知らない場所と聖女様
フィオナは絶句し、それから唇をわなわな震わせた。
「阿保か、お前はどうなるのだ。聖女逃亡に加担し……いやこれは拉致だぞ。拉致監禁だ。帰る。今すぐ帰ればまだ間に合う」
「いてください! ここにいてしばらく待てば自由の身ですよ。本当はずっと逃げたかったんでしょう? 聞きましたよ、昔ディアナ様と二人で二度逃亡を試みて、失敗したと。今度はもう失敗しない」
「お前はどうなるのだと聞いておるのだ。出世を棒に振るのか? 騎士に憧れて、挫折して、挫折を乗り越えて頑張ってきたのだろう? 後少しで、夢だった自分の団を持てるのだぞ。それを棒に振るなと言っておるのだ」
私は立ち上がった。
「そんなもん、もうどうだっていいんすよ。貴方を見捨てて出世したところで、私は一生後悔するでしょうし。フィンハイムで学んだ騎士道精神に泥を塗る真似はしたくないですし、聖女騎士とは本来、聖女を護り抜く役目でしょ。それに何より貴方は全人類の恋人であるから、私の恋人でもある。愛する人を助けるのに理由なんか要らないでしょ。生きていて欲しいんです。生きて、なるべく笑っていて欲しい。私が一生お護りします」
何だかプロポーズのようになってしまったが、私は全身全霊を込めてフィオナに誠意を伝えた。
フィオナは固まっていて、それから何度か瞬きをして、ぽろりと泣いた。
「本当に、それで良いのか?」
「勿論です。騎士に二言はありません」
「こほん、えー……お話が纏まったようですので」とアールが発言した。
「私からはこの家についてご説明します。この屋敷はディアナ様から協力を求められた我が主人が用意した、借家です。一ヶ月借りておりますので、一ヶ月間は自由にお使いください。生活に必要なものは揃っています。保存食もございます。一ヶ月丸々使っていただいても、一ヶ月未満で出て行かれても、どちらでも結構ですが、一ヶ月を越えては居られません。なお、我が主人はお立場がありますので、素性は明かせません。主人についての詮索や口外はなさらないよう、お願いします。私どもが協力できるのは、ここまでです。では、ご武運を。これは『僅かですが、お二人の新しい門出を祝って』との事です」
そう言ってアールが手渡してきたのは少し厚みのある封筒だった。
受け取った感じ、私の一ヶ月の給与分くらいの厚みだ。
「ありがとうございます。どうか宜しくお伝えください。フィオナ様は私が護り抜きますので、どうぞご安心を」
「ええ。お伝えします。主人はディアナ様を最後までお護りできなかったと悔やまれていましたから……」
アールが去り、一息ついた。
ずっと作業着でいるのも落ち着かないので、フィオナを促して着替えをした。
いつものローブ姿になったフィオナはやはり聖女然として見えるが、いつものような威風堂々とした雰囲気がなく、馴染みのない場所に戸惑っている猫のようだった。どこかソワソワしている。
圧倒的な魔力を塔へ置いて出て来たため、落ち着かないのだろうし、実際に場所見知りもしているようだ。
あの高い高い塔のてっぺんで、聖女と崇められて19年も暮らしていたのだ。ほぼ外へ出ずに。帝都から出たのはもしかして人生初なのかもしれない。
それを考えると、私の父親を助けるためによく決断してくれたなと改めて思った。
「フィオナ様、すみません。嘘ついて、このような方法で連れ出して。怒ってますか」
勝手に何でも使っていいとアールから言われたキッチンを漁り、見つけた紅茶セットで紅茶を淹れ、フィオナに尋ねた。
「いや……私のために、ディアナとディアナの元聖女騎士が動いてくれたこと、お前まで巻き込んでしまったことに、申し訳ないと胸は痛むが、素直に嬉しいのだ」
元気のないフィオナがそうしみじみ言ったので、嬉しくてたまらないのは私だ。
だが少し引っかかる言葉があったような……
「えっ、アールさんの主人って、ディアナ様の元聖女騎士なんですか?」
あっ、とフィオナが言った。
「詮索するなと言われたのだったな。すまん、今のは無しだ」