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03. お庭生活と私

 その後の生活は、猫としてはなかなかに良いものだったと思う。

 お皿のおじさんの職業はやっぱり庭師のようで、昼間はだいたいいつも庭にいる。そして猫の私は、基本的にお皿のおじさんの近くにいる。大きな人間の近くにいれば、大抵の事故は避けられますからね! 人間のほうがいろいろ避けてくれるので、猫はそのおこぼれの安全に預かることができるのだ。人間の私の知識から導き出したライフハックである。


 猫が猫でいるだけで、住処と食事は保証されていた。

 このお庭には庭師の作業小屋というものがあり、庭師の皆さんが休憩したり、雨の日に作業したりしている。獣臭い箱は小屋の中に持ち込まれたので、夜の間や雨の日はここで過ごすことにした。猫は夜行性だけど、昼起きて夜寝る生活ができないわけじゃないんですよ。これはSNSで猫を飼っている人が言っていた話なので、猫としても一般的な行動であることは確かなはず。

 人間の私は猫が好きで、ずっと猫が飼いたくて、猫の情報を積極的に集めていたのである。猫としての行動に学習がいる部分は、この知識でカバーできるはずだ。そうだといいな。どうだろうか。

 小屋の扉の下には猫が出入りできる隙間があるから、夜だって外に出てうろついてもいいんだけど、見えるとはいえ暗いし、高貴な人のお屋敷の夜の庭って、なんとなく物騒な気がするので、冒険はせずに大人しく寝ている。私が勝手にどっか行ったら、魔術師団長の人も困りそうな雰囲気だったし。

 唯一の例外はトイレに行く時で、小屋の屋根の軒下にあるんだけど、これだけは暗い時間に行くことにしている。お庭を荒らされないためか、お皿のおじさんはあの後すぐに猫のためにサラサラの砂が入った箱を用意してくれたのだ。猫の私には現代日本人として培った人並みの羞恥心が備わっているので、昼間に見られながらトイレするのは躊躇われるんですよ。


 このお庭における注意事項は、早い段階でお皿のおじさんが教えてくれた。トイレもだけど、猫が踏んじゃいけない場所とか、猫には毒になる植物を植えてる場所とか。

 お皿のおじさんが猫の私に話しかけるので、私はついて歩きながら、時々お返事代わりにニャーと鳴いた。他の庭師の人たちに、通じてないだろう、と言われたおじさんは、「こいつは賢いからな」と言ってしたり顔な雰囲気をかもしだしている。猫はね、おじさんに言われた内容は理解してるけど、おじさんがドヤるのはちょっと理解できないですからね?

 教わったことは、人間の私が知っている猫への注意とおおむね一致していたけど、それ以外に、たぶんこの世界特有のことが一つだけあった。このお庭、端っこに寄ると危ないんですって。

 お庭の周囲には金属の高い柵があるんだけど、そんなに存在感はないタイプのもので、王族がお住まいの場所にしては、ずいぶん開放的な雰囲気になっている。そのかわりに、庭の敷地の境界に沿って結界というものが張られているらしい。許しがなければ魔術を帯びたものは通れないほか、一定以上の大きさのものも通れないそうだ。前に魔術師団長の人が「網」って言ってたけど、サイズ制限があるなんて、まさに網である。引っかかる大きさのものが触れるとビリッとするそうで、これはあれだ、農家さんが使ってる電柵だ。

 痛い目をみたくはないので、端っこには近寄らないように気を付けている。お庭の端っこであってもお庭なので、庭師であるお皿のおじさんはそちらにも行くのだが、そういう時はなるべくおじさんから離れて、お庭の真ん中のほうにいるようにしている。で、これを教えてくれたおじさん自身は寂しそうに猫を見る。いや、だってさあ。


 食事は朝と夕方にたっぷり出してもらえる。たまに昼におやつがもらえることもある。待遇が良い。

 猫の食事の調達は、匠のおっかさんがしてくれているようだった。朝はお皿のおじさんが、小屋を開けるついでに持ってきてくれるのだが、夕方のぶんは、匠のおっかさんが持ってきてくれることのほうが多い。昼間の間に庭で遊びまわった猫を拭くことに、使命を感じている雰囲気である。就寝前にさっぱりできて、日本人三十三歳的にも大変ありがたい。お礼代わりに匠のおっかさんにも積極的に親愛を示しているので、最近は猫を見ながら表情が崩れていることがよくある。どうか猫の仕草を存分に味わってほしい。


 あとはそう、魔術師団長の人だけど、その後も時々猫のところにやってきた。だいたい二日に一度ぐらいの頻度で来る。様子を見る名目らしい。お皿のおじさんや匠のおっかさんに簡単に聞き取りをして、あとは猫とひとしきり遊んで帰っていく。他の人の話を総合すると、そこそこ忙しいはずの人なんだけど、やっぱりちょっと思ってしまう。暇なんだろうか。

 猫の私の体にはこの人のかけた魔術的な何かがあるので、ちゃんとチェックとかメンテナンスとかはしてるんだと思うけど、初期設定の時ですら、健康診断のレントゲン撮影程度にしか感じなかったものなんだよね。遊んでいる間に何かされてても一切気づかない自信がある。

 猫の扱いは不馴れそうな魔術師団長の人だが、この人の服にはいろいろと紐がついており、遊びたい盛りの若い猫目線での評価は高い。魔術師団長の人が屈むと、低い位置にきた紐がいい感じに揺れるのだ。私は健全で健康な猫であることをモットーとしているので、そんな紐には全力で飛び付かざるを得ない。対面二回目にしてそのことに気付いた彼は、そのまま自ら紐を揺らして猫を釣ることを覚えた。順応が早すぎる。

 魔術師団長の人は魔術師団長であるので、着ている服についてる紐は高級な飾り紐である可能性が高い。猫が爪や牙たてちゃっていいのかなあと思いつつもガジガジかじっていたのだが、やはりよろしくなかったようで、対面三回目からは、匠のおっかさんがあきれながら差し出した紐が使われるようになった。私もちゃんと服の飾り紐以外を選んで釣られるようにしている。たまに間違えて立派な飾り紐に爪ひっかけたり、かじりついたりしちゃうんだけども。

 それと、紐に釣られるついでに魔術師団長の人に登ったりもしている。しっかりした布地で、そこに足をかけられるパーツがいっぱいついているんだもの、あまりに登りやすくて、勢いでついやってしまうんだよね。

 魔術師団の制服の布地は魔術的に攻撃を通しにくい加工がしてあって、魔術攻撃も物理攻撃もある程度防いでくれるすぐれものらしいよ。猫の爪ぐらいじゃ傷はつかないんだって師団長本人がちょっと誇らしげに言っていた。匠のおっかさんがだいぶあきれた気配になってたけど、私もちょっとあきれている。楽しいから登るのは止めないけどな! 猫だから!

 あとこの防御、飾り紐にもついてるらしいよ。先に言ってよ! と思ったけど、猫がガジガジするとよだれが付いちゃって、それは防げないようだ。よだれでしっとりした紐は、こう、今一つ恰好つかないな? と猫の私でも思うので、あんまり齧らないように気を付けたい。


 そんな感じで、日々気遣われた食事を頂いてよく眠り、元気に虫を追っかけたり庭の木に登ったり紐で遊んだり、たまに魔術師団長の人に登ったりで過ごしていた。健全で健康な猫の生活である。

 一般的なお外生活の猫の難点と言えばノミだが、このお庭には私の他に猫はいないし、犬もいないのでリスクが低い。いないわけではないんだけど、匠のおっかさんがせっせと拭いてくれており事なきを得ている。

 私はねえ、毛繕いがあんまり好きじゃないんだよね。人間の私の意識が邪魔をして、体表の汚れを舌で舐め取るという行為にどうしても抵抗があるのだ。全然やらないのも猫としてどうかと思うので、どうしても必要そうな時に渋々やるぐらい。だから匠のおっかさんにはものすごく感謝している。親愛ぐらいしかお返しできないのが申し訳ない。


 猫が好き勝手できるぐらいにこのお庭の中は平和なのだが、だいたい二日に一度やってくる魔術師団長の人が、十日ぐらい来なかったことがあった。魔術師団長の人がいてくれないと、魔術師団長の人アスレチックを楽しむことができないので気が付いた。猫の私の生活にカレンダーはないので、日付の認識はいい加減だ。

 このところずっと、物騒な方面の任務が水面下で遂行されており、魔術師団もそちらに関わっていて忙しかったのだそうだ。それがいよいよ大詰めになったので、師団長自身が現場で陣頭指揮を行っているという。お皿のおじさんが猫の私の頭を撫でながら教えてくれた。魔術師団長の人は本当に魔術師団長なんだなあという感慨を覚える瞬間である。


「たぶんそんなに経たずに、また来られると思う。クロちゃんもまた遊んであげてくれよ」


 あの人も楽しそうだったし、とお皿のおじさんは続けた。猫を通しておじさんと偉い人は打ち解けたようで、何よりである。

 猫の私としては、また魔術師団長の人アスレチックを楽しむためにも、怪我などなく無事に帰還してくれることを願っている。猫の爪でも傷がつかない布地の出番がないぐらい安泰だといい。



 それからまた何日か経った。

 猫としての生活にもずいぶん慣れた私は、まだ誰も来ていない作業小屋を抜け出して、朝日を浴びながらストレッチするなどしていた。人間でいうところのラジオ体操みたいな習慣をつけたら、より健康で怪我のない猫の生活を送れるんじゃないかと思ってのことである。


 後ろ足を延ばしていると、トレイを持ったお皿のおじさんがやってきた。今朝の朝食は定番のホットミルクの他に、軽く崩した固ゆでの卵に無塩バターがかかったものだった。崩した固ゆでの卵は時々出てくるメニューだけど、そこにバターがかかってるなんてはじめてだ。あらやだ豪華じゃないの!

 素敵さ三割増しの朝食に舌鼓を打っていると、お皿のおじさんの背後のほうから複数の人間が近付いてくる音がした。私はホロホロの黄身にじわっとしみ込んだバターを堪能するのに忙しいので、とりあえず耳だけ向けて注意を向けたのだけど、どうも一人は魔術師団長の人のような気がする。久しぶり! 元気だった? 今ちょっと忙しいからもう少し待っててね。

 魔術師団長の人が誰か連れて来ただけなら、別になんてことなさそうだと判断して、朝食をゆっくり平らげることに専念した。喉につかえて吐いたりしたら悔やみきれない。猫は案外よく嘔吐する生き物だってSNSで見たことあるよ。しばらくのあいだ成人男性二人+αで仲良く猫を見守っていて欲しい。


 心ゆくまで食事を堪能し、お水も飲んで顔も洗ってすっきりしたところで、さて、と魔術師団長の人のほうを見た。思った通り魔術師団長の人だった。怪我っぽくも病気っぽくもない雰囲気だ。

 安心して久しぶりの魔術師団長の人アスレチックができそうなんだけど、私の大事な遊び道具の後ろに人間が一人ひっついていて邪魔である。なんだお前。お前にも登っていいんか。


「殿下」


 魔術師団長の人に促されて、おずおずと出てきた人間は子供だった。猫の私と比べるととても大きいが、人間としてはまだだいぶ小さい部類になると思う。視力以外も総動員してみた感じ、この子供は男の子のようだ。元気よく暴れる小学生男子は猫にとっては天敵みたいなものだが、この子は引っ込み思案でおとなしいタイプなのかもしれない。

 猫の私の視力はあまりよくないが、男の子の髪の毛が銀色っぽいのはわかる。髪の毛が朝日をはじいて眩しいんである。雰囲気がキラッキラしてて王子様っぽい。というか、ここは王族がお住まいの場所のようだから、ぽいんじゃなくて本当に王子様か。わー、実在する王子様だ。苗字や地名じゃなくて肩書が王子の人だ。この状況に、私の中の日本人三十三歳が盛り上がりを見せるのは、もう仕方がないと思ってほしい。


「……クロちゃん?」


 そーっと声を掛けてくる。かわいいねえ。こんにちは、はじめまして、クロちゃんですよ。

 さっきまで登ってやろうかとか思ってたけど、猫への礼儀が正しい子供は大切に猫好きとして育てなければならないので、登るのはもっと仲良くなってからだな。

 ぎこちなく屈む王子様に自ら歩み寄り、軽く親愛の体当たりをお見舞いする。ちゃんと喉も鳴らす。ここまで私はあんまり喉を鳴らさないタイプの子猫をやってたんだけど、このちっちゃい王子様に対しては特別待遇でもいいだろう。


 ちっちゃい王子様が猫の私の頭をおそるおそる撫でる。魔術師団長の人も初対面の時はこんなだったなと思い出したが、彼だって今や立派な猫の遊具なのだから、まだ子供の王子様なんか可能性無限大である。


「クロちゃん、かわいいね」

「ご挨拶をしているようですね」


 お皿のおじさんが、猫の私が意図するところを人間向けに的確に翻訳してくれた。ナイスアシストだ。


「ぼくはルミールっていいます。クロちゃん、おともだちになってくれますか?」


 猫の私の頭を撫で続けていた王子様だが、一度手を引っ込めて、自己紹介と一緒に改めて差し出してきた。これは、握手を求めるタイプのあれかな?

 ちっちゃい王子様と子猫の組み合わせなんて、絵本にでも出てきそうなぐらいには平和の使者だと思うので、私は全力でお応えするべく、王子様改めルミールくんの指先を鼻でつついた。猫の挨拶は鼻先ですると聞いたことがあるのでそれに倣ったんだけど、通じるだろうか。

 ルミールくんは彼の後ろに控える魔術師団長の人と、前にいるお皿のおじさんを順番に見た。魔術師団長の人があてにならなそうと判断したのか、お皿のおじさんが「大丈夫そうですよ」と通訳してくれた。お皿のおじさんはこういうところが最高に良い。

 嬉しそうに笑ったルミールくんは、ひとしきり猫の私の背中を撫でた後、魔術師団長の人を従えてお屋敷の建物のほうに戻っていった。魔術師団長の人はこれもお仕事なんだろうが、猫としては物足りなくて不満なので、早急にアスレチックになってほしい。


 戻っていくルミールくんを見送るお皿のおじさんの気配は優しかった。近所のお子さんを見守るような態度だと思う。現場職のおじさんが親しみを持って接してる様子なのを見る限り、ここに住んでる王族の人たちは、みんないい人のような気がする。そもそも、庭に落ちていたわけのわからない猫の保護を決定してくれたのも、最終的にはお屋敷の人たちだろう。


 お庭がすべてだった猫の私の意識が、お屋敷の中の人たちにも向き始めたのはここからだったと思う。



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