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集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第二章 暴れる空き地

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第三話 声の洪水(前編)

 深夜の大学構内は、昼の喧騒とは違い、研究棟の廊下を渡る風の音だけが耳についた。

 蛍光灯の下、古地図とコピーされた資料を机いっぱいに広げ、渉と颯汰は黙々と作業を続けていた。


「……地形の変化、こうして並べると顕著だね。昭和初期の地図じゃここ、“池”って表記がある」


 颯汰が指先でなぞったのは、今は草むした空き地になっている一帯。渉がその横に並べた戦後の地図と見比べると、池の表示はなく、代わりに「清和結核療養所」の名称が記されている。


「埋め立てて病棟を建てたのか……でも、それにしても」


 渉が顔を上げた。眠気を押しのけるように、手元の資料に目を凝らす。


「この地図、療養所の図面も粗いし、何より境界が不明瞭すぎる。これだけの土地に建物があったなら、何かしら詳しい区画記録があるはずだよ」


「まさか、市の記録から“意図的に消されてる”とか……?」


 冗談のように笑って言った颯汰だったが、渉は目を伏せて黙った。

 その沈黙に、彼もすぐに真顔に戻る。


 ふと、研究室の隅に置かれたスマートフォンが震えた。颯汰が手に取ると、表示されたのは郷土史家・多々良の名。


 『ひとつ、思い出したことがあって連絡したんだがね。空き地の南端……ちょうど緩やかに窪んだあたりに昔“開かずの井戸”があったという話がある。今は埋められて何もないが、昔の村の境界を示す大切な井戸だったらしい』


「開かずの井戸……?」


 メッセージを読み上げる颯汰の声に、渉が身を乗り出す。


「位置、特定できる?」


 颯汰が地図の上に手を伸ばし、印刷された微細な等高線のわずかな歪みに指を当てた。


「このあたり……ちょうど今、草が不自然にまばらだった一帯に重なる。そこ、行くべきだな」


 颯汰の声には決意がこもっていた。

 渉も頷くが、その表情は曇っている。


「でも……また……」


「大丈夫。俺もついてるし、機材も借りられる。ちゃんと“準備”して行こう」


 机の上、かすかに風が吹いたように一枚の紙がめくれた。

 草花に埋もれた井戸の想像図が、ちらと顔をのぞかせる。


 “声の洪水”が、再び彼らをのみ込もうとしていた。


 *


 午前十時。夏の陽がじりじりと空き地を照らしていた。


 再び訪れた現場は、数日前と変わらぬ静けさを湛えていた。いや、変わらないように“見える”だけだ。

 渉の胸中には、確かに違和感が積もっていた。


「こっちの南側だ。地形図で見た窪み、たしか……」


 颯汰がタブレットを見ながら歩く。そのすぐ後ろを渉がついていく。

 前回と違い、今回は長靴に日除けの帽子、荷物も計測機器を入れたバックパックに替えている。


 フェンスの切れ目から中に入り、茂る草を踏み分けて進む。湿った土の匂いと、微かに甘い花の香りが混ざっていた。


「ここ、だな……」


 颯汰が立ち止まった地点は、緩やかな傾斜の底。まるで地面が息をひそめるように、草丈が不自然に低い場所だった。中心には円形に草が倒れ、地肌が覗いている。


「……あの時の“うねり”が強かった場所と、一致してる」


 渉が足元を見下ろす。風が吹いたわけでもないのに、草がそよいだ。


 呼ばれている。

 また、声が。


「……っ」


 不意に、視界が揺れた。額を押さえ、渉が立ち止まる。


 ……ここ…………ここにいる……ひかりがない……みてほしい……きこえるの?


 次々と流れ込む無数の声。前よりも鮮明で、直接“思考”に叩きつけられるようだった。


 草の一本一本が、自身の過去を語ってくる叫びに聞こえた。

 根から吸い上げた記憶、見たことのない時代の光景、焼けるような熱、深い悲しみ。


「……やばい、また……」


 崩れ落ちそうになった身体を、颯汰がすかさず支えた。


「先輩! 落ち着いて、聞こえてるんだよな? 深呼吸して!」


 だが渉は答えない。唇を震わせ、目を見開いたまま土を見つめている。まるで意識が半分、地面の中へ引きずり込まれているかのようだった。


 再び声が押し寄せてくる。


 ……わたしたち……おぼえている……たれもこなかった……ひとがふんだ……ここ……とじこめた。


「……っ、苦しい……っ!」


 胸を押さえ、片膝をつく。土に触れた手のひらから、さらに強く流れ込んでくる記憶。


 ――黒い布に包まれた何かが、静かに地中へ降ろされる。

 ――声も、涙も、風すら届かない。

 ――ただ植物たちだけが、見ていた。


 その光景が、渉の脳裏に焼きついていく。


「引くぞ、もう無理だ!」


 颯汰が背中に腕をまわし、ぐっと渉を抱きかかえるようにして引き起こした。

 強引にでも距離を取らなければ、またあの日のように“取り込まれて”しまう。


「いったん下がる、離れよう!」


 数歩後退しただけで、渉の表情が少しずつ戻る。呼吸が整い、肩の震えが弱まっていく。


「……ごめん。急に……」


「いいから。あれだけの情報を受け取って、正気でいられる方が不思議だよ」


 颯汰はあえて軽く笑ってみせたが、その目は真剣だった。


「でも、確かに聞こえた。“閉じ込められた”って。まるで……訴えてるみたいだった」


 渉が頷く。汗で湿った髪の下から、確かな決意の光が覗いていた。


「何があったのか、ちゃんと調べないといけない。あの声に応えるためにも」


 空き地の奥――草の波が風に揺れる。

 その下に埋もれているのは、歴史か、それとも罪か。


 まだ“声の洪水”は終わっていなかった。


 *


 車の中は、しばらく沈黙が支配していた。


 助手席に座る渉は、まだ浅く呼吸をしていたが、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

 運転席の颯汰は、ちらりと横目で様子をうかがいながら、静かに声をかけた。


「先輩……少し、話せる?」


 渉は目を閉じたまま頷いた。少しの間を置いて、ぽつりと口を開く。


「……じつは植物の“声”が聞こえるんだ。最初は……“気配”とか、“記憶”とか、言葉にならない想念のかたまりみたいなものが、頭に直接流れ込んできてた……」


 颯汰は驚いたように目を見開いたが、声を荒げたり、問い詰めたりはしなかった。

 ただしばらく、それをかみしめるように黙っていた。


「それって……ずっと前から?」


「ああ、子供の頃からずっと。でも、今年に入ってから……言葉として受け取ってる」


 渉は、ポケットから例の桜の栞を取り出した。紗久夜の気配が微かに残っている気がして、ふと親指でなぞる。


「きっかけは、千年桜と出会ってからだ。声がどんどん強くなってる。今回の空き地の件は、それがピークみたいな状態だ」


「だから、あんなに……」


 颯汰が静かに呟く。声は驚きというより、納得だった。


「……話してくれてありがとう、先輩」


「……信じるのか?」


「うん、信じる。だってあれだけの反応、説明がつかないし……それに」


 颯汰は軽く笑った。


「俺、渉先輩がウソつくような人じゃないって知ってるから」


 渉の顔にわずかに安堵が浮かぶ。


「ありがとう。……お前に言えて、よかった」


 そのとき、車の窓をコンコンと叩く音がした。

 二人が顔を上げると、車の外に白髪の老人が立っていた。杖をつきながらも、背筋は意外としっかりしている。


 窓を開けると、老人がにこりと笑った。


「君たち、さっきの草むらで何か探してたな? あそこに興味があるのかい?」


「いえ……あの土地について、調べていて……」と颯汰が応える。


 老人はゆっくり頷いた。


「なら、うちに来るといい。話せることがあるかもしれん。あの場所については……若い人が知らないこと、まだまだある」


 渉と颯汰は顔を見合わせた。


「本当に、よろしいんですか?」


「かまわんさ。ちょうどお茶も沸いたところだ」


 老人の家はすぐ近く、古い瓦屋根の平屋だった。

 縁側には風鈴が揺れ、猫が丸くなっている。庭には百日紅(さるすべり)が咲き、静かな時間が流れていた。


「疲れてるようだな、若いの。少し横になってもいい。話はそれからだ」


 渉は素直に礼を言い、座敷の縁に腰を下ろす。

 畳の匂いと涼しい風に、少しだけ身体がほぐれていく。


 その間、颯汰と老人が庭先で話しはじめていた。

 土地の記憶、若い頃の体験、戦後の変遷、そして“あの井戸”の話。


 渉は目を閉じながら、意識の深いところで、草たちの囁きを追っていた。


 (あの声たちを、繋ぎ合わせるんだ。断片じゃ、救えない)


 そしてその先にある、紗久夜の記憶にも――触れたいと思っていた。


 *


 颯汰視点


 渉が縁側で横になってまどろむ間、颯汰は老爺と向かい合って、庭先の木の縁に腰を下ろしていた。

 湯呑に注がれた番茶は、少し熱く、けれど土の香りがするような味だった。


「若い人が、あの空き地を気にするとはな……。あそこは、昔から“変な場所”だったよ」


 老人──名を荒井銀次(あらいぎんじ)という──は、しわの刻まれた手で湯呑を包みながら、ゆっくりと語り始めた。


「わしが子どもの頃、あのあたりはまだ木立があってな。今みたいに開けてなかった。戦争のあとに、あそこが“整地”されたんだ。療養所ができる前の話さ」


「整地、というと……何かがあったんですか?」


「……ああ。井戸があった。大きな、石積みの井戸だ。周囲には木の柱が立てられ、縄が張られて近づくなって書かれてた。子どもには意味がわからなかったが、大人たちは“あそこは近寄るな”と、やけに厳しかった」


 颯汰は思わず背筋を伸ばす。


「その井戸には何かあったんですか?」


「いや……逆だな。“何かがあった”んじゃなく、“何かを封じていた”」


 銀次は、湿った風が庭を通り抜けるのを見送るように、空を見上げた。


「土葬だった時代、その井戸の周辺にはよく火の玉が出るとか、声がするとか、いろいろ言われてた。だが不思議と、土地そのものは痩せないんだ。草はよく育つ。……まるで何かが、下から養分をくれてるように」


「……」


「やがて、療養所の建設が決まって、井戸は埋められた。“病を封じる”という名目だったらしい。けど、あれはただの埋設じゃない。地元の古い神社から、神職が呼ばれていた。白装束でな。わしはその姿を覚えてる。大人たちの顔つきが、ただの土地造成には見えなかった」


 銀次の目が、細くなる。


「その後、療養所の入所者の中で、ある噂が広まった。『夜になると地面の下から声が聞こえる』『夢の中に誰かが立っている』『誰かを“忘れてはいけない”と、囁く声がある』……」


「まるで、“記憶”を伝えようとしてるような……」


 颯汰の口から漏れた言葉に、銀次が頷いた。


「そうかもな。忘れられた人間の声か、あるいは……この土地そのものが、何かを覚えているのかもしれん」


 そのとき、渉が縁側から身を起こした。

 目はまだ少し赤かったが、表情ははっきりとしていた。


「……ありがとうございます。その井戸の場所、少しでも覚えてますか?」


 銀次はしばし目を閉じて考え、やがておもむろに立ち上がった。

 古びた箪笥から、色褪せた手書きの地図を取り出して戻ってくる。


「ここだ。療養所の建物が建つ前の、元の地形を描いたものだ。家の整理をしてたら、出てきてな……捨てられなくて、しまっておいた」


 地図の一角に、手書きの注釈がある。


 《フセガミの井戸》


 渉と颯汰はその名を見て、息を呑んだ。


「……“フセガミ”? 封じる神、ですか?」


「そう読んでいい。だが、正式な神社名ではない。あくまで“地元の人間が呼んでいた名”さ。どこかから来た神か、土地神かも定かじゃない。ただ、そこには“名がない神”がいたという言い伝えもある」


「この井戸が、いまの空き地のどの辺にあたるのか、特定できますか?」


「……正確な測量は無理だが、目印はある。桜が一本だけ、他と違う方角を向いてるはずだ。風の流れとは逆に、傾いてる。……その根元に、井戸が埋められてる」


「わかりました。探してみます」


 颯汰が礼を述べ、銀次も穏やかに頷いた。


「気をつけなさい。声に引きずられるな。あれは“記憶”だが、時に心を壊す」


 その警告を胸に、二人は立ち上がる。

 今度こそ、あの草原にある“核心”へ、たどり着かねばならない。

次回は8月8日(金)更新!

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