈んでいく気がした。


「渉先輩、あの、ちょっと……聞きたいことがあって」


 先輩はレンズから顔を上げ、颯汰の目を見る。

 急かさない、逃げ道を塞がない瞳。


「なんだ? 話してごらん」

「……大したことじゃないっすよ」

「お前の大したことないは、たいてい大したことある」


 ふ、と笑って言う。

 フウも胸を張り、ステッキを構えた。


「あたしも聞くよ! 颯汰の味方だもの!」


 言葉を飲み込んでいた重石が、ゆっくりとほどけていく。

 話し始めてしまえば、あれほど固く塞いでいた気持ちが、拍子抜けするほどするりとこぼれ落ちていった。


「……実家を継いだとして、自分に精霊の桃を守り切れるのか、正直、怖くて」


 渉先輩は顎に指を当て、静かに頷いた。

 フウも真似するように頷くのが可笑しい。


「渉先輩は、なんで大学院に進んだんすか?」


「就職するか迷ったよ。でも……柳教授のもとで、もっと植物を知りたいと思ったからだ」


 その答えには、迷いを振り返る影がなく、すでに受け入れられた道の形があった。

 自分には、まだそれが見えていない。


「颯汰は、院で何をしたい?」

「……それが、まだ」

「大事なことだぞ?」

「そうだよ? 颯汰、ちゃんと考えなきゃ!」


 フウがぷくっと頬を膨らませ、ステッキでこつんと額を小突く。

 馬鹿みたいに笑ってしまった。

 笑っていいのか分からないのに、笑いが止まらなかった。

 胸に溜まっていたものが、少しだけ軽くなる。


 そのとき、ステッキが颯汰のスマホにあたると、ニュース画面が映し出された。


『速報:真冬の桃 雪幻桃、葛見(くずみ)農園から本日初出荷』


 視界が揺らいだ。

 全身を逆流するようなざわつき。

 冷たいものが背中を滑ったのに、掌には汗がにじむ。


 ――雪幻桃が、九月に出荷された? 葛見農園?


 あり得ない。

 雪幻桃は、桃木家の、真冬の畑でしか実らない。

 吹雪に埋もれる畑に立って、指がちぎれそうな寒さに耐えながら収穫する――そんな特別な桃だ。


 そして、もうひとつ。


 ――あの桃には、精霊の加護が宿っている。


 小さい頃。

 柵を越えようとして膝を大きく裂き、血が噴き出して泣きじゃくったとき。

 祖母は雪幻桃の木の根元に自分を座らせ、幹に手を当てさせた。

 冷たい木肌に触れた瞬間、芯から温かいものが滲み、痛みがふわりと引いていった。

 翌日、傷はただの薄い線になっていた。


 ――あれは、夢なんかじゃない。


「颯汰? 顔色が悪いぞ」


 渉先輩が肩に手を置く。その手がやけに現実的で、世界の輪郭を戻してくれた。


「あ……大丈夫っす」


 大丈夫なはずがなかった。


 背後から、重く、落ちつき払った低音が降ってきた。


「精霊の加護で実る桃、ですね? 桃くん」


 柳教授だった。

 ゆっくり振り向くと、深い色の瞳が、ただ事でないということを告げていた。


「教授……雪幻桃のこと、ご存知なんですか」

「植物庁で働いていた頃、噂を耳にしました。現地に調査へ赴いたこともあります」


 渉先輩が思わず息を呑む。


「教授が、直接?」


「ええ。精霊の加護を持つ植物が、現代社会でどれほどの価値になるのか――調査を行う部署があったのです」


 その言い方は、過去形だった。

 けれど、目の奥だけはまだ続いているかのような鋭さを宿していた。


「しかし、問題はそこではありません」


 教授はスマホの画面をつまむように拡大する。


「桃くん。この雪幻桃、本当に桃木農園のものですか?」


「……違います。花が咲く時期も、実る時期もまるで違う。これは――」


 言葉の先を、唇が拒んだ。

 でも、逃げられなかった。


「……偽物です」


 その瞬間、胸の奥が、静かにきしんだ。


「俺、帰ります。確かめないと」


 それが本物であれ、偽物であれ。

 桃木の血に大した力なんてなくても。

 精霊の声が聞こえなくても。


 ――この桃は、ただの商品じゃない。

 守るべき理由が、確かにある。


「……良い決断です」


 教授はリンク先の動画を再生した。

 派手な照明に照らされた雪幻桃。

「合格祈願の桃」と称して、男は笑っている。


 その笑顔は、甘くて、冷たかった。

 商品ではなく、獲物を眺めている目だった。

次回は来週金曜日!

颯汰の家の宝、雪幻桃が大変なことに!?

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