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10. 私と情報共有



 その後は大変な騒ぎになった。

 五年前に行方不明になったはずの王女が、突然離宮の城内ど真ん中に現れたのだ。これで騒ぎにならなかったら、どう考えてもそのほうが問題だと思う。


 部屋から一旦退出した魔術師団長が、てきぱきと各所に連絡して必要な人員を手配してくれ、私は速やかに人間の娘十五歳の体裁を整えられた。私は魔術師団長をずっと遊び相手だと思っていたのだけど、仕事も本当にできる人だった。今まで少し疑っていましたごめんなさい。

 長く伸びすぎた髪を切り揃えてもらい、爪も整えてもらった。爪は案外伸びておらず、猫としてせっせと爪とぎをしていた結果が出た可能性がある。爪とぎ用に丸太を貰っていてよかった。


 さっきまで猫だった私は、当然服など着ておらず、堂々の全裸状態だった。そこにどこからか、若い女性向けの室内着が差し出されて、かつて私付きだったメイドたちに寄ってたかって着せられた。みんな泣くのを堪えて大変な顔になっている。

 あの時まで私のものだったこの部屋が、使う者がいないまま、それでも毎日整えられていたことは、勝手に使っていた私自身が良く知っている。どう見ても新品のこの室内着も、同じ理由なのだろう。

 あの日に失われた王女が、いつ戻ってもいいように準備されていたのだ。


 私の体裁がギリギリ整えられてすぐ、魔術師団の医官さんたちの診察を受けた。私の体に何か危険なものがあった場合、例えば家族と会っている時にいきなり爆発なんかしたら、この国の王族が全滅してしまう。そういう事態は最低限避けないとまずい。

 それなのに、なぜか母だけは診察に入る前に部屋に突撃してきた。止めてくる近衛隊と魔術師団の面々を振り切ったそうだ。

 思い出してみれば五年前、猫の私がここの庭で最初に得た情報は、母がショックで寝込んでいる、というものだった。母が私たち兄弟を守るために心を砕いてきたということだって、私はもう知っている。

 母はきっと責任を感じているのだろう。だからこそ私は、五年前の自分の過失を重く感じる。


 自分の軽率な行動のせいで、ずいぶんたくさんの人たちに迷惑をかけてしまった。


 診察後、問題なしとされた途端に部屋の中になだれ込んできた弟と父と兄にもみくちゃにされながら、私はそんなことを考えていた。比喩でなくもみくちゃである。常識の範疇の動きをする兄や、まだ子供の弟はともかく、父が酷い。頭を撫でまわして、せっかく体裁を繕った髪の毛をもしゃもしゃにされた。ほっぺたも揉まれた。落ち着いてほしい。

 私は猫の間もずっとここに住んでいたので、感じかたや見えかたは違えども、みんなとは普通に昨日も会っているという認識だ。弟などは今朝も会っている。けれど、家族や離宮の人たちが、昨日まで五年間見ていたのは猫であり、王女を見るのは五年ぶりで、おそらくそこに齟齬がある。もうちょっと落ち着いてからでかまわないので、そのあたりもできれば理解してほしい。



「王女の帰還は段階的に公表するつもりだが、王女が猫に姿を変えられていたということは秘匿する。既に知っている者については箝口を命じる」


 母にしこたま叱られて、ようやく落ち着きを取り戻した父が、王の態度で宣言した。


「体を獣に変えるようなすべがあると広く知られてしまえば、必ず情勢の乱れに繋がる。王女の瑕疵とされるのも避けたい」

「瑕疵……?」

「若い娘ということだけに価値を見出だすような輩が、残念ながら結構な数いてね」


 父は言葉を濁したけれど、なんとなく想像はついた。つまり純潔を危ぶんだり、そうだったらいいと思っているような人が、ある程度の人数存在する、ということですね。なるほどね。

 風評だと鼻で笑ってやればいいのかもしれないけれど、私は王女なので、いらない火種は事前に消しておいたほうがいい。


 理由には納得したけれど、この場合、庭師さんや下働きのメイドさん相手には、おそらく事情を明かすことはできないだろう。

 ついさっきだって、やらかしてしまった猫にとても優しかった人たちだ。情報もなく猫が居なくなってしまったら、心配したり、悲しんだりするかもしれない。


「父上、クロちゃんは事情があって私の部屋で飼うことにした、ということにしてもいいですか?」


 私の顔をちらりと見ながら弟が言う。そういえば、彼はお皿のおじさんにかなり懐いていた。


「それだと、私のための食事が朝晩用意されてしまうと思う。厨房に頼んでくれていたようだから」

「姉上は本当にクロちゃんなんだね……」


 その通りではあるけれど、複雑そうな顔でしみじみと言わないで欲しい。

 弟はもともと姉大好きっ子だったのだが、猫も大好きなことは知っている。姉が戻って来たことはうれしいが、引き換えに猫がいなくなるのは寂しいのだと思う。というのはわかる。わかるけれども。


「それなら、魔術師団の建物のほうで預かってもらっている、ということにしましょう。どちらにしても魔術師団の協力はいるし、あそこには使い魔がいると知られているから、ちょうどいいわよ。監督者は私ということにしておけば、変な探りは避けられて、外からは大した話ではないように見えると思うわ」


 私は引きこもりの王妃様だからね、と母が悪い顔で笑っているので、たぶんわざとそういう立ち位置を作っているのだと思う。社会人経験者の目線で見る母は、敵に回してはいけないタイプの怖い人である。

 でも、そういうことなら、猫の私によくしてくれた人たちも安心してくれる気がする。子猫としては育ちが遅いことを知っていた人たちは、何かを察してくれる可能性もある。全部が落ち着いたら、どこかでそっとお礼を言う機会があるといい。


「ニーブルト卿が城内にいる猫をものすごく気に入っているって話は、ご婦人の間でとても有名なのよ。そういう意味でも信憑性高くていいと思うわよ」


 かつて孤高と名高かった魔術師団長が、猫大好きとして知れ渡っている――


 真面目なことを考えていたのに、母からおもしろ情報を不意打ちで暴露されて、私は堪えきれずに吹き出した。



 翌日は朝食の後、私の部屋で父と魔術師団長に立ち会ってもらいつつ、たくさんの医官さんたちの診察をうけた。日本人だった頃、入院中にたまにあったえらい先生の回診みたいな人数で、広いはずの私の部屋が手狭に思える。

 いろいろと確認された結果、私の体に健康上の問題は見当たらないが、しばらく経過観察をしたいと言われた。異存はないので了承した。


 そのまま、医官さんのうち二人だけが残り、他は父と魔術師団長以外の人払いがされ、こんどは事情聴取が始まった。

 立ち会いの医官さんの一人は女性で、魔術師団の医療部署長にあたる方だそうだ。

 もう一人は、以前から猫の健康診断もしてくれていた、歩く医療機器こと口調が雑なお兄さんだ。名前も聞いた。カラシュさんというそうです。脳内であんまり適当な呼び名を使っていると、咄嗟に口から漏れるかもしれず、人間の体は危険がいっぱいである。カラシュさん、カラシュさんね、よし覚えた。


「訊かねばならないことも、こちらから話さなければならないことも多い。だが、まずは五年前のあの日の経緯を、わかる範囲で聞かせてもらえないだろうか。もちろん話せる範囲で構わないし、医官が無理だと判断したら止める」


 医官さん二人の同席には、私への配慮もあったようだ。いわゆる心的外傷を心配してくれているのだと思うが、必須ではない情報を伝える気がない私にとっては助かる話だった。なにしろ魔術の中には、本人が伝えたくないと認識したものを話させる術、なんてものもあるそうなので。これは猫が弟の授業に混ざっていた時に知った。


 私は、私が生まれる前の三十三年間については伏せると決めた。

 なにしろこの国、日本人の記憶にある「魂」に当たる概念がなさそうなのだ。十歳までの知識でふわっと知っている限りでは、この国の一般的な信仰や死生観は日本人の感覚とそこまでかけ離れていない。ということは、魂や転生に近い考えかたがあってもおかしくはないのだけれど、そういう概念に接した覚えが全くない。十歳までの私の感覚を思い出す限り、少なくとも「転生」という現象を違和感なく受け入れるのは難しい気がする。たぶん、言葉も存在していない。

 そんな状態なので、誰かに話すにしても、少なくとも今のタイミングでは避けたい。人間が猫になった上に、精査してもそのことがわからないというのは、かなり異例のことらしい。この国で最も魔術に精通しているのが魔術師団で、それでもわからなかったのだ。そんな状態だったとはっきりした今、そこに余分な情報を乗せたくはなかった。開示するにしても、もう少しいろいろわかってからでも遅くはないと思う。

 十五歳にしては認識が妙に老成していて、いろいろと不自然な知識を持っている自覚はあるけど、猫として離宮内を好き勝手に歩いていた五年間があるので、それを盾にどうにかごまかして押しきるつもりです。


「その前に、先にお伺いしたいことがあります。五年前に私を拐した者達について、どの程度把握され、対処なされているのかをお聞かせ願えませんか」


 父と魔術師団長が面食らった顔をした。

 この二人は、十歳の王女だった私をよく知っており、大人びた口調が記憶の中の私とつながらないのだと思う。娘としてではなく、王女の立場でちゃんと話そうとしたのだけれど、ちょっと社会人の経験が顔を出しすぎたかもしれません。いや、ほら、猫はいろんなところで、いろんな人の口調を聞いていたから……。そういうことにしておいて欲しい。

 ちなみに、私はこの国の言葉で困った覚えがない。日本語とは文法すらも違うのだけど、元々はこの言語のネイティブ話者をやっていたお陰か、王女としての記憶が無かった間でも、なんの不自由も感じなかった。転生特典かと思いきや、単純に自分が学習内容を忘れていなかっただけというオチである。そして視力が人間のものに戻った今では、問題なく字も読めている。猫をやっていた間に文字を忘れなくてよかった。


「――いや、すまない。わかった、まずはそこから話そう」


 我に返った父が、これまで王宮の側で把握している経緯を教えてくれた。


 本宮の庭に侵入した男三人が、弟と間違えて私を攫ったこと。

 三人のうち一人はその場で捕縛されたが、残る二人に私を連れて逃げられたこと。

 この二人は即日捕らえられたが、私が連れ去られた先がわからなかったこと。

 犯人たちの拠点の内定を進めて、一か月後に複数の拠点を一斉に制圧し、首謀者らしき者も含めて全員を捕縛、のちに処罰したこと。


「ああ、ニーブルト卿がしばらく留守になさっていたあの時ですか」


 魔術師団長がとても複雑な顔で私を見ている。たぶん「本当にあの猫だったんだな」とか思っているな? 昨日の弟もそんな顔だったからな? 私は詳しいんだぞ。


「首謀者はどういった者だったのですか?」

「反王政の結社の者達だった。王都と、郊外含めて七か所ほど拠点を持っていたのだが、その全てを壊滅させた。調査や、尋問の結果からも、他に拠点らしきものはないと判断したのだが……」


 私は見つからなかった。その時は既に猫としてここの庭にいたのだから、見つからなくて当然ではある。


「捕縛した者の中に、魔術師や、それに類するような者はいましたか?」

「一人いました。情報は私どものほうで追いました。王都の養成所を出た後、就業はせずに地下活動を行うようになった者で、背景に何らかの勢力があるという形跡は見られませんでした」


 魔術師団長が引き取って答えてくれた。


 この国には、魔術師の養成所があるのだ。魔術を扱えるかどうかは、生まれつきの素質によるのだけれど、素質がある人がそのまま魔術師を名乗れるわけではない。養成所を卒業してはじめて、魔術師を名乗って仕事ができる、という仕組みになっているそう。

 養成所の門戸は広く設定されていて、この国の国民か王が認めた者ならば、あとは成人してさえいれば門前払いはされない。入所前に行われる、基礎学力の調査と適正検査に通る必要はある。この養成所で一定以上の成績を納めれば、学費が免除される上に魔術師団からスカウトが来るのですって。なかなかに手厚い。

 これは今、すぐそこで真面目そうな顔を作って控えている、歩く医療機器ことカラシュさんに聞いた話である。うっかり本人を直接「歩く医療機器」と呼んでしまわないように気をつけたい。


 養成所に行ったのに、師団どころか魔術師として就業もしていないということは、何かの理由でドロップアウトしてしまった人なのだろう。


「ということは、若い人ですか?」

「そうですね。当時で二十一歳、だったと思います」

「わかりました、ありがとう」


 そんな気はしていたけれど、五年前の事件は、きっとまだ終わっていない。


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