9 リディア、婚約破棄される。
闘技場の舞台上で私は皆から困った人のような扱いを受けていた。
シェリーンさんの騎士団団長就任を譲らない私を、シェリーンさん本人、アルベルト、マチルダさんが取り囲む。もう一人、モーゼズ団長は定位置で三角座りをしたまま説得を試みてきた。
「女王様、私は騎士にしていただけるだけでも充分ですから……」
「ほら、本人もこう言っていますし、今回は諦めてください、リディア様」
幼女と親衛隊隊長が続けてそう言うと、あとの二人も奇妙な連携を見せる。
「団長の任は、戦闘の才能があったり少ししっかりしてる程度じゃ務まらないと思いますよ。ねえ、モーゼズ団長」
「……はい、一万の騎士を統率するのは容易くはありません。どうかお考え直しを」
くっ、マチルダさん、モーゼズ団長の肩を持つのか。
私に味方はいない……、周りは敵だらけだ……。
この時、意識を失っていた一万人の騎士達が次々に目を覚ましはじめていた。舞台上で私がごねているのが伝わったらしく、全員の視線がこちらに集中する。
み、見ないでくれ……! そんな、困った人を見るような目で注目しないでくれ……!
ジクジクジクジク……。
ああ、私の足元が勝手に毒沼化していく! 魔法が止められない、誰か助けて!
「リディア、落ち着け! そのシールド(前髪)越しでいいからよく見ろ、周りには敵なんていない!」
アルベルトが以前のような口調で語りかけてきていた。
「ごねるだけじゃまとまるものもまとまらない。何事にも順序があるんだ。周囲をよく見て、時には配慮することも必要だよ。リディアはもう、この王国の女王なんだから」
彼の言葉で、パニックになりかけていた私の頭の中は途端に静かになった。
……昔からそうだった。基本的に精神が不安定な私はしばしば彼に助けられてきたんだ。
「ありがとう、アルベルト……。どうすればいいか、分かったよ……」
私が手をかざすとずぶ濡れだったモーゼズ団長の体は一瞬で乾いた。それから、シェリーンさんの方に視線をやる。
「シェリーンさん、モーゼズ団長、二人で手合わせをしてくれませんか……」
この提案に二人は戸惑いながらも応じてくれた。
訓練用の木剣が用意され、少女と大男はそれを手に向かい合う。
やはりモーゼズ団長の方は心配でならないようだった。
「……女王様、本当にそのルールで打ち合ってよろしいのですか?」
私が提示したルールは、魔法の使用はなし、魔力は全て引き出して互いに全力で打ち合う、というもの。筋力は明らかにモーゼズ団長の方が上だし、魔力の量も修練期間の差から同様だ。
勝負にもならないと思うのが普通だろう。
舞台上の試合を見つめる騎士達もそう踏んでいるのが伝わってきた。
真逆の結果を確信していたのは、おそらく私とマチルダさんだけに違いない。
「リディア様、面白いことを考えましたね」
さも楽しそうに赤髪の同志は呟いていた。
程なくシェリーンさんとモーゼズ団長の手合わせが始まった。
幼い従者に全力を出すことにまだ抵抗があるらしく、モーゼズ団長は手加減気味に木剣を振り下ろす。しかし、シェリーンさんはその攻撃を難なく避けた。驚いた団長は、今度は割と本気で剣を振る。が、これも少女は読んでいたように回避。
いや、読んでいたように、ではなくシェリーンさんには実際に読めている。
あの子は魔力の流れを感じ取って次の動きを予測している。クラゲの触手もそうやって全て避けていた。通常は長い訓練と実戦を経て辿り着く境地。だが、彼女は最初からそこに立っているんだから天才と呼ぶ他ない。
この能力の前には筋力差も魔力差も無意味だ。
なお、予測の力は回避のみならず攻撃にも活かされる。
シェリーンさんが初めて繰り出した木剣は、モーゼズ団長の脇腹を綺麗に捉えた。
「す、すみません、団長!」
「ぐ……、謝る必要はない。これは試合だ。遠慮せずどんどん打ちこんでこい」
素直なシェリーンさんは遠慮せずどんどん打ちこんだ。そして、その全てがモーゼズ団長の体にクリーンヒット。
試合開始からわずか数分で満身創痍の団長は床に膝をつき、勝負は決着となった。もちろん少女の方は全くの無傷だ。
この結果に、観戦していた騎士達は騒然とする。
闘技場全体がざわめく中、モーゼズ団長が私に視線を向けてきた。
「女王様がこの子を団長にと仰った意味、……よく分かりました。この子は戦闘の天才です。私と騎士達にその才能を見せるための手合わせだったのですね」
「はい、ですが今はもう無理に押し通すつもりはありません……。シェリーンさんをあなたの下に置いて、兵学など教えてあげてくれませんか……?」
「え、女王様はそれで、よろしいのですか?」
「何事にも順序がありますから……」
私が目をやるとアルベルトは笑顔で頷きを返した。
この後、私とマチルダさんがメモした選抜騎士達を発表して、コルフォード騎士団は新体制へと動きはじめた。
――――。
王宮の自室に戻った私は、精神的疲労から即座にソファーに沈みこんだ。
ぐったりする私の前にお茶が置かれる。アルベルトが香りのいいハーブティーを入れてくれていた。
カップを手に取って一口飲み、今日あった様々なことを振り返る。
「私は女王として、まだまだだと分かった……」
「騎士達の前ではよくやってらっしゃったと思いますが」
「アルベルトがいなきゃ、全員を毒沼に沈めていてもおかしくなかった……。あのことだけじゃなく、シェリーンさんのように生活に困窮している家庭を助けたりするのも、私の仕事なんだって改めて気付かされたし……」
「女王様は広範な権限をお持ちの分、やるべきことも多岐に渡りますからね」
うん、勉強しなきゃいけないことがいっぱいある……。
ハーブティー効果でリラックスしていた私は、ここで思わずぽつりと。
「前世の私、本当に腐女子的な情報しか頭に入れずに死んだから……」
「…………、……あの、前世とはどういうことですか?」
「え……?」
「え……?」
あ、私の秘密がばれて、いや、自らばらしてしまった。まあいいか。
とりあえず、私は転生者で、以前はこことは別の世界で生きていたことを彼に伝えた。
驚きつつも話を聞き終えたアルベルトはしばらく考え事をするように黙りこむ。やがて何か決断したらしく、神妙な面持ちで私の向かいのソファーに腰を下ろした。
「あなたはご自分が生まれる家を間違えたと仰いましたが、俺はそうではないと思います。あなたがいなければこの王国は滅んでいました。リディア様はきっと多くの人を救うために、生まれるべくしてこの地に生まれたのです」
「生まれるべくして……。そうなのかな、女王として全然不完全なのに……」
「最初から完全な人などいませんし、今日、大きく成長なさったではないですか。そして、俺自身の役割についても今初めて理解できた気がします」
「アルベルトの、役割……?」
「俺はリディア様をお支えするためにここにいるのでしょう。どうか、あなたとの婚約を破棄させてください」
ななななな、なぜそうなる! 支えると言っておきながらなぜ婚約破棄だ!
そもそも婚約の破棄は私の権利であってアルベルトの方から言い渡されるなんて想定してない! アルベルト以外の誰がこんな陰キャで腐女子の私と結婚できると言うんだ!
慌てる私を見て幼なじみの婚約者はくすりと微笑む。
「実はリディア様が女王になられてからずっと歯がゆい思いをしていました。あなたを俺一人のものに独占してしまいたい、と。ですが、それは許されない。あなたは王国全土を照らす太陽なのですから。今日、はっきりと分かりました。俺はずっとお傍でお支えします」
「……本当に、ずっと私の近くにいるんだな? 見ていろ、すごい女王になって婚約破棄したことを後悔させてやる……。あと、私は太陽じゃなく王国をジクジク守る毒沼だ……」
アルベルトはいっそうの笑みで私の宣言に応えた。
この日、騎士団だけじゃなく、私も女王として新たな一歩を踏み出したのだろう。
これから王国のためにやるべきことは山のようにある。
その先で私達の関係がどうなっていくのか、それは私達自身にもまだ分からない。