1-2:何も言えないこの世の中で
「……さま、お嬢様!」
「――!」
誰かに揺さぶられて、私は目を覚ました。
見ると、ラフィネが私の肩を掴んで激しく揺さぶっていた。すごい形相で私を揺さぶり続けている。泣きそうというか、もう泣いてる。滅茶苦茶な顔になっている。
私は揺さぶられながら覚醒したことを伝える為にラフィネの肩を何度も叩いた。叩かれたのに気が付くと、ラフィネの動きがぴたりと止まる。
「お、お嬢様……お嬢様ぁ……」
ラフィネは私を抱きしめると、声を上げて泣き始めた。もう、いい大人がそんなにギャン泣きしてたらかっこ悪いよ……って私の所為か、これ。
とりあえず慰めるように背中をぽんぽんしてみたけど、中々離してくれない。
「私、お嬢様のお役に立てていませんでしたでしょうか……。申し訳ありません……お嬢様……私、私……お嬢様がそんなに思いつめていた事に気付くことができませんでした……」
おいおい泣きながらそんなことを言うラフィネ。うん、ごめんね。これ突発的なんだ。全くこれっぽっちも思いつめてなかったんだから気付けなくて当然なんだよ。
……と、伝えようと思っても伝える手段がないのだった。仕方がないので今度はラフィネの頭を撫でてみる。よしよし。
「お嬢様……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔を上げるラフィネ。暫くそのまま見つめ合っていると、何かを決意したように立ち上がる。
「申し訳ありませんでした、お嬢様……。私、責任を取って自決いたします」
「!?」
ちょ、ちょっと待って待って! どうしてそっちの方向に行ってしまった!?
「私が代わりに死にます。ですから、お嬢様は生き残ってください」
お、落ち着け! 私も確かに落ち着いてなかったけど落ち着け! 違うんだ、そうじゃない! 確かに私は死のうとしたけど死にたかったわけじゃなくてあの世に顔を出しに行きたかっただけなんだ!
君が死んでも何の解決にもならないんだ! 思い直して!
と、私は彼女の肩を叩き全力で首を横に振り続ける。伝わっているかは分からないけど、正直どう伝えればいいのか分からない。とりあえずラフィネが死ぬのだけは阻止しなくては。
「……許して、頂けるのですか?」
許す許さないの前にそもそもラフィネにそんな悪感情持ってないから。むしろ感謝しているくらいなのだ。毎日身の回りの世話から部屋の掃除、衣服の仕入れ、勉強までほぼほぼすべて彼女が中心となってやってくれているのだから。
ロクァース家は主人とその家族に必ず一人ずつ側近のメイドが付いている。これはこの国の他の名家でもそうらしいが、その家が抱えている良家から選ばれ、侍女としての教育を受けてこちらへやってくるらしい。そして、本人からの希望がない限り一生その家で召使として仕事をしていくのだ。
良家の娘が一生を召使として過ごすことに対して不満の声が上がったりもしたらしいが、一人差し出せばその家はその一人がこの仕事を辞める時まで安定を約束されるのだ。その為には娘の一人くらい差し出すだろう。
ラフィネもウェヌトゥスという良家の出身で、15の時ロクァース家にやってきた。そして、私の側近として働き始めたのだ。私が生まれたときからの付き合いだから、もう10年の付き合いになる。
……10年寄り添って成長を見守ってきた娘が突然首吊ったら、まあ、ショックだわな……。
「私、私……許して頂けるのですか」
とりあえず、肯定の意味を込めて頷きを返す。
「ありがとうございます……」
震えながら涙をボロボロ流してラフィネがお辞儀をする。私は心配するなとサムズアップを決めてみる。収集付かなくなってきた気がしたが、きっと大丈夫だ。何とかなる。
ラフィネが落ち着くまでの間、私は今一度思考を巡らせてみることにした。
さて、どうしよう。もう一度死にかければ向こうに行けると踏んだわけだがしかし。結果はこの有様だ。これ以上ラフィネを心配させでもしたら今度こそ自決しかねない。あと苦しかったからもうやりたくない。よく何回も試す気になったな、前世の私よ。
他に前世の私がしようとしていたのは……いや、これ以上考えるのは止そう。なんかどれもこれもよくない気がする。あとラフィネの胃が限界突破しそうだし。
だがしかし、死ぬ以外にあの女神に会う方法なんてあるのだろうか。難しい問題だ。何せ記憶があるとはいえ私にとってはあそこは天国以外の何物でもないからだ。どうすればいいのだろう。実際にある場所なのだろうか。
誰かに聞こうにも話が出来ないから聞くことができないし、あの女神のいう事を信じれば生きている人間であそこの存在を知っている人は多分いないのだろう。もしかしたら書物に伝説が残されているかもしれないけど……。
ん? 書物?
そうだ、文字! 言葉が話せないなら筆談で何とかすればいいんだ! 文字を習ってる上流階級の生まれで良かった!
「お嬢様、私頑張ります! 改めて……何でも私にお申し付けください」
やっと落ち着きを取り戻したラフィネが姿勢を正してそう告げる。私はここぞとばかりにジェスチャーで文字を書くような動作をして紙とペンを要求した。
流石と言うべきか、ラフィネはすぐに部屋の机の上から紙とペンを持ってきて私に手渡した。それを受け取って、よし、書くぞと思ってペンを走らせる。
結果。自分でも読めない字が生成された。
おかしい。なんだこれは。私はちゃんと文字を知っているし本も読めるし書けた筈なのだが。なんだこのミミズがのたくったような字は。
筆談で話そうとすること位お見通しなのよ~。というあの女神の声が聞こえた気がしたので、無性に腹が立って私はペンを紙に思い切り突き刺した。そしてそのままペンが刺さった紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てた。
「お、お嬢様!? 落ち着いてください!」
慌ててラフィネが私の肩を掴んで静止した。これが落ち着いていられるか! 私は文字を書くことすらできなくなったのか! 上流階級の娘だぞ。大人になってある程度の地位に立ったら文書整理だってしなくてはいけない身分だというのに! あの女神、人の人生なんだと思ってるんだ!
唯一残されていた会話の手段を失ってしまった。これは、これはどうすればいいのだろう。もしや私の人生、積んだのでは?
私の投げ捨てた紙とペンを慌てて拾い上げたラフィネが紙を広げて私の書いた文字を見る。やめて、見ないで恥ずかしい。
「あの、お嬢様……」
何だい、ラフィネ。言ってごらん。
「大丈夫です。またお勉強し直しましょう? きっと色々な事があって忘れてしまっただけですわ」
ああ、その笑顔が痛い! 止めてくれ、違うんだ。これはなんか呪いみたいなもので文字を忘れたとかそういうのじゃないんだ。とか思ってても伝わるわけがない。本当に、どうすればいいんだ。
考えても考えても答えが見つからないまま、その日の夜は更けていった。
熱にうなされてからの私の奇行については瞬く間に屋敷内に広まり、ラフィネは可愛そうなくらいに怒られて(処分されかけたが私が必死に止めたら何とか許してもらえた)、私は今後また自殺を図ったりなどしないようにと常に誰かの監視下に置かれることになった。
仕方のない事なのだけど、私の奇行の原因も解決策も誰も分からないので、この件については暫く腫れもののように扱われ、内密にするようにと念を押された、らしい。
私は私で、身振り手振りでしか伝える手段がなくなったため無駄にジェスチャーが上手くなっていった。しかし、根本の解決方法というものはさっぱり見つからずじまいで。
このまま私の人生ゲームオーバーになってしまうのでは。そんな思いを募らせながら、日々を過ごすようになって行くのだった。