1-4:ダンスパーティのその前に
アミティが訪問してから数日後、私はラフィネと共に父であるクリール・バヴァ・ロクァースに呼び出されていた。
父上は日中は領地の管理や何やらで処務作業をしていることが多く、つまるところ執務室に居る。本やら資料やらでいっぱいの部屋は整理されていて綺麗だが、気分的にはかなり窮屈だ。
私が部屋に入って向かいの椅子に座るや否や、父上は頭を抱えて大きなため息をついた。
「ラリアよ、私が何故お前を呼び出したか分かるか?」
私を呼び出す理由なんて、私が喋れなくなった件か首を吊った件の他にあるまい。分かり切っているとばかりに私は頷く。
それを見て、父上は右手に持ったペンをとんとんと机に軽く当てながら再びため息をつく。そんなにため息つかなくても……。
「ラフィネ、あの日からラリアが文字を書いたことは?」
「ありません。……いえ、あるのですがどれもこれも読めない文字になってしまいます」
「……と、いう事なんだが。ラリアよ」
あ、はい。何でしょう。
「これはどういうことなのだ? 話せなくなるのは百歩譲って仕方ないとしても、文字まで書けなくなったらお前はこの先貴族社会を生きていけなくなるぞ?」
そんなの、私が聞きたい。
社交界ではコミュニケーションがモノを言うのだ。他の領地の貴族やら王様への謁見やらした際に話せません、文字も書けません。なんて笑い事にならない。
一応、私だって努力してないわけじゃない。本を片手に文章を写してみたり、文字をなぞってみたりもしてみた。それでも元の字とは似ても似つかない謎の文字? が生成されるのだ。これはもうどうしようもないと言っていいんじゃないだろうか。
「ですが旦那様」
「なんだ、ラフィネ。何か意見があるのなら申してみよ」
「お嬢様は大丈夫です」
「……何が大丈夫だというのだ」
自信満々にラフィネは発言する。何故か胸を張っているが、何が大丈夫なのだろう。私にも分からない。
「お嬢様は文字は書けませんが読むことはできるようですので、私が代わりに書けば問題ないのではないでしょうか」
……うん、なるほど?
「それはつまり、お前が文章を考えてラリアの思い通りの文章が作れれば良いだろう、という考えか?」
「その通りでございます」
「あぁ、うん。言いたいことは分かる。ある程度であれば不可能でもないだろう。……だが、しかしな……」
父上は再び額に手をやる。全身で「悩んでます」のポーズをしている。
代筆ねぇ。確かに悪くはないんだけど……。
普通これって話せるけど文字が書けない人が文字を書ける人に頼むものであって、話も出来ない人が頼めるものではないのでは。私の考えていることを伝える術がないのに代わりに書いてもらえるはずがないのだ。
「お前はラリアの書きたい文章が書けるのか? 何を話そうとしているかも分からんのに」
当然ながら、父上も同じ疑問を口にする。これに対してラフィネは。
「勿論でございます」
謎の自信。どっから来てるんだ。
「10年ずっとお嬢様と連れ添ってきた私がお嬢様の事を分からない訳がないではありませんか!」
うん、ラフィネ。数日前私が思い悩んでると気付けなかったとギャン泣きしてた記憶はどこかに行ったのかな。いや、あれも杞憂だったわけだけどさ。
もちろんラフィネの事は信頼してるよ? でも、うん。
不安だ……。とてつもなく不安だ……。
「…………」
考え込む父上。気持ちはすごくわかる。
体感で5分くらい悩みまくった末に、父上はその重い口を開いた。
「……分かった、この度はお前に任せよう、ラフィネ」
「ありがとうございます!」
「ただし、何か問題があればすぐにでも別の策を考える。それで良いな?」
「はい。問題ありません、旦那様」
と、こんな形で一応の意思疎通手段は成り立ったのだった。……成り立ってるかな、これ……?
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自分の部屋に戻ってくると、私とラフィネは互いに顔を見合わせる。
あれだけ自信満々に言ってたけど、本当に大丈夫なの、ラフィネ? ……という、疑問を視線で送っていると、ラフィネは開口一番にこう言った。
「どうしましょう、お嬢様……」
……よし分かった。さっきのは虚勢だったな!?
いや、どうしようって言われても困るんだけども。
「私、ああ言ってしまいましたが、実はあまり自信はないのです……」
視線を泳がせながら、ラフィネは小声で呟く。さっきまで父上の前で放っていた自信はどこへやら、である。
突っ立っているのも何なので、私はベッドに軽く腰掛ける。そして部屋の椅子を指さして、ラフィネに座るように促した。ラフィネはそれを確認すると、「ありがとうございます」と一礼して腰かけた。
「でも、お嬢様の今後の為にはこうするしかなかったのではと私は思うのです」
椅子に座って一息ついてから、ラフィネはこう言う。いつになく真剣な表情で。
私の今後の為、かぁ。確かに父上が言う通り、話すことも字を書くこともできない私がまともに貴族社会を生き抜いていけるかと聞かれたら、答えはノーだろう。領地の治安維持、金銭管理、他の領地との物資のやり取り、交流、契約……どれもこれも話したり文章を書いたりしないといけない。
言葉か文字か、どちらか片方だけなら何とかなっただろうけど、こればかりは私にはどうにもできない。やっぱりもう一度死んであの女神に一発グーパンチを入れるべきなのでは?
……いやでも、またここで死にかけるために自殺しようとしたらそれこそ私の人生が終わってしまう。それは駄目だ。
「お嬢様が話せなくなったのなら、私が代わりに話せるようになるしかありません。旦那様はもしお嬢様の状況が良くならないようでしたらお嬢様を嫁がせないようにしようとお考えのようですし……」
そんな所まで話が進んでたのか。もし、私が嫁がないとしたら……。
「お嬢様が嫁げなくなれば、次女であられるチュルヌ様が嫁がれるでしょうね」
チュルヌ。チュルヌ・バヴァ・ロクァース。私の2つ下の妹であり、今は寮から学校に通っている。私とは正反対で、見た目は元気な娘の印象だが口数はかなり少ない。そんな娘である。
私にはもう一人、3つ離れた兄もいるのだがロクァース家の相続権が大分前に彼に決定済みなのでスルー。そもそも長男が生まれた時点で私がこの家を継ぐことはないのでどうでもいい。
まあ、別にチュルヌが侯爵家に嫁ぐこと自体は良いのだ。我が妹は器量が良いのでうまくやってくれるだろう。問題はそこじゃない。
「そしてお嬢様は……本来でしたら国の役人として雇用されるのでしょうが、今の状態ですと……」
私の行き場がなくなってしまうのだ。意思疎通ができないのでまともな仕事が出来ない。積みだ。
どうして欲しくもない前世の記憶の為に今の私の人生が積みかけているのか。考えたくもない。
というか前世の記憶って何に使えるんだろう。道具の使い方は知ってても実物がないから使えないし、内部構造までは知らないから作ることもできない。生活ははっきり言って1ミリも楽しくなかったし、最期はミンチだ。
最初にいらないと思った瞬間から今の今まで、前世の記憶が役に立ったことは一度もない。……やったことと言えば首吊りくらいだし。
「ですから、私はお嬢様が嫁げるよう全力を尽くすしかないと思っているのです。次女に生まれれば役人。それはチュルヌ様も了承されているはずですから」
ラフィネが机のメモとペンを手に取って、サラサラと字を書いていく。不安は確かに大きいけれど、だからと言って他の案があるわけでもないし、ラフィネだって私の事を考えてこうやってくれているわけだし、多少妥協してでも彼女の案に乗るべきだろう。
何かを書いていたラフィネの手が止まる。書いたものを見返して、メモの一番上のページを千切って私に手渡してきた。私はそれを受け取って、どんなことを書いたのかとその文章を読む。
『この度はアナトレー伯爵令嬢の11歳の誕生を祝うこのパーティにお越し頂き、誠にありがとうございます』
という一文で始まる、パーティの挨拶の言葉が書き綴られていた。
11歳の誕生会と言えば、将来自分が嫁ぐことになる侯爵家の令息達が初めて訪問し、自分たちの妻に相応しいかどうかを見定める最初の機会とも言われている。それから成人する15の時までに婚約を決めるのだ。
つまり、成人するまでに婚約が決まらなければ行き遅れである。今の私がそうなれば確実に路頭に迷うだろう。それだけは何とかしなくては。
「本来はパーティの主役であるお嬢様が直々にご挨拶されるのが良いのですが、それは出来ませんので私が代弁するという形でやらせて頂こうと思います。……ので、こう言ったことを言わせて頂こうかなと書かせて頂いたのですが、如何でしょうか、お嬢様」
私がメモを読んでいる横でラフィネがそう言った。
ラフィネが書いた挨拶の台本は差し障りのない感じの挨拶だった。うん、私の考えがどうのこうの、という以前にこういった挨拶は決まり決まったものが多いわけだから代筆代弁でも問題はないのかもしれない。
それでも私は少し色を付けたいと、ラフィネに変えて欲しい一文を指さして伝える。
「ここの文章ですか? ええと、どのように変えれば宜しいでしょうか?」
ふむ、こんな感じにやっていけばある程度は私の考えが表現できるか。どうやって変えるかをジェスチャーで表現しながら私は思う。
言語での説明が不可能なのでラフィネの知識に無いことは表現できないけど、彼女が分かる範囲内でなら何とか伝えることはできた。非常に不本意だが、前世の記憶やあの天国や女神のような私にしか分からないことは今の状況では誰かに伝えることができないという、女神の目論見は成功している。非常に不本意ではあるが。
かなりの時間を要したが、どうにかこうにか、ある程度私の意思が入った挨拶の台本が出来上がる。皮肉だが、話術の勉強も読み書きの勉強も中止となっている私には時間がたっぷりあるのだ。
「ありがとうございます、お嬢様。これは一度旦那様に確認して頂いて、それから本番に臨みましょう」
台本を書きだした紙を持って、ラフィネが笑顔で言う。私を一人にしないために別のメイドを呼び、こちらにやってくると、ラフィネは一礼をして入れ替わるように部屋から出ていった。
代わりに来たメイド……ええと、彼女は確か炊事担当の子だったかな? 確か、名前はラージュ。彼女は少し考えるような仕草を取った後、恐る恐ると言った感じで口を開く。
「あの、ラリアお嬢様。不躾ながら一つお伺いしても宜しいでしょうか」
何かな? と、私は首をかしげる。
「ラフィネの事をどう思われていらっしゃいますか?」
うん。……うん? どういう事?
「あの子、お嬢様の事になるといつも話が止まらなくなるくらいだったのです。でも最近お嬢様がお話しできなくなってしまって、それからやっぱり元気がなくて、その……」
あー……。従者に不満があった説かなり出てたもんなー。そりゃ言われてるよなぁ。実際クビになりかけたわけだし。
そんなことを考えて、どう返答しようかと私が考えているとラージュが答えを待たずにこう言った。
「……あ、その……。やっぱり何でもありません! 今の質問は忘れてください!」
え、どういう事?
私が喋れなくなった原因がラフィネにあるかもしれないから、私がラフィネの事を気に入ってるのかどうか聞きに来たわけじゃないの? え、その話だよね今の流れだと。違うの?
「ご、ごめんなさい。私、不躾な事を……」
なんで謝られてるんだろう私。よく解らないので別に気にしてないよと言いたげな感じで首をかしげてみる。
あとラフィネの事は普通に好きだよと手でハートマークでも作っておく。それを見たラージュが目を丸くして口元を押さえて一歩後ずさる。……何だ?
「お、お嬢様……! やはり……」
何が?
「これからもラフィネを宜しくお願い致します、お嬢様」
お、おう……。勿論そのつもりだけど。
よく解らない流れに首をかしげていると、ラフィネが帰って来て部屋に入ってくる。
「お嬢様、旦那さまから許可を頂いてきましたよ。後はパーティの日までに色々と計画を立てておきましょう」
と、私に報告するラフィネに、ラージュが耳打ちで何かを話している。それを聞いたラフィネが一瞬驚いた顔をしてラージュに視線を向ける。
ラージュは親指をぐっと立ててラフィネに見せると、私の方に向き直って「それでは、失礼致します」と一礼してそのまま部屋を出ていった。何だったんだ。
「お嬢様」
え? あ、うん。何?
「これからもよろしくお願い致します」
何? 何でそんな改まってるの? そんな節目の段階じゃないよね今。
……謎だ。すごく謎だ。
私の疑問が一つ増えたが、まあそんなことはどうでもいいと言うように今日の夜も更けていくのだった。
とりあえず、パーティでの事をどうにかしよう。誕生会で婚約相手を見つけるのだ。
そう、私の人生が積む前に。