颯汰と姫と昼下がり
このお話は、本編との間話になります。
颯汰が主役のお話です。
昼下がりの研究室は、時計の秒針と換気扇の音しか聞こえない。
柳教授と渉先輩は植物庁へ出かけていて、戻るのは夕方になるらしい。
つまり——いまこの研究室には、颯汰しかいない。
机に突っ伏しながら、おもむろにポケットからスマホを取り出した。
もちろん研究室でゲームするなんてダメだとわかっている。
でも今日だけは大学寮に着くまで我慢できないのだ。
人気スマホゲーム『アーク・クロニクル・アイリス』のアイコン――アイリスの花に氷と星がデザインされたブルーのアイコンをタップした。
ダウンロードの進捗を知らせる青色の帯が少しずつ伸びていく。
ようやく終わった長めのロードのあと、豪華な更新告知が表示された。
「……来た……!」
今日は大型アプデ実装日。
新ストーリー、バトルシステム改修、そして——セレス=アルフィリア姫専用の限定衣装ガチャ。
画面の中、姫は薄緑のドレスに透明な羽衣をまとい、銀髪を風になびかせていた。イベント専用の表情差分、戦闘開始モーション、そして新規収録ボイス。
姫がふとこちらを見て、低く澄んだ声を響かせる。
『……私の力が必要ですか?』
「ふおおお……」
颯汰は夢中でストーリーを読み進める。
画面の中で、セレス姫は古びた神殿の廃墟を歩いていた。
苔むした石段を静かに上り、揺れる光の柱の下で足を止める。
『……ここは、封じられた場所』
その声はかすかに震え、普段の冷静な調子とは異なっていた。
目の前に現れたのは、氷の結晶で覆われた封印の扉。
セレスは杖を掲げ、指先から淡く輝く魔法の氷を放つ。
『——私の使命は、この封印を護ること』
しかし、どこか哀しげな声が続いた。
『だが、その力が暴走した時、私は止める者として立たねばならない』
次の瞬間、封印の結晶がきしみ、微かな亀裂が広がる。
敵の気配が迫る中、セレスは一歩前へ進み、杖を構えた。
『私の氷の刃が、真実を切り裂く』
画面のテキストが表示される。
――イベントクエスト「氷の刃、封じられし想い」開始――。
颯汰は息を呑みながら、スマホの画面を見つめた。
ゲームの中の物語が、単なる“演出”ではなく、姫の深い想いを映しているようで胸が熱くなる。
だが、頭の中に突然、細い声が流れ込んだ。
『……可愛い……』
「うおっ!?」
心臓が跳ね上がる。
この研究室には、自分しかいないはずだ――いや、例外がひとつあった。
「お、おい……フウか? やめろって、頭の中に直接話しかけんな! ゾワッとすんだよ!」
フウは精霊界の古種で、記憶樹種に分類される。中でも珍しく、そして扱いが難しい存在らしい。
前回の調査で渉先輩と一緒に空き地を調べた時、見つかって、そのまま研究室で預かることになった。
『えー、別にいいじゃん』
「よくない! ちゃんと口で言え!」
観葉植物の鉢が、わずかに葉を揺らした。
「……可愛い」
今度は空気を震わせる声が部屋の中に届いた。
「だろ? セレス姫は世界一可愛いんだよ」
「セレス……姫?」
「お前、知らないのか!? セレス=アルフィリアは、このゲームのヒロインで、精霊使いの姫様だ。寡黙で神秘的で、でも芯が強くて……それでいて戦闘力も高い。氷と風の魔法を操って、パーティを何度も救ってくれたんだぞ。俺がどんだけ——」
「ふーん」
「“ふーん”じゃない! セレス姫はな、ただ強いだけじゃない。イベントストーリーじゃ、仲間のために危険な場所へ一人で行くし、感情を表に出さないのに時々見せる笑顔が——」
「……可愛い」
「そう、それ!」
画面の中では、戦闘シーンに突入。姫が杖を構え、淡い光の魔法陣が広がる。
『……氷よ、我が剣となれ!』
氷の槍が敵を貫き、キラキラと破片が舞う。鳥肌が立つ。
その時、颯汰の後ろから画面を覗くかのように葉を広げていたフウが、ぽつりと言った。
「それじゃ全然ダメだよー」
「はぁ!? 何がダメなんだよ」
「その魔法、もっと溜めてから使えばダメージが上がるのに。あと、その敵は物理攻撃の方が効くよ?」
「……お前、今見始めたばかりだろ!? どこで覚えたその知識!」
「あたしを誰だと思ってんの? そんなの見ればわかるよー。もっと上手く動かせば、あの姫、もっと強いのに……」
なんかムカつく。
けれど颯汰は小言をいう代わりに、机の端に目をやった。
そこには、イベント限定の「幻の森カラーver」のセレス=アルフィリア姫フィギュアが誇らしげに立っていた。
普段はブルーのドレスに銀の装飾をまとっている彼女だが、フィギュアは澄んだ薄緑のドレスに包まれている。まるで春の森の光を纏ったかのように、その姿はいつもとは違う柔らかく神秘的な輝きを放っていた。
つまり、これは限定仕様のセレス姫。大型アップデート前のファンサービスイベントで抽選に当たって手に入れたものだった。運を全部使い果たしたと思うほどの幸運だったが、それだけに価値も格別だ。
「俺の人生の運、ここで全部使い切った気がする……」と苦笑しながらフィギュアを撫でた。
部屋の中で唯一無二の宝物。これを見るたび、ゲームの世界にあるセレス姫の強さと静かな決意が思い出される。
「もっと俺が強くならないと、この姫の輝きに負けないようにな」
窓からの光を受けた羽衣がきらりと揺れ、ほんのわずかに姫の笑みに生気が宿ったように見えた。
颯汰はまだ、この昼下がりのやりとりが、後に思わぬ形で響いてくることを知らなかった。
<颯汰と姫と昼下がり 了>
次回、第三章「御神木のクスノキ」へ突入!




