6 リディア、クラゲになる。
私が女王になってから力を入れて取りくんでいたことがある。
それは首都にとある書店を建設する事業だった。
女王就任から約四か月、本日いよいよその書店がオープンの日を迎えた。
町の商業地区の片隅に私肝入りのお店は静かに佇んでいた。この立地はあえて選んだものになる。私のためにも他の客のためにも、絶対に目立ってはいけない。
開店当日の昼過ぎ、私はマチルダさんと共に書店を訪れた。
店内にはすでに結構な数の客が入っている。全員が女性で、男性客は一人もいない。皆、店の雰囲気に少し驚いているようだ。
それはマチルダさんも同様だった。目を丸くしてきょろきょろと店内を見回す。
「……リディア様、これはまた、ずいぶんと風変わりな内装の書店ですね」
「はい、扱う本に相応しい内装にしてみました……」
壁や柱のいたる所にポスターが貼られ、本の上ではポップがゆらゆら。
当然ながらこの世界の他所の書店では見掛けない演出だろう。前世の私が足しげく通っていた書店を参考にしてみた。
そう、扱っている本は全て女性向けの恋愛小説で、このうちのおよそ四割はBLものだ。
なお、店名はポイズン書店という。
この四か月間、私は女王の権力を使って国内外のありとあらゆる恋愛小説をかき集めた。さらに、女王の権力を使って新たな作品を生み出してくれる作家達と、ポスターや挿絵を描いてくれる絵師達を呼び寄せた。(先生方は貴族待遇の条件を提示すると快諾してくれた)このポイズン書店には順次新刊が並ぶ運びにもなっている。
本日、まさに私の理想郷がここに誕生した!
「女王の権力を完全に私利私欲のために使っていますね。ですが、この書店は」
棚の本を一冊手に取ったマチルダさんはそれをパラパラとめくった後に改めて私の顔を見る。
「まさに天国ではないですか!」
「あなたなら分かってくれると思っていました、きひ……」
周囲の客達に目をやると、全員がマチルダさんと同じように顔を輝かせている。やっぱりこの書店は皆が待ち望んでいた場所だった。
それにしても、平民の女子達の中にちらほら上等の服を着たご婦人方の姿が。社交界にも店の噂を流しておいた効果があったらしい。
ふむ、平民も貴族も関係なく、周囲は自分と同属の人間、という奇妙な安心感と一体感が店内を包んでいる。
……これは、このポイズン書店をさらなる理想郷にできるかも。あの計画を実行に移すか。
「実は、店内にカフェを作ろうと思っているんです……」
私の言葉に、ミラテネスの同志達へのおみやげにと本を物色していたマチルダさんがその手を止めた。
「つまり、購入した本をここでゆっくり読める、と?」
「はい、美味しいお茶とお菓子を(もちろんアップルパイも)提供して皆にゆっくり過ごしてもらいます……。そして、身分の壁を越えて互いに語り合ってほしいんです……」
「リディア様、あなたはまさかこの書店を」
「お察しの通りです……。私はここを魔窟に、コルフォード王国における同志を増やす発信地にしたいと考えています……!」
「なんて野心的な! 潔いくらいに権力を自分のために使っていますね!」
私は一年の大半をこのコルフォード王国に縛られるわけだし、それなら安らぎの場くらいは用意しておきたい。王国のために結構体を張っているんだから、この程度はいいと思う。
そうだ、たまにでよかった野良神の撃退も近頃は出撃回数が増えてきてなかなかに忙しい。私はもっと自分を労わっていいはず。
よし、フィギュアを作れそうな職人も王国に呼んじゃおう。
あとは漫画があれば大分前世の書店に近付くんだけどー……、……絵師にアシスタントつけて描いてもらうか?
欲望を膨らませていると背後から聞き慣れたため息が。
振り返ると、いつの間に現れたのかアルベルトが困った人を見るような目で私を見つめていた。
「先日は大丈夫と仰っていましたが、やはり俺はリディア様が女王でこの国の行く末が心配ですよ。いくら女王であっても、何でもかんでも好き勝手にやってはいけません。あと、ポイズン書店って……、あなたのセンスはどうなっているんですか」
う、前世の母のようにたしなめてくる。親衛隊隊長というよりもう私の保護者だ、……おや?
突然物語の中から飛び出してきたような容姿のアルベルトに、客の女性達は一様に熱い眼差しを向けてきている。
……フィギュアよりよほど人を魅了するじゃないか、店内に展示してやろうか。
おっと、いけない、彼のせいで私にも注目が集まって騒ぎになりはじめている。私とマチルダさんの二人だけなら完全にこの店の空気に溶けこんでいたのに。(腐女子ゆえに)
「嫌でも目立つ太陽の騎士め……、何をしに来た……」
「こちらの準備が整ったのでお迎えに上がったんです。もう皆、集合してリディア様を待っているんですから」
「あ、そうだった……、騎士の皆に召集をかけていたんだ……。人数も多いし、長く待たせるのはちょっと悪いかも……」
私と親衛隊隊長の会話を聞いていたマチルダさんが首を傾げる。
「今日はそういう予定でしたね、ちなみに何人の騎士に召集をかけたんです?」
「全騎士、約一万人……」
「い、一万人! ……それは、長く待たせるのはかなり悪いのでは」
「そうでしょうか……」
「「絶対にそうです!」」
マチルダさんとアルベルトから揃ってそう言われたので私も急ぐことにした。
今回、ミラテネスのセラフィナ様にお願いしてマチルダさんを派遣してもらったのはこの書店に連れてくるためだけじゃなかった。先に述べた通り、近頃私は急増する野良神の対応で忙しくなりつつある。このままではいずれ私一人の手には負えなくなるだろう。今のうちに策を講じる必要があった。
まずはやはり本職である騎士団の立て直しが急務だ。
はっきり言って現在の団は相当弱い。弱すぎて下位の野良神しか安心して任せられない。
とはいえ、のんびり全体の底上げをしている時間はなかった。ミラテネスのように学園を創っている暇など到底ない。
そこで、騎士団の中から実力のある者を見つけ出し、ミラテネスから派遣される国家魔法士団の短期集中訓練を受けてもらうことにした。マチルダさんにはその埋もれた才能発掘の手伝いをしてもらう。
ポイズン書店を出た私とマチルダさん、アルベルトは騎士団の訓練場にやって来ていた。いくつか建物が並んでおり、中でも一番大きな闘技場に足を向ける。
場内は一万人を超える騎士達の熱気で満ちていた。本来なら大規模な演習も行える施設なのだが、さすがにこの人数が一度に集まると狭く感じる。
私は熱気に圧されるように思わず後ずさり。
「む、無理だ……。こんな大勢の前で喋るなんて……、絶対に奇怪な笑いが止まらなくなる……」
「呼び集めたのはリディア様ですよ、どうするんですか」
「アルベルトが代わりに皆に説明して……」
と私は親衛隊隊長の後ろに回ってその背中に引っ付く。この体勢のまま彼を押して設置されている舞台に上がった。
こうなることは事前に予想できたので、段取りは全てアルベルトに伝えてある。私は出番が来るまで彼の背後に身を潜めていればいい。こんな時のための親衛隊だと思う。
アルベルトはため息を一つついた後に、拡声の魔法具を使って騎士達が招集された理由を話しはじめた。
場内の騎士達からは、何やら期待に胸を膨らませているような雰囲気が漂ってくる。どうやら出世のチャンスといいように捉えてくれたらしい。
一通りの説明が済むとアルベルトは最後に宣言した。
「では、皆様にはこれより全員でリディア様と戦っていただきます」
この瞬間、期待に満ちていた闘技場の空気が凍りついた。
おそらく騎士達の頭の中には四か月前の沼に浸った思い出が甦ってきているのだろう。
だけど、安心してほしい。今日は皆の実力を確かめるための戦闘なので、〈大毒沼〉でことごとく沼に沈めるような真似はしない。
アルベルトの背中を突っついてそう喋らせると、凍っていた空気が溶けていくのが分かった。
うんうん、陰キャでも腐女子でも私は全ての国民を守る女王なんだから、そんなひどいことをするわけない。安心してほしい。
追加でこう伝えてもらうと、場内にはさらなる安堵感が広がった。
これでどの騎士も緊張せずに各自の力を発揮してくれるはず。
……じゃあ、戦闘開始だ。
魔力を解放しつつ取り付いていたアルベルトも解放すると彼は急いで私から離れた。
直後に私の周囲を水が高速で舞いはじめる。水量は増えていき、やがて舞台の上に巨大な水竜巻が発生した。
程なく激流が収まると、そこには水で構成された巨大生物が。お椀をひっくり返したような傘に、そこから伸びる無数の触手。
舞台上に高さ約二十五メートルの大クラゲがでんと鎮座していた。
ちなみに、本体である私自身は傘部分の内部に収納されている。
これは対大型神獣用に編み出した憑依戦闘魔法、〈水霊大クラゲ〉だ。巨大な敵はもちろんのこと、大勢の敵を一度に相手しないといけない時にもとても有効。何しろ、触手が沢山あるので。
ここで私は知覚認識を魔力感知メインに移行した。こうすれば全ては魔力の塊に過ぎず、私でも一切緊張することなく戦える。戦闘時の常套かつ必須の手段だった。
……あれ、だけど緊張しているのは私じゃなくて騎士達の方だな。うーん、さっきまでの安堵感に満ちた空気はいったいどこへ? まあいいか。
私はクラゲの触手をわらわらと騎士達の方へと伸ばす。
さあ、始めようか……。
騎士一万人 VS クラゲになった私!
一話あたり2000~4000文字になっています。
キリのいい所まで、と考えて結構幅があります。
今回は腐女子ネタだけでは申し訳ないのでクラゲまで行きました。
今日からなるべく連日投稿できるように頑張ります。