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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第二章 暴れる空き地

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第五話 掘り起こしの決意

 空き地から戻ると、渉と颯汰は、すでに夕暮れが差し込む研究室に足を踏み入れた。

 壁に掛けられた植物図鑑や標本が静かに並び、部屋全体に知識の香りが漂っている。

 机の上には柳教授が並べた資料とノートが広げられ、まるで二人の帰りを待っていたかのようだった。


「集音路くん、桃くん。お疲れ様です。早速ですが、現地調査の報告を聞かせてください」


 柳教授はいつもと変わらぬ穏やかな声音で問いかけた。だがその語尾には、わずかに熱を帯びた響きがあった。


 渉は深く息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「草たち……いえ、現地では封じられた“芽”について、神社で確認を取りました。宮司の話では、掘り起こすのは危険だと……。でも僕は、危険を承知の上で、それでも掘り出すべきだと思っています」


 その隣で、颯汰も力強く頷いた。


 柳教授は黙って頷き、書棚から古びた書物を一冊取り出すと、机にそっと広げた。


「封じられた“芽”……それはつまり、君たちは、それが古種(こしゅ)とみなしているのですね?」


「はい、そうです」


「その根拠は?」


「それは……」


 渉が口ごもると、教授は言葉を重ねる。


「古種とは、太古の植物が変異し、異常進化した種のこと。もし制御を失えば、生態系に甚大な影響を及ぼす可能性があります。掘り起こすとなれば、ただの発掘では済みません。植物の暴走リスク、周囲の環境汚染、生物への影響……。専門的な監視体制と、封じ込めの手段が必須です。それでも、発掘すべきだと?」


 渉はその問いの重さに肩を強張らせた。それでも、教授の目を見据えて答えた。


「……それでも掘り起こさなければ、問題は解決しないんです」


 沈黙のなかで、柳教授はふっと表情を和らげた。


「なぜそこまで、固執するのですか? 君らしくないですね、集音路くん」


「それは……」


 渉は視線を落とし、喉元まで込み上げる迷いを押しとどめながら、ようやく言葉にした。


「それは……僕には、植物たちの声が聞こえるんです。……彼らが何を思い、何を恐れているのかが、わかるんです。そして古種についても、外へ出たいと()()()教えてくれました」


 言い終えた瞬間、部屋の空気が微かに震えたような気がした。口にしてしまってから恐れと葛藤が、声の端々に滲んでいく。


 ――草が教えてくれた。

 ――植物の声が聞こえる。


 研究者としてあり得ないことを言葉にしていることは分かっているつもりだ。否定されても仕方がない。それでも、これ以上はもう隠し通せないと思った。


 しかし、柳教授はただ静かに微笑んだ。


「やはり……そうでしたか」


「えっ……?」


 渉は思わず声を上げた。


 教授は頷き、懐かしむように語り始めた。


「……君が初めてここへ来たあと、観葉植物の花がぽつぽつと咲き始めたんですよ。不思議でしょう? でも私は、そのときから薄々感じていました。君には何か特別な力があるのだろうと」


 渉は言葉を失い、ただ教授の顔を見つめる。


「けれど、私は君が自ら話し出すのを待っていました。自分の力を認め、受け入れる準備が整うのをね。科学の領域を超えた存在は、時に恐れられ、誤解されます。だが君は、それを理解し、制御しようとしている」


 教授の視線は優しく、それでいて厳然とした確信を宿していた。


「だからこそ、君には“科学”の力も必要です。感情だけでなく、理性も持たなければならない。私はその橋渡し役でいたいのです」


 渉は深く息を呑み、震える声で応えた。


「教授……ありがとうございます。正直、僕は怖いです。でも逃げたくない。ちゃんと向き合いたいんです」


 すると隣の颯汰が、ぽつりと呟いた。


「先輩のその覚悟、ちゃんと伝わってくる。人の言葉じゃなくても、ね」


 その言葉に、教授も小さく頷いた。そしてそっと渉の肩に手を置く。


「怖いのは当たり前です。しかし、それこそが君の成長の証。私は、君の味方ですよ」


 颯汰がいたずらっぽく笑って、拳を握る。


「先輩、俺たちで未来を変えよう!」


 夕暮れの薄明かりの中、三人のあいだには確かな連帯感が宿っていた。

 それは単なる研究の枠を超え、新たな希望の芽吹きを予感させるものだった。


 *


 夕日が差し込む研究室。木の葉が風にそよぎ、静かな時間が流れていく。柳教授は机の上に資料を広げ、真剣な表情で目を通している。


「私から植物庁に掘削(くっさく)の要請をしておきましょう。ただ久野嶋市役所や住民が納得するかどうか……良い案はありますか?」


 その言葉に、渉は黙り込み、視線を落とす。


「やっぱり……ただ“井戸を掘る”というだけでは、納得してもらえませんよね」


 教授は小さく頷き、資料のページをめくった。


「掘削には行政の許可が必要でし、民間地なら土地所有者の承諾も欠かせません。それに、掘る理由が“古い種を探す”だけでは、科学的根拠に乏しい」


 そこで颯汰が前のめりになる。


「だったら、“かつて育種試験場があった可能性がある”って方向からアプローチできませんか? 正式な記録はなくても、地元の証言や神社の記録が残ってますし……」


「記録がないというのは、逆に言えば“確定できていない”ということですからね」と教授が穏やかに言葉を継ぐ。


「現地で局地的な植生異常が観測されているなら、それを“有害物質あるいは旧時代の土壌改変の影響”と仮定すれば、土壌調査としての掘削が可能です。特に保養所跡地は、過去の用途が一部不明ですから」


「そこに“環境変異リスク調査”を加えられますか?」と渉が付け加える。


「近年、局所的に植物の成長パターンが乱れているという報告はあります。僕たちが調査中、異常な反応を確認した――という形なら、筋は通ります」


 教授の頬に微かに笑みが浮かぶ。


「悪くないですね。それなら植物庁も、行政も理解しやすいでしょう。ただ、住民への説明には誠実でなければなりません。“安全調査”という名目は虚偽ではないし、正直な方がいい」


 渉はまっすぐに頷いた。


「……はい。説明は、僕たちで引き受けます」


 教授は渉を見つめ、しばしの沈黙ののち、静かに口を開く。


「わかりました。私の方で植物庁の認可手続きを進めましょう。市役所にも文書を送っておきます。君たちは現地の理解を得る準備をしておいてください」


「ありがとうございます、教授」


 教授は声を低くして言った。


「集音路くん。この道は、君が思っている以上に責任を伴います。でも、今の君なら耐えられると私は信じています。だから託します。……正しく、選びなさい」


 その言葉に、渉は自然と背筋を伸ばし、しっかりと返す。


「……はい。わかりました」


「桃くん、君もですよ!」


 すでにコートを羽織っていた颯汰が、驚いて振り向く。


「はい! 任せてください!」


 彼の明るい声に、場の空気がほんの少しやわらいだ。


 窓の外で、風に揺れる梢が、静かに次の季節の兆しを告げていた。

 

 *


 翌日、渉と颯汰は久野嶋市役所を訪れた。

 平日の昼下がり、庁舎内には穏やかな空気が流れている。環境衛生課の一角に案内されると、以前にも対応してくれた柔和な職員・新井が出迎えてくれた。


「お久しぶりです、集音路さん……それに、桃木さん、でしたね?」


 穏やかな笑顔で迎えられ、渉は深く一礼する。


「お時間をいただきありがとうございます。今日は、以前お話した空き地――旧保養所跡地の件で、正式にご相談を」


「はい、お聞きしています。植物庁経由で申請書が届いています。『旧保養所地跡の地下調査許可願い』……正直、最初に読んだときは驚きました」


 新井は手元の分厚い資料の束を取り上げながら、目を細めた。


「植物の根圏(こんけん)異常、地中反応の調査……うまい文言ですね。柳教授の文案でしょうか?」


「はい。教授が、植物庁を通して正式に動いてくださいました」


「なるほど……。ですが、掘削となると、市としても慎重にならざるを得ません。重機を入れるという話ですよね?」


 渉は小さく頷いた。


「はい。ただし、周囲の安全と影響を最大限配慮したうえでの作業を計画しています」


「地中の状況が見えない以上、“未知”であることのほうが危険です。だからこそ、正確な調査が必要なんです」と颯汰が続けた。


 新井はしばし考え込むように腕を組み、それから言った。


「……空き地とはいえ、市有地です。周辺住民への説明、工事による通行や騒音への配慮も必要です。掘る、となると、町の人たちにも事情を説明する必要があります」


「もちろんです。説明会の開催や資料配布など、こちらで責任を持って対応します。住民の理解が得られないまま進めるつもりはありません」


 渉の真剣な声に、新井の表情が少し和らいだ。


「……そうですか。実は、私もあの場所には少し思い出があって。子どもの頃、あの辺りはまだ“立入禁止”の看板が立っていたんです。誰も理由は知らなかったけど、なんとなく近寄っちゃいけない空気があって……」


 記憶をたどるように目を細め、新井は静かにうなずいた。


「わかりました。市の内部で再確認のうえ、仮承認を出す方向で進めます。ただし、正式な承認には住民説明が条件です。少人数でも構いません、必ずその機会を設けてください」


「はい、ありがとうございます……!」


 渉が深々と頭を下げ、隣で颯汰もほっとした表情を浮かべる。


 書類を閉じながら、新井はぽつりと言った。


「掘り返すのは“昔の何か”だけじゃなくて……この町が、記憶の奥に仕舞い込んでしまった“忘れもの”かもしれません。どうか、気をつけて調査してください」


 その言葉には、不思議な重みと温かさがあった。


 こうして、渉たちは市役所からも調査の仮承認を得ることができた。


 *


 市役所での手続きを終えた翌日。渉と颯汰は、掘削予定地である旧保養所跡地へと足を運んだ。


 すでに通い慣れたとはいえ、何度見てもこの空き地は荒涼としいる。

 ただ草たちだけは、心なしか最初に訪れたときとは違っていた。


「最初は気づかなかったけど……ここ封印の地なんだよね」と颯汰が静かに言う。


「町の公式記録では、“保養所跡地”というだけで、それ以前の利用は不明。でも……あの宮司さんの話と古文書を考えると、やっぱりここに何か埋まってる」


 渉は地面にしゃがみ込み、土に手を当てる。しばらく目を閉じて耳を澄ますが、植物たちの声は不穏に沈黙していた。


「……音が、歪んでる。まるで耳をふさがれてるみたいだ」


 颯汰も小さくうなずいた。


「この上に生えてる草、見たことない種類だ。変異かもしれない。場所によっては異常な根張り方してる。地面の下、何かが膨張してるような……そんな感覚」


 渉は立ち上がり、ふたりは黙って敷地の周囲を歩いた。


「……やっぱり、早く掘らないと。ここはもう、長く持たないかもしれない」


「うん。できるだけ早く住民に説明しよう」


 決意を新たにする二人の足元で、風に揺れる草たちが、ひそやかに身をよじっていた。


 *


 仮承認を得た二週間後の午後、久野嶋市公民館の一室に、小さな住民説明会の会場が設けられた。

 折り畳み椅子が整然と並べられた空間には、近隣の住民を中心に十数人が集まり、町はずれの空き地について語られるという珍しい会に、静かな期待と少しの不安が漂っていた。


 前方の壁には、柳教授が準備した簡易パネルと、調査対象地の現地図。それに重なるように空撮写真が貼られ、その傍らの机には、説明資料のコピーが積まれている。渉と颯汰はその前に立ち、住民の到着を見守っていた。


 やがて、少し遅れて現れた新井が、進行役として前に出た。


「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。今回ご説明するのは、篠月(しのつき)町の北部にある空き地――清和療養施設の跡地として知られている場所についてです」


 新井の声は穏やかで、よく通る。

 人々の視線が、静かに集まっていく。


「現在、その土地の一部において、植物庁および大学研究機関より、地下の安全性や生態系に関する調査依頼がありました。本日は、その目的と方法についてご説明し、ご理解をいただきたく思っております」


 そして、バトンが渉たちへと渡された。


「……こんにちは。植物医として活動しております、集音路渉と申します。こちらは、同じ研究室に所属する後輩の桃木颯汰です」


 頭を下げた渉の声は、やや緊張しながらもはっきりと響いていた。


「私たちは、今回対象となる空き地の植物群において、通常では見られない根の異常反応や、特異な地中反応を確認しました。これらの現象は、地下に“植物由来の構造物”が存在する可能性を示唆しています」


 ささやかなざわめきが、部屋の中を走った。


「もちろん、現時点では危険物の存在を示すものではありません。ただ、その場所はかつて結核保養所が存在したと記録されていますが――それ以前、土地の利用に関する正式な行政記録は残されていません」


 渉は、一呼吸おいて続けた。


「しかし、久野嶋神社に残されていた古記録の中に、この空き地に“何かを埋めた”という文言が見つかりました。記録の真偽を検証するためにも、安全に地中を確認する必要があります」


 すると、一人の年配女性が静かに手を挙げた。


「……ずっと前から、あの場所は“近づくな”って言われてました。理由も聞かされず。ただ、怖いって……そう言われて育ったんです。今になって急に“掘る”と言われても、なんだか落ち着かなくて」


 渉は深く頷き、真摯に応じた。


「そのお気持ちは、本当によくわかります。ですから、作業は段階的に、安全最優先で行います。植物庁の指導のもとで調査体制を整え、異常があれば即座に中断します。また、騒音や交通への配慮も徹底します」


 言葉を継ぐように、颯汰が一歩前に出る。


「僕たちは、そこにある“何か”を暴くために掘るわけではありません。あの土地が自然に伝えようとしているものを、きちんと受け止めたいんです。過去に何があったのか――それを知ることが、この町の未来につながると信じています」


 やや緊張していた空気が、少しずつ、やわらいでいく。

 最前列に座っていた中年の男性が、腕を組んだままぽつりと漏らす。


「ま、どうせならちゃんと調べてもらった方がいいかもな。地盤沈下でも起きたら、そっちのほうが怖いし」


 会場から小さな笑い声が漏れ、それを受けて新井が締めに入る。


「調査中は、現場監督と立ち会いスタッフが常駐します。また、事前に全戸へ説明資料を配布しますので、気になることがあれば個別にも対応いたします」


 渉と颯汰は、最後にもう一度深く頭を下げた。


「どうか、調査の機会をください。ご不便をおかけすることもあると思いますが、誠実に、最後まで取り組みます」


 数秒の静寂――そして、最初の一人が頷き、続けてもう一人。

 こうして、少しずつだが、会場に肯定の空気が芽生えていく。


 かすかに揺れるカーテンの向こうで、夏の風が木々の葉を揺らしていた。

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