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13. 私とお勉強



「へー、猫ってそういう感じなんすか」

「細かいところが見えないわけではないのだけど、ものによっては認識が難しい感じ。動いていればすぐにわかるし、距離も把握できるのだけど」


 私は毎朝、食事の後すぐの時間に、魔術師団の医官さんの診察を受け続けている。

 とはいえ、すでに健康体のお墨付きを頂いている身なので、これは本当に念のための経過観察でしかない。簡単な問診と、あとは魔術で体をざっくりスキャンされている。走査って言われました。簡易チェックではあるけど、様子がおかしいところがあれば、だいたいは検出されるのですって。魔術すごいって思わされる技術だけれど、魔術師ならみんなができるというものでは全くなくて、服の上から非接触で判別、というのはかなりの特殊技能だそうです。魔術師団がすごいというオチだった。


 そんな感じで、診察はささっと、それこそ五分もかからないぐらいで終わってしまう。同じ王宮の敷地内にあるといっても、魔術師団の建物からこの離宮まで、冬ならスープが冷めきりそうな程度には距離がある。毎朝ご足労頂いているのに、肝心の用件が五分未満で終わるのは忍びないので、医官さんをお茶にお誘いしたところ、それが習慣化してしまった。毎日、朝食の後にお茶を飲んでいます、ぐらいの感覚である。

 医官さんの側も、複数人で来ていたのは最初の五日だけで、その後はおなじみの口調が雑なお兄さんだけになった。このお兄さんと私は結構話が合うのだけど、お互い早口になりがちなので、周囲で聞いているほうは微妙だと思う。オタク気質な者どうしの早口会話は、そこに参戦できるメンタルの持ち主以外を疎外するのだ。ちょっと反省しています申し訳ない。


 口調が雑な歩く医療機器こと医官のカラシュさんは、もうすっかり私の主治医扱いされている。健康であると判断されている私に、医療で治すところはないのだけれど、外向けに「毎朝医師が通っている」という体裁にしているのだ。

 私が猫をやっていた五年の間、行方がわからなかったこの国の王女は、表向きは「襲撃を受けて療養中」ということになっていた。安全のため療養先は非公開、という建前である。

 五年も経った今になって、王女は離宮に戻ったけれど、まだ成人年齢には達していない。子供扱いならば、王族であってもそこまで諸々を仰々しくする必要がない。だったら、今のうちにさっさと帰還を公表してしまえ、というのを父と側近の皆さんがお決めになった。

 今の私は、「長く療養した結果復調して離宮に戻った、しかしまだ回復途上」というステータスになっている。王女はいるけどまだ本調子じゃないから表に出ないよ、という建前だ。


 その結果、カラシュさんは毎朝「主治医です」という顔でやってきて、お茶を飲みながら雑談して帰るというルーチンをこなすことになっている。主治医というのもまるっきりの嘘ではない。時間の九割は雑談だけど、一割は経過観察という名の診察をしているのだからセーフだ。

 その九割が長くなりすぎると、部屋に控えている私付きのメイドたちが止めてくれる。それがだんだん頻繁になってきたという点はちょっと反省しています。早口会話はですね、興が乗ってしまうと止め時を見失ってしまうんですよ。


 あの後、父たちは忙しくなってしまったそうで、ちゃんとした話はあまりできていない。夜は可能な限り離宮に戻ることを目標にしている父はともかく、魔術師団長は奥さんと双子ちゃんたちが待っているご自宅に帰るので、本当に機会がない。

 なので、追加で思い出したことや話しておきたいことができたら、私からカラシュさんに話して、話を聞いたカラシュさんは、得た情報を確認して相応しいところに上げる、ということをしてくれている。魔術師団や、師団長個人からの伝言も伝えてくれる。医療機器のみならず、ネットワークハブも兼任しているこのお兄さん、話し方は雑だけど、それ以外は仕事ができるタイプなのかもしれない。


 伝言がなくとも、カラシュさんから最新の師団長情報が流れてくることもある。それで知ったのだけど、あの人は師団の仕事とは無関係に、昼に時々離宮まで来ているらしい。王族のいる区画までは来ていないようだし、理由はカラシュさんも知らないそうだ。

 なんだろうねとなったのだけど、その後に別口で情報が入った。昼休みの庭師小屋に立ち話をしに来ているらしい。私が猫ではなくなったので、猫を囲む会は自然に解散となったはずなのだけど、その猫を囲む会の初期メンバーで時々顔を合わせているようだ。

 以上、たまにそこに混ざっているという兄からの情報である。いや待って、何話してんの君ら! 内容が想像つかない! 兄曰く「ないしょ」だそうです!


 自分のところのボスのプライベートな情報を堂々流してくるカラシュさんが、「今日あたり来ると思うっすよ」とか予測を添えて誘惑してくるのだけど、残念ながら私は今、この間までの猫の生活とは比べものにならないぐらい忙しいのです。健康体のこの国の王女十五歳が、何もせずに離宮に引きこもっているのもどうかと思ったので、王族として公にきちんと復帰しようとしているのである。


 自分で生まれを選べたわけではないけれど、この国は王政であり、私は王女であるので、王族としての待遇を受け続けるからには、それ相応のお仕事をしたい気持ちがある。べつに政治や行政に直接関わらなくても、例えば外交とか、研究や福祉の広告塔とか、いろいろとできることはある。日本人だった頃の私も、そういうものだと知っていた。

 この国の王族でございます、という顔をするために必須な知識や技術もあるのだが、教育が本格的に始まるあたりで私は猫になってしまい、猫として五年間を過ごしてしまっている。多少の不足は誤魔化しが利く年齢のうちに公の場に出ておきたいが、この国の成人年齢って十六歳なんである。あと一年しかない。


 というわけで、私は現在、足りないところの詰め込み教育を受けている。


 最初に習熟度の確認をされたのだけど、不幸中の幸いで、私の状態はそこまで悲惨ではないと判断されている。マナーや仕草のような、身に染み込ませないといけないものは先行して習っており、ある程度の土台があった。かつての社会人経験により、ビジネスなお付き合いの実践経験も、文化は違えどあるにはある。日本人の私は大卒理系の端くれだったので、その辺の学問知識も一応あるし、勉強の仕方も知っている。この国特有の内容も、十歳までに習ったことと猫の間に見知ったことがあり、全くの無ではない。

 猫が弟の授業に混ざっていたのは、「授業を受ける王子と猫という図は面白いだろうな」という、出来心以外の何物でもない理由によるのだけれど、潜入しておいてよかったと心の底から思っている。


 問題なのはこの国の古典の教養と外国語、それと音楽やダンスだ。

 会話の引き出しとして必要になる古典の教養は、男性よりも女性が強めに求められるもので、古語の読解のほかに、古い物語や詩の鑑賞が必要になる。弟の教育では優先度が低いものなので、猫がしれっと混ざる先すらなかった。その結果、限りなく無に近いところからのスタートになった。

 音楽やダンスも無から始めているのだけれど、今のところ無の域を出ていない。ゼロにどんな数字をかけてもゼロになるからである。

 楽器は十歳までの間に少しだけ習っていた。日本で学生をやっていた頃にも授業はあったし、カラオケに行ったことだってある。ただし、私には絶望的なまでに音感というか、リズム感がないという特性があるので、演奏もカラオケもダンスも、途中でわけがわからなくなるという特技を持っている。そのため、身についている技能は実質なにもなし、無からのスタートとなっております。王女としての十年に猫の五年、さらにかつての三十三年間を足したって、そこになければないのである。無理なものは無理。


 すっかり雑談仲間と化している医官のカラシュさんは、研究職でもある。魔術師団は魔術において国内の最先端を行く必要があるので、師団に所属していると自動的に研究もすることになるのだそうだ。

 そのため、師団の建物には魔術関係の本や資料が大量にあるのですって。私の愚痴を聞いた次の日に、ウキウキしながら古くて分厚い本を持ってきたカラシュさんが教えてくれた。私の体を猫にしたアレね、呪いじゃないかって言われているやつね、呪いと呼ばれるもの自体、最近の事例は全然ないんですって。

 その、昔の呪いの話が書いてある古い本をね、古語のお勉強がてら読んだらいいというご提案でした! 貸してくれるって! 嬉しくない! 読んだら内容教えてって言われました! さてはお前も古語苦手だな!

 まあでも、私は古語の理解から始めなければならない身なので、壮大な恋愛叙事詩とか、熱い愛の詩とか、そういうあたりから入るよりはだいぶマシな気がする。教養として必要とされているのはそっち方面なのだけど、私の中の照れ屋の日本人が無理って言うし、興味が薄いのはもうどうしようもない。

 どうせなら、ダンスの参考になりそうな舞踏とかの資料はないのかとダメ元で聞いてみたところ、古語で扱う年代よりもっと古い時代の、儀式の舞踏の資料ならあるとの回答を得ました。シャーマニズム的な何かだと思われる。

 興味がないと言えば嘘になるけど、私に求められているダンスは、どう考えてもそういうものではない。なにをどうやっても無にしかならない結果に、私は頭を抱えるのだった。



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