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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第三章 沈黙のクスノキ

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第三話 ささやく真実

 小さな山道を渉の車がゆっくりと登っていく。


 ハンドルを握る自分の隣、助手席の背もたれの上――ちょうどエアコンの吹き出し口のあたりに、手のひらサイズのセレス姫――いや、フウがちょこんと腰掛けていた。


「ねえ渉。この山、なんか空気がピリピリしてる気しない?」


 フウは小さな体を車窓に寄せ、じっと外を見つめている。銀色の髪が陽射しを受けてふわりと光り、薄緑のドレスがエアコンの風にひらりと揺れた。


「……それ、感じ取れてるってこと?」


「うん、なんとなくねー。あっ、ちょっと待って、あの木!」


 突然、フウがぴょんと立ち上がる。助手席のダッシュボードに乗り移るようにして、小さな腕でフロントガラス越しに指を差した。


「ほらほら、今の枝、さっきより下がってなかった? 絶対罠だよ罠! 見てる、あれ絶対“仕掛けられてる”ってやつ!」


「罠って……誰の? いや、まず何の話か教えて……」


 渉は小声でつっこみながら、そっとジャケットを伸ばして助手席側にかけた。ぱたんと上から覆われたフウがもぞもぞと動き、小さな顔だけをのぞかせてくる。


「え~、隠すの? せっかく“イベントモード”っぽくなってきたのに〜」


「ダメだって、信号待ちで誰かに見られたらアウトだよ……」


「もー、つまんないの。あ、でも、さっきから後ろにいるカラス、気づいた? ついてきてるよ、ずっと!」


 言われてルームミラーをちらりと見ると、確かに一本後ろの電柱にカラスがとまっていた。渉は眉をひそめつつも、運転に集中しようと視線を戻す。


「やっぱりこれは……来てるな……“前触れ”ってやつ!」


 フウはジャケットの下から身を乗り出し、小さな両手で呪文めいたポーズを決めている。まるでゲームの実況者そのものだ。


「……フウ、“アレ”って何? ていうか、何と戦ってるの、今……?」


「え? んー、世界の(ことわり)と?」


「理って……重いよ……」


「だってさぁ、人間って自分たちの都合のいい“理”ばっかり作ってるでしょ? 道路だ、電気だ、エアコンだって。便利なのはわかるけど、そのたびに山や木は黙って削られていくんだよ? 本当は、木も川も全部、ちゃんと声を持ってるのに……聞こうとしないの、人間は」


 フウはふいに真顔でつぶやき、すぐにまた「ま、でも渉はちょっと違うけどね~」と肩をすくめて笑った。


 神社近くの駐車場に車を停めたとき、渉は肩を落としながら額を押さえ、静かにため息をついた。助手席では、フウが「ふー、ミッション完了~」とでも言いたげに胸を張っている。


 *


 参道を抜け、再び御神木の鎮座する神社の境内へと渉とフウは足を踏み入れた。

 

 境内へ続く石畳の脇、ひときわ背の高い柳が一本、風にそよいでいるのが見えた。

 葉は細くしなやかで、ほかの木々よりも柔らかな音を立てて揺れている。

 渉は、ここに来た初日には気づかなかったその木を何となく目に留めたが、視線をすぐ前へ戻した。


 薄曇りの空の下、木々の葉擦れがやけに耳に残る。


 沈黙——それは、木々たちが何も語らないというよりも、むしろ鋭く突き刺さるような音として渉の耳に届いていた。彼らが“語らぬ”ということ、それ自体が異常なのだと、もう渉は理解していた。

 

「……渉、今の見た? なんか来てる。あれ、きっと……」


 フウの声が低くなる。ドレスの裾を揺らしながら、20センチ前後の小さな身体をぴたりと渉の肩に寄せた。


 渉が目を凝らすと、木々の隙間の奥、淡い緑の向こうに、ちらりと白い影が横切った。前回、あの()()()()()()を感じたときとよく似ている——冷たく、それでいて何処かで見たことのあるような空気のゆらぎ。


 そして、その存在は再び姿を現した。


 まるで朝露がそのまま人の形を成したかのような、透き通った存在。青白い光が輪郭を縁取り、揺らめく衣は見えぬ水の気配をまとっている。気高さと静謐(せいひつ)をまとったその佇まいが、言葉より先に“ここに在る”ことを告げていた。


「——私は、水の精霊。この地の均衡を見守るものです」


 その声は澄んでいて、しんしんと渉の内側に染み渡ってくるようだった。


「あなたが……前に……」


「ええ、前回は突然でしたね。でも、貴方にはすでに()()()()があるように見えました」


 フウは警戒するように、渉の首元から胸元へするりと滑り降り、ジャケットの影に身を潜めた。その動きに、水の精霊が一瞬だけ視線を向ける。わずかに眉をひそめたものの、何も言わず、その表情をすぐに静けさに戻した。


「……やっぱり、わかるんだ、あたしのこと」


 フウが小さく呟く。その声には、ほんの少しの緊張と、混じりけのない自覚があった。精霊界でも“記憶樹種”と呼ばれる彼女の存在は、本来なら避けては通れない特異点だ。


 だが、水の精霊は柔らかく微笑み、言葉を紡いだ。


「心配しないでください。()()()()()が敵ではないことは、わかっています。ただ……少し、警戒しただけ」


 渉は息を詰めたまま、ゆっくりと頷いた。


「この地の“大地”……特に表層から深くまでの土のバランスが、乱れています。自然に巡るべき力が偏り、根や地脈が落ち着きを失いかけている」

 

「乱れているって、一体どういうことですか?」

 

「……わたしにも全ては分かりません。ですが、これは自然な崩れではなく、“誰かの意図”によって生じた歪み。そんな気がしてならないのです」


 その言葉を聞いた瞬間、フウがぴょこんと飛び出した。


「ほら、やっぱり! あたし言ったよね、何か仕掛けられてるって! 人間って、すぐ“便利のため”とか言って土や水をいじるんだもん。そりゃ歪むに決まってる!」


 小さな両手を腰に当て、まるで勝ち誇ったように水の精霊へ同調するフウ。その声音には、軽口以上の確信めいた熱が宿っていた。


 渉は唇を引き結び、反論もできずにただ耳を傾けるしかなかった。


 水の精霊は、ゆっくりとうなずくと、今度はまっすぐに渉の瞳を見つめた。


「……貴方の力が、この地にとって()となるでしょう。次に起こることは、均衡を保つための最後の“兆し”になるかもしれません」


 その声は風に溶け、霧のように消え入った。気づけば、その姿は再び木々の向こうへと消えていた。


 静まり返った境内に、渉とフウだけが取り残されていた。

 

 *


 水の精霊の姿が霧のように薄れたかと思えば、再び木々の間からその声が響いた。


「……もう少し、見ていただきたいものがあります。どうか、こちらへ」


 導かれるように、渉とフウは境内の奥へと足を進めた。社殿の脇にひっそりと佇む小さな池。その水面は夕刻の光を受け、茜に染まりつつある空を映し出していた。


 水の精霊は池の縁に静かに佇み、すっと手を(かざ)す。すると、風がぴたりと止まり、池の水がまるで呼吸を忘れたかのように、凪いだ。


「この地で起きていることを、貴方にも見ておいてほしいのです」


 その言葉とともに、水面が鏡のように変化していく。まばゆい光が一閃し、やがてそこに浮かび上がったのは、山の斜面を削る重機の姿だった。


 整地された土地には、資材が積み上げられ、簡易の足場が組まれた作業区画がいくつも並んでいる。看板が風に揺れ、「未来リゾート構想エリア:別荘地・温泉施設建設予定地」と示していた。


「これはっ……あなたのいう()()()()()とは、この開発のことですか? 御神木の枯死はこれが原因だと?」


 水の精霊に視線を向けると、彼女は水面を見つめるだけだった。

 

「でも事前の環境調査では関係なしという結論が出ている。クスノキと開発の因果は認められないっていう報告を――」


 水面をのぞき込んでいたフウが、肩越しに呟く。


「だよね〜。でもさ、人の調査って()()()()()()()しか測ってないでしょ? 精霊的にはぜんっぜん違うのかもしれないよ」


 少しだけ渉を見上げるようにして、フウは真面目な声を挟んだあと、すぐに口元をゆるめて続ける。


「クスノキさん、超頑固そうだったし。あ、でも根っこは案外柔らかいのかな? 掘られたら『痛いわい!』とか言って怒りそうなのに」


 おどけた調子に苦笑しかけた渉だったが、その後に落とされた小さな一言が胸に残った。


「……でもね。傷ついてるのに、声をあげられない子っているんだよ」


「そんな……」


 フウの言うことにも一理ある。見えているものでしか判断していない。頭の中で、報告書の数値やグラフがよぎったが、それでも“聞こえない沈黙”の違和感を否定できなかった。


 さらに水の精霊が、静かに語りかける。

 

「地元の人々の中でも、意見は分かれています。経済を立て直したい者、自然を守りたい者……どちらも、この地に根を張って生きる人々の声です。その声は御神木にも届き、木はその混乱に苦しんでいます」

 

 水鏡の中で、住民説明会らしき場面が映し出される。怒鳴り合う青年と老人。静かに涙をこぼす若い母親。その傍で、うつむいたまま拳を握り締める年配の男性。誰もが、正しさと迷いの狭間に立っていた。

 

 渉は唇を引き結び、水面をじっと見つめた。

 自然の流れと人の都合が、ぶつかり合うようにして軋み始めている。その軋みが御神木を蝕み、枯死を招いている——それはこの土地に限った話ではない。どこにでもある、争いが生む衝突の形のひとつだ。


 しかし——この場所が異常なのは、植物たちが、誰一人として何も語ってくれないことだ。

 根を張り、葉を茂らせ、この土地のすべてを知っているはずの木々が、まるで息を潜めるように沈黙している。


 ……なぜ、何も教えてくれないんだ?

 

 沈黙する理由がわからない。だからこそ、確かめなければならなかった。

 報告や数字だけではなく、目に見えない声の在処を一つひとつ、辿っていくしかない。

 

 そんな渉の意識に、水の精霊のささやきが重なった。

 

『——あなたは、花守り。人と緑のはざまで耳を澄ます者……。だからこそ、私たちは期待しているのです』


 花守り……そんな資格があるとは思っていない。けれど科学者として、このまま放っておくわけにはいかない——そう、静かに決意した。


 *


 夜。山の麓にある宿の縁側で、渉とフウは並んで空を見上げていた。

 風鈴の音がかすかに揺れ、虫の声が背景に溶けている。


 フウはセレス姫の姿のまま、浴衣の袖のようなドレスをひらひらさせながら、気持ちよさそうに風にあたっていた。


「……フウ、今日の君、ちょっと……いつも以上に支離滅裂だったよ」


 隣でぼそっと渉が漏らす。フウはくるっと彼の方を向き、少し頬をふくらませる。


「えー? あたしなりに頑張ってたんだけどな。枝も声もちゃんと観察してたし!」


「観察っていうか……なんかずっと空に手振ってただろ。あれ、誰に向かって?」


「うーん、なんか視線を感じたんだよね。たぶんね、山の上に“何か”いた!」


「それが一番怖いんだけど……」


 渉が溜息をついたのを合図にするように、フウはふふっと笑い、月を見上げた。


「でも……来てくれてよかった。ちょっとだけ、心強かった」


 フウは一瞬ぴくりと耳(のような飾り)を動かす。


「ちょっとだけ? 渉、もっと素直に言ってくれていいのに〜」


「う……うるさいな……」


 そう返しながらも、渉は少し間を置いて、そっと口を開いた。


「なあ、フウ。フィギュアの体で動けるって……どういう仕組みなの?」


 フウは、ぱちくりと瞬きをして、それからにこっと笑った。


「“枝分(えだわ)()”っていうんだよ。自分の意識を枝みたいに伸ばして、別の器に宿すの。あたしの本体は研究室の鉢にいるけど、こっちはその一部。つまり、枝分けした体なの」


「へえ……そんなこと、精霊って普通にできるの?」


「んーん、誰でもってわけじゃないよ。あたしは“古種”だからできるけど。それに今の精霊界じゃ、もうこの技術は残ってないかもね〜」


 フウは軽く肩をすくめ、誇らしげに胸を張った。


「つまり……君って、結構レアものなんだね」


「うん、めっちゃレア! だからちゃんと大事にしてね?」


「……あ、ああ」


 風鈴の音がチリンと静かに二人の間を通り過ぎていく。


「ねえフウ。神社で会ったあの水の精霊のこと、君はどう思った?」


 縁側の隣で風に吹かれていたフウが、ふわっと顔を上げる。


「うーん……あの子ね。正直、ちょっと印象が薄いかなー。見た目も綺麗だったし、受け答えもちゃんとしてたけど……なんだろう、すごく(なら)された感じ。記憶にひっかからないというか」


「僕は逆に、なんか引っかかった。うまく説明できないんだけど……勘、みたいなものかもしれない」

 

 自分でそう言いながら、渉は小さく眉をひそめる。

 勘――だなんて、科学者らしくないことは分かっている。普段なら数字や証拠を拠り所にするはずなのに、あの水の精霊には言葉にできない“距離”のようなものを感じてしまった。理屈ではなく、ただの直感。

 けれど、その感覚を無視できなかった。

 

 渉の言葉に、フウはうっすら目を細める。

 

「水の精霊だけじゃなく、どの精霊も基本的には真面目で誠実なの。特に“古い場所”に現れる子は、掟や秩序を重んじる傾向が強い。だから人間に対しても、嘘をついたり裏でこそこそ動いたりなんてしないよ。……普通はね」


「普通は……?」


「うん、まあね。どんな属性にも、ちょっと変わった子はいるの。あたしみたいに……」


 フウは小さく肩をすくめて笑った。渉もつられて少し口元を緩める。


「でも……信じていいと思うよ。少なくとも、あの子は言葉の端々に嘘はなかった。……たぶんね」


 フウの最後の言葉は、風鈴の音に紛れて消えていった。

 渉は小さく息を吐き、空に浮かぶ月へと視線を移す。胸の奥にしこりのように残っていた不安が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

 

 ……そのとき。

 

 山の向こうから、冷たく湿った風がふわりと吹き寄せる。

 縁側の簾が揺れ、夜気がざわついた。まるで、目に見えぬものがゆっくりと動き出す前触れのように。

 

 二人は自然と口を閉ざし、視線を風の方へ向ける。

 ——まだ、始まったばかりなのかもしれない。

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