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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第二章 暴れる空き地

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第七話 記憶を抱く芽

 朝の光が差し込む小さなアパートの一室。

 渉はベランダに置いた植木鉢の前でしゃがみ込んでいた。昨日まで双葉だった芽は、今朝はさらに背を伸ばし、葉も一枚増えていた。まだ幼いが、そのたたずまいには、妙に凛とした品格がある。


 そっと手を伸ばすと、葉がかすかに震えた。


『おはよう、渉。今日は連れてってくれるの?』


 それは頭に響くような、小さな鈴の音のような声だった。

 渉は思わず周囲を見渡し、誰にも聞かれていないことを確認してから、声を潜めて答える。


「……やっぱり、君が箱の中にいた“古種”なんだね?」


『さあ? どうでしょうねぇ。もしかしたら似た誰かかも?』


 芽はひらりと風に揺れた。とぼけた口調に、渉は苦笑した。


「じゃあ聞くけど……君は、何を知ってるんだい? あの土地に封印された理由とか、僕の“耳”のこととか」


『んー……知ってるけど、まだ全部は言わない。だって渉がまだ、全部受け取る準備できてないから』


 その言葉には、どこか保護者めいた優しさが滲んでいた。

 けれど、渉は言葉に詰まる。「受け取る準備」という響きが、自分の未熟さを突きつけてくる。


 しかし、今は問い詰める時ではない。

 渉は覚悟を決め、植木鉢を丁寧に抱えた。


「じゃあ、行こう。君も研究室で診てもらおう。ちょっと騒がれるかもしれないけど」


『わー、見世物扱い……こわいこわい。優しくしてね?』


 古種の声は冗談めかしていたが、どこかで本当に怯えているようにも聞こえた。


 渉はリュックに小さなタオルを敷き、植木鉢を丁寧に収めた。芽が揺れないように固定してから、そっとチャックを閉める。


『ちょっと狭いけど……まあ、いいか。渉のぬくもり付きなら我慢しよう』


「我慢してくれると助かるよ」


 冗談めかしつつも、渉の胸には妙な緊張があった。これからこの“植物”を教授たちに見せる――いや、報告する。そして、事の始まりを話すことになる。


 大学へ向かう電車の中、渉は何度も言葉を選び直した。リュックに入っていた? 話しかけてくる? 冗談だと思われてもおかしくない。


 だが――。


 それでも、伝えるべきだと感じていた。


 *


 研究室の扉を開けた瞬間――ざわっ


 空気が揺れた。


 渉が一歩踏み入れると、周囲の植物たち――観葉植物、研究用の草本、温室から取り寄せた種子までが、一斉に反応を示した。


 葉が微かに震え、茎がわずかに傾き、まるで一斉に「見ている」かのようだった。


「……っ!」


 颯汰がいち早く顔を上げ、渉を見た。

 そして、目を見開く。


「……ちょ、まって……先輩……!」


 声が裏返るほどの驚きと、目の奥には見え隠れする“本能的な警戒”があった。


 渉はリュックを下ろし、中から植木鉢を取り出す。


「昨日の夜、リュックから出てきたんだよ」


「え? 先輩のリュックに? これが?」


「……いや、正確には、“種”の状態で、手の中で脈打っていて……それで植えたら……」


 そこまで言って、渉は言葉を濁した。さすがに“話しかけてくる”とはすぐには言えない。


 颯汰がさらに近づき、慎重に植木鉢をのぞき込んだ。芽を見つめたその表情には、いつもの陽気さはなかった。


「やば……これ、たぶん、伝承とかに出てくる……“|記録樹種『きおくじゅしゅ』”とかいうやつじゃないかな」


「記録樹種……?」


「俺も詳しくは知らないけど、幻の古代精霊界とか、異界の文献にちょっとだけ出てくる。“知識の種”って言われてて、育てば過去の出来事とか、精霊の記憶を話すって……」


 渉は驚いて目を見張った。


「なんで颯汰、そんなに詳しいんだ……?」


 颯汰はわずかに目を伏せ、肩をすくめてごまかすように笑った。


「え? あはは、いや、前に民俗植物学の授業でさ。レポートで扱ったことがあって……教授の話をちゃんと聞いてた成果、ってことで」


 その笑顔はやけに無理があり、どこかぎこちなかった。


 その時、奥の机で資料に目を通していた柳教授が、ゆっくりと顔を上げた。


「……集音路くん。それは、例の木箱にあったものですか?」


 声色はいつもと変わらないが、その目の奥に、かすかな緊張と読みきれぬ探究の色が宿る。

 渉が頷くと、教授は静かに椅子を引き、無言のまま近づいてくる。


 植木鉢の前にしゃがみ、教授はそっと手をかざした。


 その瞬間――。


「……お久しぶりですね、柳博士」


 柔らかな声が、教授の掌に触れるように響いた。


 渉と颯汰が一斉に教授を見つめる中、柳教授はほんのわずかに目を見開き、眼鏡を押し上げながらゆっくり言った。


「……ああ。“君”だったのか」


 渉は思わず問いかける。


「えっ、知ってるんですか?」


 教授は渉を見ず、まだ芽に手をかざしたまま、小さく頷く。


「……以前、ある古い協定を調べていたときに、特異な“記録媒体”として言及された存在と、偶然――ほんの一瞬、接触したことがあります。まさかまだ実在していたとは……」


「記録媒体……?」


「名前は明かされていませんでしたが、“知識を記録し、時を越えて語る者”だそうです。人に対して言葉を選び、必要なことしか話さない。……それは、誰の記憶を守るためなのか……私には分かりません」


 植木鉢の中の芽が、そよぐように揺れた。


「……人間は、すぐに壊れてしまうから。でも……渉は、ちょっと違う匂いがする」


 その言葉に、教授はふと目を細めたが、何も言わなかった。


 *


 記録樹種を囲んで沈黙が降りた。


 その沈黙を破ったのは、柳教授だった。

 目を細めながら、静かに渉と颯汰に向き直る。


「……少しだけ、彼女と二人にしてもらえませんか? 少し話をしたいので」


 その声は穏やかだったが、どこか“拒めない空気”を纏っていた。

 颯汰は一瞬だけ渋い顔をしたが、渉と視線を交わし、小さく頷いた。


「……わかりました。じゃあ、食堂にでも行ってきます。先輩、行こ?」


「あ、うん……」


 研究室を出る際、渉はちらりと植木鉢を振り返った。

 記録樹種は、葉を揺らしていたが、それはまるで何も語らぬ意志表示のようだった。


 *


 食堂で軽く昼食を取りながら、渉と颯汰は先ほどのやりとりを振り返っていた。


「柳教授って……何者なんだろうね」


 渉がつぶやくと、颯汰はアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、ぽつりとつぶやいた。


「……なんか、人間っぽくないというか。あの人、本当はもっと違う何かなんじゃないかな。……冗談だけど、昔話に出てくる賢者とかさ、そういう系の」


 軽く笑おうとして、言葉の尾が消える。

 渉はそんな颯汰の横顔を見つめながら、心の奥にわずかなざわめきを感じていた。


 *


 一時間ほどして研究室に戻ると、空気は明らかに変わっていた。


 今朝、この部屋へ入ったときのような緊張感はなく、記録樹種はただの静かな観葉植物のように、鉢の中で穏やかに佇んでいる。


「……あれ?」


 渉が近づくと、記録樹種がほんの少し葉を揺らした。

 けれど、あのときのような声は返ってこない。


 代わりに、柳教授が優しい口調で言った。


「話は済みました。彼女は、今後も集音路くんと一緒に過ごしたいとのことです。それが、彼女なりの“条件”のようですね」


 その言い回しには、どこか苦笑を含んだ余韻があった。


 颯汰が小声で渉に耳打ちする。


「……結局、教授って何者なんだよ」


 渉は答えられずにいた。だが、柳教授はどこか思案深げに彼らを見つめたのち、言葉を継いだ。


「記録樹種は、知ってはいけないことも知っている植物です。……だから私は、彼女に|1『・』|つ『・』|だ『・』|け『・』お願いしました。君がその“答え”に向き合う準備ができるまで――すべては語らないようにと」


 その瞬間、記録樹種が軽く葉を揺らした。


『うん、約束した。……でも、渉にはちゃんと伝えるよ。誰でもない、“渉”としてね』


「……ありがとう」


 思わず声に出してしまい、渉ははっとして口を押えた。


「先輩、今の……誰か入ってた?」


 颯汰が不思議そうに渉を覗き込む。


「……いや、なんでもない。ちょっと、考え事してただけ」


 ごまかすように笑った渉に、颯汰は少しだけ眉をひそめながらも、それ以上は追及しなかった。


 *


「……よし!」


 突然、颯汰が手を打った。


「え?」


 渉が目を瞬く。柳教授もわずかに眉を上げる。


「この子、名前つけよう! “記録樹種”って言いにくいし、なんかこう、呼びにくいっていうか、植物っぽくないし」


 そう言って颯汰は、植木鉢の前にしゃがみこみ、真剣な顔で芽をのぞき込む。


「君、名前ってある? それとも、呼ばれたい名前とか……ある?」


 しばらく沈黙があったが、芽がふるりと揺れ、やわらかな声が響いた。


『……あったけど、もう古いから。それに、今は“渉のそばにいるわたし”だから、新しくてもいい』


 その声は、まるで風のように、渉の胸の奥へすっと入り込んできた。


「……っ」


 隣で軽く口を開いた颯汰が、ふと動きを止めた。何かを言いかけて、だが、すぐにその唇を閉じる。


 そして、ぎこちなく渉の方をちらりと見た気がした。


「先輩……いまさ、なんて言ってた? この子」


 渉は一瞬、返答に戸惑った。


 ――え、今の、聞こえてた……?


 だが、颯汰の顔は無邪気そのもので、ただ興味本位で訊いたようにも見えた。


「えっと……“新しくてもいい”って」


「おお、前向き〜。そうこなくっちゃ!」


 颯汰は腕を組んで考え込む。


「見た目はまだ芽だけど……そのうち、どんなふうに育つんだろうな。背が高くなる? それとも低木っぽい感じ?」


 『さあ。今の世界の空気、まだよくわからない。でも、風は気持ちいいね』


 記録樹種――いや、芽の声は、どこか楽しげだった。


「今の世界の空気は、まだよくわからない……って言ってる」


 颯汰はその様子に満足げにうなずくと、ぽんと手を打った。


「じゃあ、仮で“フウ”ってどう? “風”の“フウ”。なんか軽やかで、でもちゃんとこの場所に根ざしてる感じがするし。あと、“ふう……”って深呼吸したくなる名前って、なんか癒やし系っぽくない?」


 芽が、ふるふると揺れる。


 『ふう……ふう。うん、気に入った。じゃあ、今日から“フウ”』


「気に入ったってさ」


「決定〜!」


 颯汰が勝手にまとめてしまうと、渉は苦笑しつつも、芽――フウを見つめた。


「……じゃあ、よろしくな、フウ」


 『うん、こちらこそ』


 柔らかな風がふと、研究室の窓から吹き込んできた。

 揺れる葉先が、まるで笑っているように見えた。

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