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彼の右腕

作者: 雉白書屋

 ……私は今、腕相撲大会の会場に来ています。

 出場権も興味もない女の私がなぜ、ここに居るのかと言うと彼氏が出場するからです。

 そう、ある日彼はどういうわけか腕相撲の魅力に目覚めたと言い、体を鍛え始めたのです。


 それも……右腕だけを。




『おいっす! ははは!』


『わっ、あ、おはよ。もーう、叩かないでよ、びっくりしたぁ』


『ごめんごめん! はははは!』


『ふふふっ、なんか、前より明るくなったよね』


『あー、多分、筋トレのお陰かな! 食生活とかもさ! 気にしてんだぁ!』


『ああ、腕相撲大会だよね? いつだっけ?」


『半年後だよぉ! ははは! 応援に来てくれよな!』


『うん。でも腕……太くなったね、右腕だけ』


『ああ、大会は右腕しか使わないからな! あっ、ははははは! せっかく鍛えたものの左利きの相手と当たって使わずじまいなんてオチはないぜ! レギュレーションで決まってんだ! ははははは!』


『あ、あはは……なにがそんなにおかしいかわからないけど、頑張ってね……』


 彼が腕を鍛え始めて間もない頃の会話です。この時、私の胸の内には言いようのない不安が蠢いていました。

 でも、ほんの始まりに過ぎなかったのです。




『よぉ!』


『ひっ、あ、お、おはよう……』


『んんー? どうしたんだ? 変な声出して。俺だよ俺。あ、ははははははっ! そうか、腕から登場したから誰かわからなかったかぁ! そうだろうそうだろう! 立派になっただろう! でも仕上がりはまだまだこんなもんじゃないんだぜ!』


『そ、そうなの……その右腕、なんか、もう左腕の倍ぐらいの大きさだね……。あ、あのその注射痕みたいなの、あ、いや、なんでもない……』


 私は訊けませんでした、何も。そして、それからまた日が経つと彼は……。




『おはよう!』


『あ、おは……』


『だーれだ?』


『え、いや、腕で自分の顔を隠されても……』


『ああ! 失念! そうだよなぁ! こんな立派な右腕、俺以外にいないよなぁ! ほら、綺麗だろう? 毛も剃ったんだ。……でもさ、信じられるか? 嘘だと思うだろ? これでまだ、成長途中なんだぜ? ああ、ほら、見てくれぉ! この筋! ほらほらほらぁ!』





『おはいよぉう!』


『ひぐっ! か、肩掴まないでよ……いや、肩というか首と頬まで……』


『ああ、悪い。いまいち感覚がつかめなくてねぇ。それはそうと、最近そっけないじゃないかぁうぅん?

はははははは! ま、トレーニングに忙しいからねぇ。構ってやれなくてスネるのもわかるがねぇ。と、時間と言えばそうそう! いよいよ大会が始まるんだぁ。応援に来てくれるよねぇ?』


『あ、あの、わか、わかれ、いや、あ、はい……え、あの、それ、なに? あ、穴?』


『ああ、腕を切開したのさぁ。そうすれば直接ここに栄養をねじ込めるだろう?

ふふふ、はーはっはっはっはっはっは! 力こそが全てだ! はーはっはっはっは!』


『あ、あはははは、い、いえーい、ぱわー……』





『ん? なに……みんなザワザワ……まさか、うわっ』


『やあ』


『あ、うん……あの、まさかそれでここまで来たの?』


『ああ、右手で歩くのはいい運動になるからね』


『右手で歩く……聞き慣れない言葉……』


『いよいよ来週だ。ラストスパートをかけないとね』


『ああ、そう……ラスト……あ! でもあれよね! 大会が終われば元通りになるよ……ね?』


『もとぅどぉりぃ?』


『なんで急に怪物みたいな喋り方に……いやもはや怪物だけど』


『あははははは! 冗談さぁ! そうだよ、次は世界大会なんてオチはないさ。何せ今回の大会が最高峰! 世界中から猛者たちが集まるのだからね!

そう……実はある凄腕の人に参加権を譲られてね。その人の期待を裏切りたくなくて必死に鍛えているんだ』


『あ、そうだったの……悲しきモンスターにはやっぱり理由があったのね……』


『それで、みなみ。応援に来てくれるね?』


『うん……行かないと後が怖いし。ふふっ、あははは!』


『はははははは! なんだよそれ! ははははーはっはっはっはグギャギャギャギャア!』


『その笑い方はやめてね……』


 ……と、目を閉じて浮かぶ彼との思い出は邪悪なシオマネキに侵食されてしまったようですが、でも大丈夫。今日さえ終われば後は徐々にあの魔界の風船も空気が萎んで、元の彼とその腕に戻ってくれるでしょう。そう、彼は元々は優しくとてもいい人で……。



「……やあ、来てくれたんだね。ふぅーいよいよ本番かぁ……」

「アウアー」


「あ、うん……あの、それ」


「ああ、なんか急に出てきてね。ふふっ可愛いだろう。あ、僕らの赤ちゃ――」


「違う! 断じて違う! その人面瘡は赤子などではない!」


「きゅ、急にどうしたんだよその口調……。怖いな……」


「はあはあ、ご、ごめんね。ちょっと頭が追い付かなくて……でもそれはただのシミュラクラ現象。顔に見えるのはただの穴と穴と穴ぁ! 喋っているのだって、ただガスか何かが漏れているの!」


「……マンマ……ママァ……ミナミィママァ……」

「はっはっは、可愛いなぁ。みなみの写真を見せて覚えさせたんだよ」

「いやああああああぁぁぁぁ!」


「ふふふふ、まあ見てなって親子二代の活躍をね」


「いやぁ、いやぁ……で、でも楽勝よね……終わったら元に、元に……」



 余裕で優勝。そう思っていました。

 でも……力に溺れた彼は、合気道の達人、なのでしょうか? 私には興味がないのでわかりませんが、わざわざ彼に合う大きなテーブルを用意してもらったのに彼は無様にも一回戦負け。その達人も次の試合で負けていました。

 彼は引くほど落ち込み、部屋に引きこもり、私は毎日お見舞いに行ったのですが何も喋らず、作ってきた料理も口にしようとしませんでした。

 だから私は……。





「ままー!」


「うふふ、ほらぁ、こっちよ!」


 あれから月日が経ち、すっかり萎んだ彼。親子三人で仲良く今日も元気に公園で遊んでいます。

 ね? パパ。


「ミィナァミィ……セワァヲォ……カケェルゥネェ……」

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