1-7:少女は見初められたのか
「応えてくれてありがとう、レディ」
私がレフレッシ様の手を取ると、彼は嬉しそうに微笑んだ。そして軽く手を引いて私を引き寄せると、私の耳元で小さく呟いた。
「本当の事を教えてくれないか」
「……っ!」
その言葉を聞いて察した。私が話せない事を彼は気づいている。驚きと焦りで引き攣った私の顔を見て、レフレッシ様は優しい表情でこう続けた。
「身構えないでくれ。別にこの事を言い触らしたりはしないよ。貴方の振る舞いを見ている限り事は深刻そうだからね。僕の一存で軽々と荒立てたりはしない」
私は少しだけ安堵した。このまま大事にでもなったりしたらどうなるかわからない。とりあえず、彼は良識のある人間のようで安心だ。もしヒトの悪い噂をすぐ口外する人間だったら色々と危なかった。
……最後の曲が鳴り始めた。それに気づいた彼はすっと私を抱き寄せてダンスの体勢に移ろうとした。凄く自然に抱き寄せられたものだから軽くびっくりしたが、まあ上流階級の令息なのだからこれくらい普通なのだろう。多分。
「こんな事をここで言うのは不躾だろう。でもやはり疑問に思ってしまったんだ。父上から聞いていた印象と全く違っていたからね」
ううん、やはり令息とは初対面だったとしても知り合いのデクシア公爵家に近づくのは迂闊だったかもしれない。
「貴方に何があったんだ? 僕に教えてくれないか」
真剣な表情でレフレッシ様が聞いてくるけど、喋れないから教えられないし本当に喋れない事を教えることにもいかない。気付かれてるから教えていいって訳ではないし、そもそも本当に気づかれてるともまだ言えない……言えない、はず。
私はどうしようか迷って彼から目を逸らす。すると、彼の私の手を握る力が少し強くなった。
「話したく無いのか、話せないのか……それは分からないけれど。貴方は僕の領地の人間。僕の領地で何かが起きているなら知る権利が有るはずだ。特に貴方はデクシア領を支える二つの伯爵家の1人なんだ。……それでも、教えられないか?」
そんな事を言われるととても困る。ラフィネかアミティを呼んで相談してみるか……? いやいや、そんな軽率に口を割るのも後で何かあったら困るし。何も言わないならこれ以上悪くなることはないはずだし。……駄目だ、私の思考力じゃ決めきれない。
お互いに真剣な顔をして踊っているから、周りから見たらかなり異質な感じに見えると思うけど仕方ない。この状況で楽しそうに踊るなんて私にはできない。演技がうまければ出来たかもしれないけど、生憎そんな技術は持ち合わせてない。
結局私は首を振って返すしか出来なかった。
「そうか……」
残念そうに小さく呟くレフレッシ様。本当に申し訳ない。ないのだけど、まだ私には真実を話す力も勇気もない。
「いや、いいんだ。少しきつく聞いてしまった。申し訳ない」
そう言ってレフレッシ様は少し俯く。なんだか凄い深刻な理由だと思わせていそうな気がしないでもないが仕方ない。
……というか、本当に「死にかけたら女神に遭って前世の記憶の代償に声と筆記能力を無くしました」って話したらみんなどんな反応するんだろう。
……頭がおかしくなったのかと思われそう。呪いの方がまだ信憑性あるぞ。
「レディ」
え、あ、はい、なんでしょう? 私は首を傾げる。
「今度僕の家に招待するよ。そこでもう少し詳しく話をしよう」
それはつまり……デクシア侯爵の屋敷に招待されるという事? 私の父上に会いに侯爵がうちに来た事や父上が屋敷に行った事はあるけど、私が行くのは初めてだ。
ここまで来るとは思ってなかったけど、これは嬉しい誤算かもしれない。このまま私の状態が一気に好転出来るかも。
流れていた曲が終わりを告げて、レフレッシ様は私の手を取ったまま動きを止める。
「今度手紙を送るよ。それまで待っていて欲しい」
そう言って、彼は少し姿勢を低くして私の手を引き寄せて……
私の手の甲にキスをした。
こ、これが……紳士の挨拶。知ってはいたけど本当にされるのは初めてだ。ちょっとドキドキしてしまう。
「それじゃあ、またね、レディ」
レフレッシ様は私の頭を撫でて、人混みの中に消えていく。私はと言うと、再び呆然とした様子で立ち尽くしていた。
……いや、キスなんて身内以外からされるの初めてだし……仕方ないじゃない?
「ラリア様、大丈夫ですか?」
ボーッとしていたら横から声がかかる。声にハッとして振り向くと、アミティが心配そうに私を見ていた。
「何かあったのですか?」
ま、まあ何かはあったんだけど、悪い事じゃないからいいかな……。
大丈夫だと伝える為に私は微笑みながら頷いた。
「……大丈夫……そうですね。よかったです」
肩を撫で下ろすように息をつくアミティ。ちゃんと伝わる辺り流石だと思う。付き合いも長いしね。
曲も流れ終わり、母上が壇上に上がり、締めの挨拶に差し掛かる。
「ラリア様、ほら、行きましょう」
アミティが私の手を引く。私も壇上に上がれ、と言う事だろう。
私は手を引かれながら頷きを返し、壇上へ向かう。その最中、母上と目があう。早くいらっしゃいと母上が手招きをしている。
「ほら、ラリア様」
引かれていた手が離れて、私は1人壇上に上がる。母上が私の肩を抱いて、参加者の方に私の身体を向けた。
「お集まりいただいた皆様、本日は誠に有り難うございました。名残惜しいですが、今宵も終わりの時間となってしまいましたl
母上の声が響く。それを聞いて、ザワザワとしていた参加者たちがこちらに目を向けた。
「皆様のおかげで我がアナトレー領は成り立っております。そして、この度私達の愛娘、ラリアも11歳の誕生日を迎えることができました。これから跡取りのサジェスと共にこのロクァースを、そしてこの国を支える礎となる事でしょう」
拍手が響く。
母上がめっちゃ私のハードル上げてくる。怖い。
ちゃんと私は仕事ができる人間として成長できるのだろうか。心配が募る。だって、今のままじゃ絶対一筋縄じゃ行かない。
冷や汗を掻く私をよそに、母上は言葉を続ける。そして言葉を紡ぎ終わり綺麗な礼をすると、再び拍手が鳴り響く。私はとっさに母上と同じように礼をした。
「ラリア。頑張りなさい。たとえ貴方がこんな事になっていたとしても、母は貴方に期待しているのですよ」
優しい口調で私にそう言う母上。ただその優しい言葉も私のハードルを上げるだけになってしまう訳だけど、母上なりの気遣いなのは知っている。
……知っているからこそきついのもあるのだが。
パーティは終わりを告げる。多少の心残りと大きな期待と不安を残して。
とにかく、しばらくはレフレッシ様からの手紙を待とう。待っている間に私の意思を伝えられる何かが見つけられれば万々歳だ。
情勢に詳しいデクシア侯爵に聞けば女神のいる場所だってもしかしたら見つけられるかも。
夢の展開に心を踊らせながら、長い夜は終わりを告げた。