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ミニマリストの真髄とは「モノを減らすこと」ではなく、「OOOOに気づくこと」だと思う。

 以前エッセイにも書いたが、自分はリサイクルショップの類が大好きだ。


 掘り出し物を探す楽しみももちろんあるが、どちらかというと「不用品を売る」ことの方が多い。


 そして恐らく自分は、いわゆる「ミニマリスト」だ。


 ミニマリストとは最小限ミニマルのモノで暮らす人のことで、近年ではYoutubeでもミニマリストに関する動画が沢山上がっている。


 ただ、ミニマリストになろうとしてなったわけではなく、とあるきっかけで部屋をスッキリさせることの良さに目覚め、結果としてモノの少ない生活に行き着いただけだったりする。


 今回は、ミニマル生活を10年以上続ける中で感じたあれこれを、ちょっと語ってみたいと思う。




 現在、自室の仕事机にしているのは、お恥ずかしながら小学生の時から使っている、いわゆる「学習机」だ。


 その学習机についていた本棚部分を全て取り払ったことが、自分が「ミニマリスト」の歩みを始めたきっかけに思う。


 今では作曲家として仕事をしているが、卒業後のアマチュア時代はまだ実家暮らしで、本棚やライトやらがあれこれくっついた学習机を、DTM(音楽制作)机としてそのまま使っていた。


 だが、本棚があるせいか作業スペースが狭く、机の上はいつもパソコンや音響機材でごちゃごちゃしていて、マウス操作も一苦労。


「音楽制作用に新しく机を買うか!」なんて意気込みもしたが資金も、狭い部屋に新たに机を置くスペースもなかった。


 そんなある日、朝起きてボーッと机を眺めていた自分の脳裏に、パッと閃いたのだ。


「机の本棚、いらなくね?」と。


 本棚にあるのはもう読みもしない高校の教科書や、クローゼットにしまえる楽譜など。


 小物スペースに置いている文房具なども、正直ほとんど使っていない。


 本棚がなくなれば天板は広大な作業スペースになる。そうすれば机を新たに買う必要もない。


 そう気づいた自分は寝巻きのまま作業を開始し、その日のうちに本棚を取り払ったのだが……そうして生まれた、何一つモノのないスッキリとした天板を目にした時、正直感動に近いものを覚えた。


 すっかりその感動(爽快感)の虜になってしまい、それから一週間ほどかけて、部屋の中の使っていないモノやなくても困らないモノ、他で代用できるモノを片っ端から処分していったのだ。


 冒頭の某リサイクルショップにも大変にお世話になった。


 そして気づけば、自室にある家具は仕事机と椅子、そしてソファー1台しかなくなった。


 一人暮らしを始めてからも、自室兼仕事部屋には上記の3点をそのまま持ち込み、今に至るまで極力モノを持たない、増やさない生活をしている。



 さて、ここまでの話の中で「いらない」「処分」などの言葉が頻出したが、もしかするとミニマリストに対して冷血だったり、殺風景なイメージを持たれるかもしれない。


 だが自分の場合、不思議なことにモノを減らしていくほどに「得る」ことが増えていった。


 先に述べておくと、個人的にミニマリストの真髄とは「モノを減らすこと」ではなく、「あるものに気づくこと」だと思っている。


 例えば前述の学習机だが、本棚を取り払ったことでこの机がいかに広い天板を持ち、しかも良い素材で良い仕上げをされていることに気づいた。


 だからこそ、今でも大事に使えている。


 作業スペースが狭く、パソコンやらでごちゃごちゃとしていた時には、その良さに全く気づきもしなかった。


 また、減らすモノを選別していく中で、実は身にあまるほど沢山のモノを持っていることを知り、驚き......あれこれ次々と買い足すことで埋もれさせてしまったり、扱いきれてなかったことに反省すら感じた。


 そしてこうした気づきや習慣は、モノだけではなく対人関係にも通じることなのだ。


 リアルもネットも含め、周りの人たちの良さや優しさに、自分はどれだけ気づけているだろうか?


 ないものねだりをするのではなく、今あるモノで満足しよう、良さを知ろうとする習慣は、対人面での考え方すらも変えてくれた。


 友人が多いわけでも人気者でもなんでもないが、今関わってくださる人たちがいるだけでもう十分幸せなのだと。


 これぞまさに、「足るを知る」ではないだろうか?




 最後にもう一つ、ミニマリストを目指す方、断捨離を進める方に間違ってほしくない認識がある。


 それは、「ミニマリスト=ケチ」ではないということだ。


 例えば、服を買うことが大好きな方がいたとして。


 断捨離に目覚めると、あまり着ていない服を処分していくことになる。


 メルカリで結構売れるし、どんどん服が減っていって、クローゼットやタンスがスッキリしていくことは気持ちよくも感じるだろう。


 だが、無理やりダイエットをすると健康を損なうように......元々好きだったものをガマンして買わなすぎると次第に苦痛を感じる、つまり「心の健康」を損なってしまうのだ。


 これでは本末転倒だ。


 ミニマリストは「モノを買ってはいけない」のではない。


 不要なモノを捨てていくことで、自分が何を持っているのか(あるものに気づく)、そして、自分が本当に大切にしたいものは何なのかをハッキリさせること......言うなれば、「価値観を洗練していくこと」が大事なのだ。


 そしてその洗練された価値観によって「安物買いの銭失い」はやめ、本当に価値や必要性を感じるものにはきちんとお金を使い、満足するべきだ。


 服ならば、「セールで安いからと買い込んだものの一度も着ない」のではなく、高くても満足できる一着を買う、これが正しいと思う。


 このように、価値観の洗練によって「お金の使い方が上手になる」ことも、ミニマリスト化する中での大きな副産物といえる。


「節約」も副産物というか、醍醐味なのは否定しないが、ケチになってつまらない日々、心が不健康な日々を送るのは、ちょっと違うかなと。


 自分も、不要なモノにお金を使わなくなった分、自身が本当に必要と感じるモノ、大切にできるモノや特別な体験には惜しまずに出費することで、満足度の高いお金の使い方ができるようになった。


 あくまで、快適で幸せな生活のためにミニマリスト化を進めること、価値を感じるものにはきちんとお金を使って満足することを、このエッセイを通して自分は提案したい。


 長々と書いてしまったが、ミニマリストを目指している方、興味を持たれている方にとって、何かの参考になれば幸いだ。


 そして、自分なりのペースで、やり方で、「ミニマル加減」で、ミニマリストライフを楽しまれることを願っている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「足るを知る」 確かにその通りですね。 素晴らしいエッセイでした。 ……家に帰れたら、ちょっとだけ片付けを頑張ろうと思いました。
[良い点] 持て余す、扱いきれない、不満足。陥りやすい心理ですね。だから違う物を探してしまう悪循環…… あるもので満足出来る環境 日本人なら得意分野とされてきた工夫という価値観 そして必要な物には…
[良い点] 私もつい最近まで子どもの頃の学習机本棚取っ払ってを使っていたのですが、仮家から戻る際に処分しました。 その際に改めて思ったのが、その頑丈さです。 解体しないと部屋から出せなかったのですが、…
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