14. 私の目的
私の教育には、母と兄も協力してくれている。
敵に回したくないタイプの、強火な社会人感があふれる母だが、この人はこの国の王妃である。もっと言うなら、隣国の王族だった人である。私に求められるマナー的なものの上位互換を母はマスター済みなわけで、手本とするならこれ以上の人材はないと、あちこちから言われました。それはそう。
母と教師の皆さんにビシビシ鍛えられているのだけど、所作については、思ったより筋力があって良かったと評されています。正しい姿勢を維持するには、きっちり鍛えられた体幹がいるのだ。猫の間に、木や魔術師団長や護衛の人たちに登りまくった成果なのか、私の身体能力は同じ年頃の娘さんたちより上らしい。
私の成人は来年の春だけれど、それより前にしれっと公の場に姿を現す感じにしたいと思っており、それだと目標は夏、ということになる。秋や冬は向いている催しがないので仕方がないのだけど、つまり長く見積もっても、使える時間はあと三か月ぐらいしかないのだ。
必要な教育を全て修めるのは確実に無理なので、母には優先順位を振ってもらっている。最優先の項目は綻びなく、それ以外の優先項目はせめて見苦しくないレベルに、そうでない項目は後回しでいいけど来年までにはなんとかしようね、という感じだ。しかし、優先でないものはやらなくていい、ということにはならなかった。ダンスとか音楽とか古い愛の詩とかは後でいいけど、免除には絶対ならないのでがんばれって言われました。成人して大人扱いになった後のお付き合いには必要だそうです。なんてこった……。
別にね、そこまで完璧を目指さなくても本当はいいのだと思う。実際、父にはそう言われている。でも私は、完璧に「見える」ことを目指したい。短期間の付け焼刃で、全部どうにかなるとは思っていないが、公の場に出た時に、私が、ひいては私の大事な人たちが、変に侮られるようなことを防ぎたいのですよ。
外から見た私は、まだ幼い子供の頃に城内で暴漢からの襲撃を受けて、そのために姿を見せることができなくなった、哀れで弱い存在だ。実際には離宮でぬくぬくとした猫の生活をエンジョイしていたのですけども、とにかく、外から見るとそういう解釈になると思う。
五年もの間、滞在場所の情報は伏せられていたし、それどころか一切の動向が聞こえなかった娘なわけで、これはもう、若い娘の傷となるような何かがあった、と思われていても不思議ではない。
というより、そういう解釈の人は、確実に結構な数でいると思う。事件の一か月後に、実行犯が所属する組織が魔術師団によって壊滅させられている、という事実も、その解釈を後押ししている気がする。暴漢に攫われて、その先で何かあって、一か月後に助け出された時にはもう……、みたいなやつ。ありそうだし、実際に攫われたところまではあっている。
そういう、とても哀れな存在の王女が戻ってくるわけです。きっといろいろな人が同情をしてくれるのでしょう。私は基本的に、そういう娯楽を提供する存在として遇されるわけです。
それの何が問題かというと、かわいそうな子は、上に立つ者としては不適格だという扱いを受けてしまうところです。哀れで弱くて守ってやらないといけない存在が上司とか、まあ無理があるなと、私の中のかつての社会人も頷いている。
私がかわいそうな被害者になってしまうと、家族はかわいそうな被害者家族になってしまう。そして、そういう娯楽として消費される。それだけでも業腹だけど、私は王政国家の王女で、家族は王と王妃と王族なのだ。絶対的に上に立つ者でいなければならない。
こういう印象の問題は、最初が一番大事だと思うので、わかりやすく足りていないように見えるところは、ぜひとも潰しておきたい、と考えているのです。
私が父母の娘である以上、失敗すればずっと噂の種にされるのは目に見えている。王宮という空間には、場の性質からして、噂好きが多く集まりやすい。
なにしろ、兄の出生の話が、つい最近まで未だに口の端に上っていたのを、私は実際に聞いて知っている。これこそ兄にはなんの責任もないのに、未だにだ。猫の耳はいいのである。
兄が、この離宮の外ではずっと哀れな子供として扱われていたことは、想像に容易い。
今のところ、現王の子である弟はまだ子供で、私もまだ子供な上に教育が足りていないため、父に何かあったら兄が王として立つことになる。それにもかかわらず、本宮のほうでは、まだ若いという以上に侮られている部分があるのだと思う。出生の話を十七年も引っ張られているのだ、そういうことなのだろう。
最近の兄は刻々と筋肉ムキムキマンになりつつあるし、貫禄めいたものも出てきたので、世間の認識をパワーでねじ伏せる日も近い気はするけども。
兄と違って筋肉ムキムキになれそうもない私は、向けられるであろう憐みの視線を、まず最初に吹き飛ばさなければいけないのです。それが何? って感じで。
そうそう、兄には体術を習っている。準備運動も含めて体を思いっきり動かすので、勉強の間に、いい感じのストレス発散になっている。
一度は襲撃に屈している身なので、次があったら引きこもりな深窓の娘と油断した相手の、またぐらを蹴り上げるぐらいの報復はしたい。反撃は、素人では狙ってもほとんど失敗する、危ないから考えちゃだめと注意はされたが、それでも機会があったら狙いたい。心意気ぐらいは許してもらいたい。いやまあ、襲われる機会はもうなくていいのですけど。
兄に教えてもらっているのは、受け流したり、相手の力を利用して無力化する護身術が中心で、合気道ってこんな感じなのかなあと思えるものだ。筋肉信仰がありそうな兄が、これを上手に教えてくれるのが意外だったのだけど、兄自身が体術を習い始めた時にはまだひょろっとした子供だったので、最初に教えられたのが、やはりこの護身術だったそうだ。なるほど。
兄からは、私が公に復帰する最初の集まりでは、隣でエスコートする役になるからねとも言われている。
私はてっきり、家族でまとめて登壇した後に、残って挨拶を受けるぐらいかなと思っていたのだけど、そういう登場のやりかたをする集まりは大規模で、王や王妃へ挨拶したい人たちの列ができるし、さばいてもなかなかな短くならないし、その間は動けないし、挨拶を受ける側は単独で受け答えをする必要がある。だから、私の復帰に際しては、少なくともこのパターンは避けよう、という話になっているそうです。
昔はまだ幼いからという理由で、私たち兄弟は三人とも即座に引っ込んでいた。だからそんなに過酷な世界だとは知らなかった。兄は既に経験したことがあるそうで、「あれは本当にきつい」とこぼしていた。
そういう私への思いやりの他に、兄と私だけで行動することにより、変な態度を取る奴を炙り出そうという目論見もあるそうだ。一石二鳥でもあるし楽しそうなので、私も諸手を挙げて賛成した。
私は自分が割と好戦的な性格をしている自覚があるが、兄もそんなところがあるというのは、今回初めて知った。今までずっと、たくさん悔しい思いをしているのだと思う。
兄の筋肉信仰もそのあたりから来ていそうなのだけど、独学にしてはしっかり理屈が通っていそうな雰囲気がある。不思議に思って聞いてみたところ、どうやら護衛の人たちから学んだようだ。猫仲間の近衛の騎士たちに習ったと言っていました。猫仲間ってあれかな、もしかして、猫に登られる護衛の会、みたいなことになってたのかな? なっていたのかもしれないな。あの人たち、寄ってたかって登られに来ていたもの。
その、猫に登られたがっている護衛さんたちに、筋肉をつけるのならば脂が少なめの肉がいい、皮を除いた鶏肉なんか最適、という話を聞いたらしい。そもそもここ五年程、離宮の普段の食事は鶏肉多め、しかも蒸し鶏多めだったみたいで。お陰で順調に大きくなれているとお礼を言われました。私にお礼を言われる筋合いはないと思うのだけど、もしかして、蒸し鶏の過多は猫のせいでしょうか。ちょっと怖くて確認できない。猫が猫をやっていただけなのに、周囲への影響がありすぎなのではないか。
離宮で人間用として出される蒸し鶏は、ちゃんと人間がおいしく感じるソースが添えられていて、ソースのバリエーションも豊富です。さすが王宮の厨房、日本人時代にたまにコンビニで買っていたパックのチキンとは違うぜ。たぶんお値段も全然違う。
ちなみに、猫の食事に常時出ていたホットミルクの出所である牛ですが、あれは王女の私が物心ついた時には既にいたので、猫のせいではないです。
今考えると、王宮の敷地内で乳牛を飼っているという、状況そのものにちょっと違和感がある。しかも本宮の敷地の端とかではなく、離宮の側の敷地に牛小屋があるあたり、たぶん母なんだろうなあと思う。兄を育てるために牛を飼ったのではないかな。兄にだって乳母はいたはずだけど、状況的にあまり頼れなかったのかもしれない。
母の慈愛に感動すればいいのか、お城に牛小屋作っちゃうところに変に権力を感じて微妙な気持ちになればいいのか、感情が迷子になってしまう。
離宮で飼っている牛のミルクは、全部離宮で消費しており、本宮のほうの乳製品は、全部外部の契約先からの仕入れなのだそうです。王家御用達って、かなりのブランドになるはずだものね、そこはちゃんとしていた。
あと、離宮の厨房では簡単なチーズやバターも作っているそうです。乳の量が多い時期は働いている人の食事にも離宮産のミルクが出るそうで、猫の私が最初にミルクを貰えたのも、そういうタイミングだったようだ。お皿のおじさんと匠のおっかさんは、季節ならではのご褒美食材を見知らぬ猫に分けてくれたということになる。
ありがたいし、直接お礼を言いたいし、猫を囲む会メンバーによる会合の内容だってものすごく気になるのだけど、しかも弟もたまに混ざっていると聞くのだけど、今はね、私に余裕がね、ないのですよ、全面的に……!