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迷夢

作者: 木月 愛美

 どうやら迷ってしまったらしい。同じ場所ばかり廻っているような気がする。あっちの家も、こっちのアパートも、見たことがあるような。ないような。知らない住宅街を、さ迷い歩いていた。ただ、見たことのないようでありながら、どこかで見たことのあるような風景であることも事実である。右も左も前も後ろも、同じような家が並んでいる。高級住宅街というわけではない。団地でもない。家は普通の大きさと古さだった。もしかしたら、かつてここに来たことがあるのかもしれない。でも、やっぱり、ないかもしれない。

 太陽が赤く染まり、多分、もうすぐ黒に沈んでいく。依然として、辺りは傾らかな坂道と、同じような家ばかりだ。僕は迷ってしまったようだった。

 今晩、どうしようか。一晩中、歩き続けることになるのだろうか。昨日はどうしたのだったか。なんとなく、自分の家の慣れたベッドで寝ていたような気がする。

人気がなかった。道を照らす蛍光灯が、同じ間隔で並んでいるだけ。僕には見えていないのだけなのかもしれない。見えていないだけかもしれないと、冷静に分析をする自分がいる。いつだってそう。すべてのことが僕からは遠い。

 漫然と歩いていたら、背中をつつかれる感覚がした。振り返ると、小さな女の子が立っていた。膝丈の白いワンピースを着ている。いつのまにか、辺りはすっかり暗くなっていて、彼女の白いワンピースが闇から浮いて見えた。そう、みんなの思い出の中の少女というものは、いつだってこんな姿でしょう。

 彼女は僕の手首をつかんだ。

 僕は動けなかった。

 彼女の白い手が僕のほうへ伸びてきたことは、見えていた。

 彼女はなんだか現実に生きている気配がしなかったが、不思議とその手はしっかりと僕の手首をつかまえた。

 手首を引っ張られ、少女の向かうほうへ引きづられていった。実際に引きづられていたわけではないけれど、引きづられるという表現がふさわしいように思う。自分のくたびれたスニーカーが、右、左と歩を進めるのが見えた。

すべてに現実感がなかったが、少女につかまれた手首だけが、燃えるような熱を持っていた。身体中の熱が、そこに集中しているみたいだった。

 どのくらい歩いていただろうか。さ迷い歩いていた住宅街の、そのうちのひとつの家の前で少女は立ち止まった。手を引かれている僕も自然と足を止めた。その家は周りの家と同じような形をしていて色をしている。全部、黒に沈んでいる。特徴はない。彼女は玄関の扉を引き、僕を家の中へ入るように促した。僕は従った。

 少女が進む先へただ着いていき、やがてひとつの部屋に通された。中央にベッドがひとつある。電気はついていないはずだ。少女が電気をつけた様子はない。でも、なぜだろうか、その部屋は温度を持っていた。中央にベッドがあること、ベッドの隣に窓があることは、自然と目に見えた。ふと気がつくと、少女はいなかった。僕が部屋の様子を見てぼんやりしていた間に、彼女は部屋から出ていったのかもしれない。

 とにもかくにも、野宿を免れたお礼を彼女に言わなければいけないな。そんなことを考えながら、いつのまにか、眠りについていた。とても疲れていたようだ。

 そうか、僕は眠れている。その事実に安心した。

 そして、僕は眠った。

 

 窓から射す白い太陽の光と、小鳥が囀る声で目が覚めた。ぼやけていた視界が次第に晴れて、少女の影が僕の目に映った。

 僕が彼女に目を向けると、彼女はふわりと笑った。

白く輝く太陽の影になって、彼女の顔はよく見えない。

 僕は少し照れくさくなって、見てはいけないものを見てしまったような気がして、目を背けた。彼女を意識しないよう、彼女から逃れるように、素早く部屋を出る支度をした。荷物はショルダーバッグひとつだけで、枕元にそれはあった。その間、少女はただ僕の近くに佇んでいた。

 部屋を出て、玄関の方へ向かうと、彼女は僕の後ろを僕と同じ速さで歩いてきた。

「ありがとう」

 玄関を出るとき、やっと少女にお礼が言えた。その声は震えていた。「ありがとう」と、それは自分の声に間違いなくて、でも、初めてきちんと聴いた。扉を開けると、白い太陽の光が僕を襲った。

 振り返ると、少女が僕に手を振ってくれていた、と思う。光が挿して、やっぱりよく見えないのだ。僕も手を振り返し、また歩き出した。

 僕は笑えていた。

 僕の真上で太陽が光っている。辺りは似たような家がたくさん並ぶだけ。全く、昨日と同じ景色である。やっぱり、どうやら僕は迷っているらしい。でも、夜までまだ時間はある。太陽の下を、歩いて、歩いて、歩いていたら、ふと思い出した。

 僕は少女の声を、一度も耳にしていない。


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