聖女様は全人類の恋人です
しかしその数日後、私が目にすることになったのは、フィオナがあざと可愛いスキルを発揮して、皇子を骨抜きにしている光景だった。
我が国の第二皇子、カーティス様がお忍びでフィオナに会いに来ていること自体にまず驚いたが、二人のやり取りには目をみはるものがあった。
「はい、フィオナ。ラントアス地方のお土産だよ。フィオナが行きたがっていたサンハナ温泉街の銘菓チンシャン。それとこっちは名湯サンハナの素ね。スベスベ美肌になるんだって。あ、フィオナは元々スベスベだからなあ、要らないな」
「いるいる。カーティスのくれるものなら何でも嬉しいぞ。いつも忙しいのに公務帰りの足で立ち寄ってくれて、心苦しいな。ああ、胸が苦しい理由は別にあるんだが」
「フィオナ、どうした? どこか悪いのか」
心配そうに眉根を寄せ、フィオナの顔を覗き込む皇子を、フィオナはここぞとばかりに上目遣いで見た。
「会ったそばから寂しくなるのだ。またしばらく会えなくなるのだろう?」
「会えるよ、またすぐに来る。フィオナのために、フィオナの好きなものをたくさん持ってね」
「おい、人を土産目当てみたいに言うな。私が一番好きなのは……分かるだろう?」
「フィオナ……」
ちょっと何を見せられてるのかよく分からない。
可愛いは正義だけど、その聖女様ほんとは男ですよ?
「いつでもフィンルフを飛ばしておくれ。楽しみに待ってるよ」
カーティス皇子はそう言ってフィオナの片手を取り、そのスベスベの手の甲にちゅっと口づけを落として帰った。
「聖女様。聖女様はカーティス皇子とご交際関係にあられるんですか?」
皇子が帰り、二人きりになった部屋でフィオナに尋ねた。
やはり気になって仕方ないからだ。
前任の聖女騎士、レイノルズ中尉からそれは聞いていない。
トップシークレットのため伝達が憚れたのだろうか。聞くよりも見れば分かると。
「交際関係? 良い仲ではあるが、特別な感情はないぞ。私は聖女だからな。恋愛はできんのだ。いや、言うなれば国民皆の恋人―いや、全人類の恋人だな」
アイドルみたいなことを言うフィオナに「そうですか」と相槌を打ちながら、じゃあやっぱり違うじゃんと思った。
フィオナは私の運命の相手ではない。
だって全人類の恋人なのだ。そんな八方美人が、この世でたった一人の『運命の相手』であるはずがない。
しかし『全人類の恋人』とは少し言い過ぎだろう。なぜなら聖女フィオナの絶大な魔力による恩恵を受けているのは、我が国、フィンハイム大帝国だけであり、その結界は他国まで及ばない。
他国は他国で、自国の聖女がいるのだ。いない国は日々国土を荒らす魔物と戦い、疲弊している。天からの恵みも悪く、作物の育ちが悪い。
国土を安定させ、国力を豊かにするために、聖女は必要なのだ。
「カーティスを手懐けておけば、色々と情報が入るのだ。地方公務へ行く度に土産をくれるからではないぞ」
「フィンルフを飛ばして、ですか?」
この度カーティス皇子が来たのは急だった。
お忍び訪問のため、公的な機関を通しての面会予定は入っていなかったのだ。
しかしフィオナは昨夜からやけにご機嫌で、部屋に自ら花を飾ったり、朝からアロマを焚いたりしていたのだ。
カーティス皇子の突然のアポなし訪問は階下の庶務部も知らなかった。フィオナは何故前もって知っていたのだろうと不思議だった。
魔力によるテレパシーも考えたが、さすがのフィオナも聖女塔の外の人間とピンポイントに思念をやり取りする能力はない。聖女塔の同じフロア内の部屋であれば、短い思念を送ることはできる。
「ああ。フィンルフは聖女専用の遣い魔、伝聞鳥だ。聖女と、聖女からの伝聞書の宛名に名が書かれた者にしか、その姿が見えない。ジュリーには見えない鳥だな」
なるほど。私には見えない系の魔法と聞いて、やはり真っ先に思い当たったのは、私自身にかけられた魔法だ。
誰の目にも男に見える。しかし私自身が見ても、私は女のままだ。
最果ての魔女の館から戻り、最初の人間に出会うときには少し怖かった。
その相手の目に映る私は、本当に男なのか。
魔女に騙されていて、実はそんな魔法などかかっていませんでした、というオチだったら?
怖かったが、その不安はすぐに消え去り、安堵へ変わった。会う人間会う人間、誰もが私を男として扱ってくれたからだ。