我輩はなぜか幼女である
この話には、特別盛り上がる部分はありません。
その辺を期待される方は、肩透かしとなりますのでご注意下さい。
「ぐわあああぁぁぁぁ!! ダメじゃ、何も思い付かんわぁっ!!」
新作を求められて書こうとしているが!
取っ掛かりがっ!
面白い作品になりそうな、良い物のネタが見付からないぃ!!
握った筆を放り投げ、座りの姿勢を崩して倒れ込む。
一応言っておくが、不貞寝ではない。 決して!
我輩は幼女である。
たったの数年間前は老年へ差し掛かるかどうかと言った、無駄に歳を食った物書きであった。
我輩の書き上げた作品は有り難いことに好評を頂き、今後50年分以上の蓄えが出来て、好きに書ける。
主に社会派と呼ばれる類の物を書いていたが、これからは読者から迷走したと言われてもいいので違うジャンルにも挑戦してみたい所存。
息子を全員独立させるまで育てた、ここまで苦労も山ほどかけてきた担当……妻を労う気で、旅行を提案したまでは良かった。
結婚当初は切れ長で美人な容貌だったが、最近は目尻がだいぶ下がっていつもニコニコ笑っている様に見えてしまう辺り、苦労をかけてきた過去を嫌でも思い出される。
が、その辺りの話は本題ではない故に語らない。
話を戻し、結果はこうだ。
旅行当日に目が覚めたら我輩は毒虫に……なっておらず、旅行で新幹線に乗ってトンネルを潜ったら、我輩は幼女になっていた。
有りのまま起きた事を言っている。
公私共に二人三脚でやって来た妻と旅行へ出たら、我輩は幼女になっていた。
何を言っているのか分からないだろうが、我輩自身も訳が分からない。
恐らく今の時代では誰も解明出来ないだろう。
この世の真理の一部たる片鱗を味わった気分だ。
ちなみに猫目で顰めっ面をした己の様子は、単なる生意気な餓鬼であり、愕然とした記憶は鮮烈だ。
もちろんこんな事態になってしまっては旅行なぞしている場合では無いはずなのだが、妻はむしろ興奮して断行。
途中に西○屋で我輩の衣服を整え、その様は立派な幼女であった。
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息子達が独立してすぐに、その子供達を(一時的にでも)呼び戻すことになるとは、あの時思ってもいなかった。
しかも笑いに笑われ、子供の妻達はここぞとばかりに全員で女子会に首ったけ。
我輩から見て孫達には、新しい親戚と判断されて遊びに誘われる始末。
みんなでお通夜みたいな空気になるとの予想は、もろくも崩れてお祭り騒ぎとなった。
そんな時を越えてしばらく。
妻が担当と言う状況を利用し、我輩は職人気質をこじらせて引きこもる爺になったと流布して、自身はワケアリの養子と言う身分を得た。
病院で検査をしたら、変わったのは外見だけ。
内側である筋肉や内臓の年齢等は年相応で、随分くたびれているそうだ。
こんな様になったお陰で、妻はとにかく我輩を構い倒す。
どれだけ少女趣味を拗らせたのだと思う程、ブリッブリにキメた女児服を無理矢理にでも着せて構い倒す。
以前着ていた男物の服はほとんど処分されて、女児服しか着る物が無い状態へ追い込んで、仕方なく着て恥ずかしがる我輩を構い倒す。
「今日のかわいい髪型はどんなのが良いかしらね?」と言いながら、朝の支度で我輩を構い倒す。
「ウチは男ばかりの家でしたから、念願の娘を得た気分です」
爺がいきなり養幼女となったのは気持ち悪かろうと、疑問をぶつけてみたらこの通り。
嘘では無い証左として、我輩はとにかく猫可愛がりされている。
……正直うざったらしくて仕様がない。
が、これも今まで苦労をかけ倒して来た詫び兼礼になるならと、大人しくされるがままとなっている。
「この口調だってそうじゃ。 なぜ我輩の一人称がワシでなければならん!」
「ワ シ。 我輩じゃないわよ、あなた?」
「う……む」
地の文は何とか我輩らしさをまだ死守できているが、開いた口の方は妻に矯正されてしまった。
妻の物腰は柳だが、意思は斧すら壊すオノオレカンバとか言う硬い木より尚硬い。
長い付き合いで、抵抗は無駄。 絶対に勝てない相手だと教え込まれている。
しかも本能的に。
「あなたがまだ30代の終わり頃、年寄りになっても仕事を続けている姿として妄想した、おじいちゃん口調が可愛らしかったから。
今の可愛いあなたと組み合わせてみて正解だったわね」
「そうかい」
「ふふ……もちろんですとも」
…………畜生。
我輩が恐妻家だったなら、どれだけ良かっただろう。
可愛いと言われて拗ねた我輩を見て、楽しそうに微笑む妻を正面から見られない。
「それはそうとして、あなたがこうやって甘えてくれるのはいつ頃以来かしらね?」
「………………」
妻が何を言っているのか?
それは我輩を見れば分かるだろう。
我輩が幼女になってしまってから、仕事場である書斎の文机と体が合わなくなった。
なのでどこで書き物をしているのか?
居間のソファとテーブルだ。
そして妻は我輩専属の担当である。
出版社からは長年の功績で現地出勤かつ、直帰も許されている。
電話なりメールなりで、我輩の進捗等の状況を報告するだけで仕事したと扱われる、大変羨ましい身分。
まあ、定期的な出社や担当として関係各所への顔出しもする必要があるから、毎日ずっと……とはならないが。
逆に言えば時間があるなら、我輩は常に監視されている形になる。
しかもどこで監視してくるか。
答えは、ソファに我輩と並んで座っている。
ここで冒頭へ戻り、我輩が倒れ込んだ。
どこに?
妻の膝の上だ。
「今までと違うジャンルですけど、思いっきり変えてみませんか?」
「ん? なにか提案があるんかの?」
一時間か二時間か。 ふて寝から目覚めた矮躯となり果てた我輩の頭が、優しく撫で回される。
本人に足の痺れが無いか訊ねてみたが、問題ないと返されたその足の感触を、後頭部で噛み締めているのは内緒。
……いや、どうせ看破されているだろうな。
「日常系エッセイで行きましょう」
「……は? エッセイじゃと?」
余計な思考を巡らせていたら、思わぬ不意打ちを受けてしまう。
「今のあなたの状況そのものが、美味しいネタですもの。
いきなり女の子になってしまった小説家が、ネタが無いネタが無いって唸りながら、ただ日常を過ごすエッセイ。
いきなり女の子に……の部分から間違いなくエッセイ風と受け取られて、日常系コメディ作品として扱われるでしょうね」
「むぅ……」
その内容も、個人的には不意打ち同然。
我輩としてはそんな、山らしい山も谷らしい谷も……つまり山場が無い作品なぞ無意味で無価値だと、今までやってきたのだ。
いわゆる正確な意味での“やおい作品”だ。
「そんなの、お前は面白いと思うかの?」
妻は担当だ。 共同で書き物を通して、趣味嗜好も理解したと思っていたが、その好みから外れていそうなそれをなぜ推すのだろうか?
「こんな不思議体験をしたのよ? そんな体験をつらつら書くだけでも、魅力的に映るわよ。
それに、生活に困らない貯蓄があるから、遊びで書いてみるのも良いでしょ?」
「ふむ?」
それだけ、なのだろうか?
「ぶわっ!?」
少し妻の真意を探ってみようと凝視していたら、ソファに添えられたクッションで叩かれた。
「どうせネタ詰まりで書けないなら心機一転するつもりで、頭をカラッポにして書いてみるのも良いんじゃないかしら?」
「そう……してみるかの?」
「やってみなさい。 前に別ジャンルも書いてみたいと言っていたし、良い機会だわ。
たとえどんな出来でも、次に書く何かの下地になるわよ」
「分かったのじゃ。 当たって砕けろ。 気分転換にやってやるわい」
妻の膝枕で寝転んでいた我輩は、助力を得て新作への意欲を手に入れた。
※ 登場人物は全員黒髪です。
ちなみに書き上げた原稿をチェックした妻は、終始恐ろしく迫力を感じる(でも決して起こっている訳ではない)ニコニコ顔だったらしい。
本人は隠しているつもりだろうが、妻は妻でずっと担当だったから文章の裏も読める。
つまり、あのエッセイで何を言いたいか正確に読み取ってしまったと。
結果。 夫婦仲はより良くなったそうです。
もっと言うと、地の文までのじゃ□リにしようと、計画を始めたそうです。