父親が大変です
「聖女様。ものすごく大事なお願いがあるのですが……」
私のひどく思い詰めた様子に、フィオナは眉根を寄せた。
「何だ? 最後のプリンならやらんぞ。今日の風呂上がりに食べるつもりで取って置いてあるのだからな」
「いえ、プリンの話ではありません。私の家族の話です」
「家族とは、両親と兄二人のことか?」
ええ、そうです。と答えながら、フィオナの物覚えの良さに感心した。
「父が事故に遭って重体なのです」
「えっ」とフィオナが声を上げた。
「何をしておる、暇を取ってすぐに帰れ。今すぐ庶務部へ走って、休暇を申請しろ」
モタモタしてると蹴り出すぞと言って、本当に蹴られそうになったので慌てて避けた。
「聖女様もいらしてください」
「私も庶務部へか?」
「違います。私の父の元へ。どうか父を助けてください。もう手の施しようがないと医者は匙を投げたそうです。聖女様の治癒魔法でなら父の命が助かります」
私はちゃんと切羽詰まった迫真の演技ができているだろうか。
フィオナの顔つきがさっと変わった。
「どれほどの怪我だ? 四肢が引きちぎれておったり、内蔵がぐちゃぐちゃになっている場合、復元は出来ぬのだ。私の治癒魔法は万能ではない。治癒専門の魔法使いを連れて行った方が良いかも知れぬな」
「いいえ、そこまでの怪我ではありませんので、聖女様が来てください。お願いします。実は父は聖女様の大大、大ファンなのです。一目、大好きなフィオナ様のお姿を見せてあげたいのです。どうか親孝行をさせてください。フィオナ様に会えたら父はきっと元気になります。大大、大ファンですから。ああ、ほんとに会わせてあげたいなあ。一瞬でもいいので!」
こういうのは勢いが大事だ。押しまくれ。
「あ、ああ。出来ることなら私もそうしたいのだが、外出の許可が出ぬ」
「ですよね。分かっています。ああ半日、半日あれば父に会って帰って来られるのに。半日だけ皆にバレずに出かけることって出来ませんよね……。あぁこうしている間にも父は……」
「半日あれば行って帰れるのか? 案外近いのだな。お前から聞いた昔話だとすごいド田舎だとばかり思っておったぞ」
ドキリとした。確かに故郷はすごいド田舎で、行って帰るには八日はかかる。
「いえ、父はいま実家にはいません。単身赴任でコレスニの街にいて、そこで事故に遭ったのです」
「なんと。家を離れ、単身で仕事中にか。それはさぞ心許ないな。分かった、行こう。半日なら何とかなる」
決断した後のフィオナの行動は早かった。
姉のディアナが言ったとおり、フィオナがその気になれば、ここは出られたのだ。
「まずな、こうして私のダミーを作る」
そう言ってフィオナが魔力で創生したのは、自身のダミーだった。
スライムが人型になったような感じで、プヨプヨしている。ディティールは少し荒いが、ぱっと見は人間そっくりだ。フィオナによく似た美女、これが皆の目に映っているフィオナか。
見た目はよく出来ているが、魂が入っていないため、思考したり喋ったり、自分の意思で動くことはないそうだ。
呼吸をしたり瞬きをしたりの、本能的な動きは無意識で行うとのこと。
「これに魔力を預けて外出する」
「どういうことですか?」
「聖女塔には百人の美女がいる。聖女の見張りは聖女騎士一人のみ。その騎士も普段から油断しきっていて、聖女を厳しく監視しているわけではない。ゆるゆるな関係だな?」
「はい、まあそうですね」
「しかし聖女がこっそり塔を出るのは難しい。どうしてだ?」
「それはあれですよね。門番の聖獣が聖女様にめちゃくちゃ懐いてるんで、近くに気配を察知しただけで嬉ションして大はしゃぎしますし。薬局と美容部にいる上級魔法使いたちも、聖女様の移動にやけに敏感ですし」
「ああ。あやつらは私の魔力を感じ取るからな。私の姿が見えなくても魔力で認識するのだ。だからここにダミーを創り、魔力は置いて行く。お前の父のところへ着いて、治癒魔法を使うときにだけ魔力を回収する。全て回収するとダミーが消滅し、私が塔にいないことがバレるかも知れぬからな。ダミーをぎりぎり保てるだけの魔力を残して回収し、治癒魔法を使った後にまたここへ戻す。一瞬のことゆえ、塔の者も気付かぬだろう。普段からゆるゆるだからな」
「聖女様、とても具体的なシュミレーションでございますね」
「ああ、この方法で外へ出たことがある。成功したぞ。幼少期は侍女が付きっきりでダミーで誤魔化すことが出来なかったがな。成人してからの見張りは年々緩くなるし、世話役はペペだからな。半日は余裕で誤魔化せる。夜なら尚更だ」
「聖女様。もしかして私が来てからの一年半の間にも、そうやって抜け出たことがおありで?」
もしそうなら全く気付かなかった。見張り役失格だな。
「いや。お前が来てからは、ずっとここにいたよ。結局そうやって出られたところで、一番会いたい者のところへは行けぬからな。魔力を置いて出たところで、無力では何も出来ぬ。結局、私はここへ戻るしかないのだ」
こう聞いて、少し前なら私はカーティス皇子へ嫉妬したのだろう。
フィオナの言う「一番会いたい者」を勘違いして。
そしてフィオナも勘違いしている。
「ここへ戻るしかない」それは違う。