2-10:新技術と法整備
ティーレ様の侍従として働き始めてから数日。私はティーレ様の私室で紅茶を淹れている。ラフィネに叩き込まれたノウハウはかなり役に立っており、最初は身に着けた技術が通用するかどうか不安だったものの、サジェス様の指導も加わって何とか問題なくこなせている。
ソファに腰かけて読書をしているティーレ様の下に紅茶を持っていき、傍にあるテーブルに置くと、ティーレ様が本から視線を外して私の方に向ける。
「ありがとうございます、ラリア」
はい、美味しく淹れることができてればいいんだけど。なんて、そんなことを思いながらティーレ様が紅茶を一口飲む姿を見つめる。
カチャリと音を立ててカップをソーサーに戻すと、ティーレ様は私に微笑みを返した。
「そんな心配そうな顔をせずとも、ちゃんと美味しいですよ。……まあ、貴方の淹れたものであればたとえ不味くても飲みますけれど」
……ん?
「ああ、今のは忘れてください。何でもありません」
は、はい……。
……いや、ティーレ様が不味い料理出て来ても「作り直してこい!」って言ってくるような人じゃないってだけだよな、うん。そう言うことにしておこう。
再び本を開き、読書に戻ろうとするティーレ様が、ああ、そうだと再び私に向き直る。
「明日の貴方の仕事なのですが、法務部にいるヴェルテュの所へ向かってください。そこで法整備に関して色々と調整を行います」
ヴェルテュか……そう言えば司法官になってるんだっけか。しかし、法整備って何の法についてだろう。私が関与していいものなのだろうか。
「数日かけてデンシャについて考えた結果、もしデンシャを国内に配置するとしたら新たにデンシャ利用についての決まりを作らなくてはならないという事に気が付きましてね」
なるほど。確かに前世でも法律……があったかは定かじゃないけど、色々と決まりがあったのは思い出せる。それを守らないと色々と大変な事になるのだ。
そう、色々と……。
「私が貴方から聞いてヴェルテュに伝えるという手もあるのですが、私が貴方の通訳になるという事は私の能力の露呈にも繋がりかねませんからね。意思疎通についての懸念はあるのですが、そこは仕方ないでしょう」
確かにそれは一理ある。
ティーレ様が私の心の声を理解し、私とすんなりと意思疎通ができてしまうという事が知られてしまえば、ティーレ様の心を読む力に気づかれてしまうかもしれない。
「それに、ヴェルテュは貴方が話せない事や前世についてある程度理解があるようですし、私達一族以外とのコミュニケーションをとるいい機会かとも思いまして」
考えてみれば、ここに来てからティーレ様やサジェス様意外とまともにやり取りをしていない。いつも肩にかけている分厚い辞書もここ数日まともに開いていないし、せっかく身に着けた会話方法を忘れてしまうのも困るし、確かにいい機会なのかもしれない。
「という訳ですので、明日は宜しくお願いしますね」
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その翌日。
ティーレ様に言われた通り、私は法務部の区画へと足を運んでいた。法務部は王宮の敷地内に位置し、城のような豪華で美しい建物とは一味違う、厳かな作りの建物がそびえ立っている。
入口に立っている警衛が私の姿を確認すると、一礼して玄関扉を開き、私を通してくれた。私は警衛に礼を返すと、案内されていた通りに歩を進める。
扉をノックすると、ヴェルテュが中から顔をのぞかせた。
「あら、ラリアさん。待っていましたわよ」
そう言いながらヴェルテュは部屋へ案内してくれた。部屋はいわゆる事務室で、テーブルを囲んだソファに事務作業用の作業机に本棚。作業机の上には筆記用具と紙束が整理されて置かれている。
「まあ、お座りなさいな。ティーレ様からはゆっくり気楽にやってくれと言われておりますので」
促されるままにソファに座ると、向かいにヴェルテュが腰かけた。
「こちらに来て暫く経ちますが、王宮での生活はいかがですか? もうそろそろ慣れた頃かと思いますけれど」
うーん、そうだなぁ。ティーレ様やメーシス様がいるのが大きいとは思うけど、基本的に不自由はしてないし、楽しく過ごせてるとは思うなぁ。
やっぱりラフィネがいないのは寂しいけど、しばらくすれば慣れるのかな……。
「あの、ラリアさん……。そうやって黙って見つめられても伝わらないですわよ? いつものようにジェスチャーなり辞書を引くなりして頂かないと……」
言われてハッとする。そうだ、最近ティーレ様に考えを読まれて返事を返されて……というのに慣れてしまっていたから、行動で反応を返すことを失念していた。
ティーレ様にもその辺りを懸念されていた筈なのに、何という失態。
「もしかして、そんなに答えに困る質問でしたか? やはり話せないせいで不自由してらっしゃるとか……」
あぁ、いや、そうじゃないんだよヴェルテュ!
安心して! 割と快適に過ごしてるから!
……という事を身振り手振りと「楽しい」という言葉を辞書から引用して表す。うう、最近やってない弊害が出てる……。それも踏まえての提案だったのかな。
「楽しくやっている……? それなら良かったですわ。わたくしも王宮所属の職員の一人ですから、居心地が悪いと思われたら悲しいですもの」
ヴェルテュは胸をなでおろすようにそう言うと、ふぅと小さくため息をついた。
「しかし、やはり難しいですわね。以前はやり取りに慣れているラフィネがいたからある程度スムーズに進めることができましたけれど、わたくしが直にやり取りするのには慣れが必要ですわね……」
そうだね、本当に申し訳ないけど……。
「……まあ、弱気になっても仕方ないですわ。わたくしもティーレ様から貴方の前世にあった乗り物や道具の話を聞いて興味が湧きましたし、それを実現しようとする試みにはわたくしも協力したいと考えていましたから、こうやって貴方と直接やり取りして話を聞く機会ができたことには感謝しているのです」
そうなんだ。それは何だか嬉しいかも。
前世については色々と思うところがあるものの、それを活用してくれたり興味を持ってもらうことはありがたい。……というか、そうでもないと本当にあんな前世の記憶なんていらないものの為に人生ハードモードにされてるのに納得がいかない。
……いや、今も納得はしてないけど。
「さて、今回はデンシャという乗り物を運用するための法整備についてでしたわよね。始めましょうか」
ヴェルテュはそう言って、テーブルの上に置かれていたメモ用紙にペンを走らせ始めた。
「まず、その前に確認したいことが一つありますの。デンシャという乗り物について、わたくしがティーレ様から聞いているのは動力を内蔵した乗り物で、決まった順路で同じ道を回ったり往復したりしている、というものですが、その認識で間違っておりませんか?」
うん、大体あってると思う。
私が頷いて肯定すると、ヴェルテュはふむ、と声を漏らしてメモをする。
「では、そのデンシャを運用する為に必要な条件を教えてくださいますか?」
えぇと、確かデンシャが走るためには車輪が横道に逸れないようにするレールが必要だから、レールを敷くための用地の確保とか、安全を確保する為の施設の整備とかが必要になるのかな。エキ、と言ったっけ。降車場と言えばいいかな。
レール自体は(カーテンとかに使うものだけど)この世界にもあるし、降車場も馬車のものがあるから、それで何とか伝わるかな。
そう思いながら私が辞書の単語を指さすと、ヴェルテュは悩むようにペンを走らせながらうーんと声を上げる。
「レール……ですか。乗り物にレールを付けるという発想があまりピンときませんが、同じ道を行き来するというのであれば、デンシャはそのレール上のみを走ることになるという事になるんですのね?」
おお、すごい。よく解ったな今ので。
「つまるところ、デンシャが走る通路に人が来ないようにしなければならないと。そしてどこからでも乗り込むことができるわけではなく、降車場でのみ乗り降りができる……と」
そうそう、その認識で合ってる。そのレールやデンシャ自体を作る技術とか、動力源とか、その辺りは置いておくとして。デンシャを運用するにあたって絶対に必要なのはその辺の設備と決まりだと思う。
思い出したくはないけど、デンシャの進路上に人が来る光景なんて怖くて仕方ないからね。実際アレだし。最低限そこに人が来ない様にするのは必要だと思う。
「しかし、そう考えるとかなり大掛かりな設備の新設と法の整備が必要になってきますわね。長期的な計画と調整をしていかなければいけませんわね」
そうだね。そもそもの話、デンシャが本当にこの世界で作れるのかもわからないし、そこまでの設備と仕組みを用意するとなると、かなりの時間がかかるだろうなぁ。
ヴェルテュは考え込むようにしてペンを置くと、席を立って本棚から数冊本を取り出す。どれも法に関しての本のようだ。流石司法官の事務室といったところか。
「設計や設備に関してはティーレ様や技術者にお任せするとして、こちらで設定すべきなのはどのような決まりを設定するか、というところですわよね。聞いた限りではこのような法は例がありませんから、これから他の司法官とも話しますけれど、どのような形になるかはちょっと見当が付きませんわね」
そうだろうね。私もそう思う。
「……とはいえ、わたくし個人としてはそういうものが実際に動いているのを見てみたいですわね。そこまでにかかるコストは計り知れないでしょうが、成果も大きそうですしね」
そう言いながら、ヴェルテュはクスリと笑みを浮かべる。
確かに、それは私も見てみたいなぁ。多分、前世の記憶のデンシャとは別物になるんだろうけど、それがどうなるのか純粋に興味があるというか。
「さて、ひとまず必要な情報は頂きましたし、それを元に資料をまとめていきましょうか」
ヴェルテュはそう言うと、テーブルの上に広げられていたメモを纏め、別の紙に改めて書き連ねていく。
「まずはレールを敷設する用地の確保ですわね。これは王宮の管轄にある土地から始めて有用性が示せれば拡張することは難しくないでしょう。その後は、安全確保の為の施設の建設と維持、運行管理に関する法整備と運用に関わる人員の育成でしょうか……。忙しくなりそうですわね」
そう呟いてペンを走らせていくヴェルテュは、私の事をちらりと見て小さく笑う。
「乗りかかった船ですわ。わたくしがこのデンシャ運用の為に一肌脱ぐと致しましょう。この偉業を成し遂げれば、わたくしにとっても利のある事ですしね」
ありがとう、ヴェルテュ。助かるよ。
私は心の底からの感謝を込めて頭を下げる。
「……いえ、お気になさらず。わたくしにとってもティーレ様にわたくしの力を示す絶好の機会ですし。任せておくといいですわ」
自信ありげにそう言うと、休むことなくペンを走らせる。
そして、暫くして手を止めると私の方に向き直り、
「さぁ、ここから時間の許す限り煮詰めていきますわよ。付き合って頂きますわよ、ラリアさん」
もちろん付き合うよ。私も実現させたいしね。
こうして、その日の話し合いは日が暮れるまで続けられたのだった。




