スイカの記憶
ひと夏のなんとやら。
夏には色々な魅力がありますよね。
その中には怪談、幽霊話なんてものも含まれておりまして、
怖さは微塵も感じさせないけど妙にもやっとする、そんなお話です。
入道雲に魅せられて、蝉に騒がれて、風鈴に涼んで、気分が浮かれる。
日本には四季が存在し、それぞれ異なった風情があるけれど、俺は夏が一番好きだ。汗はかくし虫は湧くし嫌われる要素が豊富でも、それを超える良さがある。夏にしかないイベント、食事、雰囲気、服装、それに怪談も、もちろん含まれている。
俺こと高校三年生男子は、夏休みを絶賛満喫中であった。と言っても、連日30度を余裕で超える状況で外出する気は毛頭なく、クーラーの効いた自室でゲームや読書に明け暮れていた。文頭で夏の良さを語ったけれど、昨今の温暖化に伴う異常気象にはさすがの夏好きもお手上げなので、時々窓の外を眺めてぼーっとするくらいしか夏に触れあうことはできなかった。しかしそんな大人しいサマーライフは、ある日突然崩されることとなる。
お盆帰省。母方の祖父母宅へ父親の盆休みを使って顔を出しに行くのだ。正直家から出たくなかったしこんなくそ暑い中出歩くなんて正気の沙汰じゃないと思っていたが、具体的な断る理由もなくふにゃふにゃ渋っていると、半強制的に車に乗せられ気付いたら田んぼ道を走っていた。空調が絶好調な車内から見る夏の田舎道は、絵画と見紛うほど美しかった。一切の不純物を取り除いた青と弾力のありそうな雲、頼もしい深緑の木々と風に波打つ稲、この景色が見られたなら、家から出てきてよかったと心から思った。やっぱり、夏は良い。
視界を埋め尽くす夏の醍醐味に見惚れていると、ふと車が停まった。いつもの駐車場に着いたようだ。各自荷物を持ちドアを開くと、一瞬で汗が滲んだ。うっかり失念していたが今日は37度の猛暑日で、しかも山に囲まれているせいでほぼ無風な土地へ出向いていたんだった。車から出るのを本能的に躊躇していると、早くばあちゃん家行った方が涼しいよと母親に声をかけられ、渋々足を踏み出した。大した距離はないはずなのに、祖父母宅へ到着する頃には三人とも滝のように汗をかいていた。カラカラと心地いい引き戸の音が、安息の地へ到着したことを告げた。
「いらっしゃいよく来たね、早くあがんなさい」
開ききると同時に居間の方から祖母が迎えに来てくれた。第一印象は優しそうで決定な笑い皺が可愛らしいおばあちゃんだ。お邪魔しますと声をかけて玄関に上がると、居間の卓袱台に冷たいお茶を置いて新聞を読む祖父の背中があった。祖母とは対照的に不愛想な怖い爺さんに見られがちだが、その実思いやりがある寡黙なおじいちゃんなのだ。とりあえず順番にお風呂をお借りして汗を流し、さっぱりしたところで昼食をみんなでいただくことになった。最後に俺が出てきたときには粗方用意されてしまっていたので、箸やコップを食器棚から並べるくらいしか手伝えなかった。
メインは夏の定番そうめん。おかずにサツマイモの天ぷらと枝豆のかき揚げ、薬味のネギが卓上に配置され、飲み物は麦茶だった。育ち盛りの俺が居るのもあってか、そうめんはざるから溢れんばかりに盛られていた。いただきますと声を合わせてから、各々箸をつけ始める。学校はどうか、大学には行くのか、最近の趣味は何か等々、久しぶりに会った孫との会話は止め処がないようで、俺はずっと質問されては答え、又質問されては答え、たまに質問してみてもすぐに主導権を戻され、普段なら20分とかからず終わる食事の時間も、気付けば1時間を超えていた。まぁ思春期とはいえ祖父母は大切にしている方だし、この時間は心が和むいいひと時だった。
たらふく食べて畳に寝っ転がったり、新聞を読んだり、テレビを見たり、各々が好きなように食休みをしていた時、ふと祖母が立ち上がりスイカがあった。と嬉しそうに台所へ向かって行った。俺も何か手伝おうかと思ったけれど、満腹感が心地よくて動きたくなかった。うとうと意識を手放しそうになったり手繰り寄せたりを繰り返しているうちに、三角錐の形に切り分けられた色鮮やかなスイカがやってきた。ありがとういただきます、と声をかけて一つ手に取る。卓袱台を背もたれにするかたちで窓の方を向くと、手入れされた小さな庭、それに続く縁側が目に入った。そしてそこに、一人の少年が座っているのが見えた。特に不思議と感じることもなく、ごく自然に縁側へ腰を下ろした。透き通る少年の声の後ろで、遠く蝉が鳴いていた。
「今日は暑いね」
「え、あ、暑いね」
「最近はずっとこうなの?」
「まーずっと暑いけど、今日は特にかな」
「そっか。スイカ美味しい?」
「美味しいよ。持ってこようか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう」
「スイカ嫌いなの?」
「めちゃくちゃ好き」
「やっぱ持ってくるよ、いっぱいあるし」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「うん。分かった。そういえば君いくつなの?」
「15歳」
「中学生か、ばあちゃん達と知り合い?」
「そうだよ。親戚とかではないけど、よくしてもらってた」
「そうなんだ。じゃあこの辺の子?」
「うん。ご近所さん」
「そっか」
「うん」
「今は夏休み?」
「そんな感じかな」
「宿題やった?」
「やってない」
「だよね。俺も全然進めてないわ」
「高校はどんな宿題が出るの?」
「大したことないよ。ただ量が凄まじくて、やたら時間がかかる」
「大変そうだね」
「面倒だよ」
「高校生ってどんな感じ?」
「中学生とそんなに変りないと思うよ」
「そうなの?」
「でも中途半端に大人に近いから、中学生よりたち悪いかも」
「ちょっと苦手かも」
「俺も正直居心地悪いよ」
「それならこのままでもいいかもな」
「どう頑張ったって年は取るし、まぁ高校に通わず働く道もあるけど、そっちの方が大変じゃないかな」
「僕なら大丈夫だよ」
「え?」
「ううん。なんでもない」
「そっか。それにしてもなんか、変な感じだな」
「なにが?」
「俺ら初対面なのにこんなすんなり会話できて」
「そうかな」
「俺人見知りってほどじゃないけど、別に進んで人と関わっていくタイプでもないから」
「そうなんだ」
「うん。だから、今結構びっくりしてるよ」
「初対面じゃないんだよ」
「それはないよ。君のこと知らないし」
「覚えてないだけじゃないの?」
「え?」
「ほんとに覚えてないんだね」
「えっと…ごめん。会ったことあるの?」
「うん。昔、よく遊んでくれてたよ。山に行ったり、空き地までかけっこしたり、日が暮れるまで毎年」
「そうなの?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
「そっ、か。ごめん、覚えてないや…」
「最後に会ったのはもう5年も前だからね」
「だとしても忘れるとは思えないけどなぁ…」
「思い出さないようにしてるとか」
「なんで?」
「嫌なことでもあったんじゃない?」
「喧嘩でもした?」
「喧嘩したことないよ」
「じゃあなんだろ」
「…」
「喧嘩したこともなくて毎年日が暮れるまで遊んでたのに、覚えてないなんてなぁ」
「小さい頃だったからね」
「そういう問題?」
「分かんない」
「いや、5年前って、俺13歳だよ?全然小さくないし覚えてない事ないと思うんだけど」
「僕から見たら充分小さかったよ」
「?」
「ごめん、なんでもない」
「ところで、なんで急に会わなくなっちゃったの?俺この家には毎年夏に来てるはずなんだけど」
少年は何も答えず、物悲しそうに笑っていた。その顔を見て不意に違和感を覚え、瞬きすると少年は消えていた。
スイカを持っていた右手は果汁でべとべとになっていて、空は相変わらず澄んでいて、雲の威圧感がすごくて、なんだか心臓がバクバクして、蝉の音が頭に響き渡って、ちりん。と風鈴が鳴いた。
お読みいただきありがとうございました。
あまりに久方ぶりなもので、見苦しい内容になってしまっていたかと存じますが、暇つぶしにでもなれたなら幸いです。