祝福
不安はない……と言えば嘘になる。
罵倒されるのは誰だって好きではない。
ナーシャの言っていた通り、試験を超えたからといって、天音に対する扱いは変わりはしないだろう。
だったら、その扱いを変えるほどの何かをやればいい。
今までそれをやろうとはしなかった。
何かを変えるのが怖かったから。期待されていないと思ったから。
でも、天音にも期待してくれる人がいる。背中を押してくれる人がいる。その人達の想いを裏切るわけにはいかないと。
天音は灯りのない真っ暗な道を歩く。
やがて、一つの扉を見つけその扉に触れるとそこから、王座の間の光が差し込み、目が眩む。
そこには、天音に勇気をくれた人がいた。
何と声をかければいいのだろう。試験とはいえ、泣きじゃくった感覚は消えず頭がぼんやりする。
「天音」
名が呼ばれる。ただそれだけのことなのに胸が弾む。試験が終わって、呼ばれたい人に呼んでくれた言葉。気がつけば、天音は走り出していた。
「ジンさん!」
玲奈との約束をしたばかりだと言うのに、早速その約束を破りそうになる天音。意識の世界とはいえ、散々泣いたのにも関わらず、涙腺が緩み、目頭が熱くなる。
ーー玲奈ごめん。これは、これだけは許して。
そう、遠い世界にいる親友に心の中で呟き、目の前にいるもう一人のヒーローに向かって、
「私を助けてくれて……ありがとう!!」
「おかえり。よく頑張ったな」
助走の勢いをそのままに抱きついてきた天音。俺はそれに動じることなく、しっかりと受け止めてやる。そして、彼女の頭を優しく撫でてやった。
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「全く、私は君の方から抱きしめてやれって言ったんだぞ」
「なんかごめんなさい……」
「いや、お嬢さんは悪くないんだよ。私は彼に怒っているんだ。私の頭の中では、君の方からお嬢さんを優しく抱きしめて、お嬢さんは彼の胸の中で子供のように泣きじゃくるっていうーー」
「抱きしめる順番以外は合っていましたね」
ナーシャは不服そうに言い、ハァっと溜息を吐きながら美しく淡い緑色の髪を指に絡める。どうやら、ナーシャの中には思い浮かべていたシナリオとは、一八〇度違っていたようで。
「ともあれ、試験は合格だ。お嬢さんの目を見れば分かるよ。覚悟、そんなものがお嬢さんから伝わるよ」
「そうですか?……でも、そうかもしれませんね」
天音の目には迷いといった雑念は見受けられない。これからのどんな出来事に対しても向き合うと決めたような、そんな目をしていた。
そんな天音を見て、ナーシャはクスッと笑みをこぼし、
「試験に合格したら祝福がもたらす。私はそう言ったね。これは私からの餞別だ。受け取ってくれ」
ナーシャは手を天音の前に伸ばす。そこから蛍ほどの小さな光が出現し、天音の手の甲に止まりーー、消えていった。
「微々たるものだが、私の力を分けた。これでお嬢さんは全ての属性精霊と干渉、力を行使できるようになった。それを使いこなせるかどうかは、お嬢さんの力量次第だけどね」
「すごい……力が……」
「しないとは思うけど、いきなり超精霊のような精霊には干渉しちゃダメだよ。まずは微精霊で身体を慣らしてから、精霊、大精霊、超精霊と順番にやっていくんだ。身体がついていけず壊れてしまうからね。まずは微精霊、彼らと心を通わせて、力を完全にコントロールするところから始めるんだよ。そうすれば、お嬢さんも私のように偉大な精霊術師になれるよ」
強力な力を得るということは、必ずしもいいことばかりではない。どんな力にも必ずリスクが存在するのだ。元精霊女王として、新米精霊術師の天音に、アドバイスを送る。
「精霊はその人の想い、意思によって強くと弱くもなる。さて、私の伝えたいことも全て伝えた。最後に君にこれを渡すよ」
懐から何かを取り出して、俺に向けて投げる。それは俺の胸に吸い込まれるような、見事な制球力で、俺は片手で受け取った。見た目は、なんの変哲もない四角い形をした純白の箱である。
「ナイスボール」
ナーシャは満足げに笑みを浮かべた。
「これは?」
「持っていれば分かるさ。その箱は開くべき時に開く。君は試験を受けられていないからね。手持ち無沙汰というのもなんだろうと思ってさ。私が怪しい物を渡すはずがないだろう」
俺の警戒を込めた問いに、ナーシャは笑みを浮かべたままそう言った。そう言われても、急に箱を渡されて、怪しまない訳がないのだが。
「さて、神殿の入り口までは私が送っていってあげるよ。いかにもお化けが出そうな、真っ暗な所なんて歩きたくないだろう」
「だったら今度来た時は、もうちょっと明るくなってて、歩きやすいようになってたら嬉しいです」
「いいだろう。今度来た時はそういったように構築しておこうか」
ナーシャが魔法陣を描くと、俺と天音の身体が光に包まれる。身体が神殿前の入り口まで転送されるのだ。俺達が王座の間から、完全に消えようとしていた瞬間ーー、
「私は信じているよ。君達が魔王から、神からこの世界を救ってくれる二人だということを」
ナーシャが祈るような声で、そう言った。
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肉体、そして意識へ。転送された俺達は、神殿の前に立っていた。太陽の光に目が眩み、チカチカする。
「ジンさん」
天音は俺の名を呼ぶ。
そこには、もう弱い少女の姿はない。
心の傷と向き合い、勝った。そんな少女をもう弱いとは言わせない。
「ごめんなさい。たくさん迷惑をかけて」
そう言って、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「気にするな」
天音の頭に手を置いて、俺は優しく笑う。
すると、遥か上空から一匹の竜の姿が見える。白銀の身体を持った竜は、青空を駆け、雲を突き抜けてこちらに向かってくる。クヴィネアだ。
「キュア!」
ドスン!っと地響きを起こしたかのような音を立てクヴィネアは着陸する。
「よく分かったな」
「キュア!」
頭を撫でてやると、クヴィネアは嬉しそうに鳴いた。呼んでもいないのに来るなんて、もしかしたらクヴィネアは、人間の心が読めるのかもしれない。
「さぁ、帰るか。天音」
俺はその場で立ち尽くす天音に声をかける。
天音は頭に手を当てて、それを見返すと嬉しそうに笑っていた。
「天音」
「あ、はい!」
クヴィネアの背中に飛び乗って、天音に手を差し伸べる。天音は、俺の手をギュッと握りしめた。
クヴィネアは俺達が乗ったのを確認し、翼をはためかせ、神殿を飛び立った。




