2−5:令嬢、人生の迷子になる
「え? 侍従になって欲しいと言われた……ですか?」
馬車に揺られながら、私は簡潔に話を伝えた。
といっても理由の方は伝えられないから、ラフィネにとってはかなり謎な申し出に感じる事だろう。
「それは……凄いお話だと思いますが……。お受けにならないのですか?」
うーん、何だか、すぐにうんと首を縦に触れなかったんだよね。
何と言ったものか、と。私が悩んでいるとラフィネが追加で聞いてくる。
「何か気になることでもあるんですか?」
気になることがない……という訳でもない。ティーレ様が東洋の地という場所に対してある程度の知識があることも謎だし、そもそも王族が魔物(本当は妖怪だけど、多分あまり変わらないと思う)だなんてカミングアウト、そう易々と受け入れられる事実ではない。だからといってそれを断るという選択肢もないわけで。結局、私がどうしたいのか分からないのだ。
「私としては……お嬢様がお望みなら、その意思を尊重させて頂きたいのですけれど……」
ラフィネが言葉を切る。何だか言い出しにくそうな雰囲気だ。
ラフィネが次の言葉を続けるまでに結構な時間がかかった。感覚的には数分くらい経ったような気さえする。
「その、侍従として働く様になったら、お嬢様はもう呪いを解く方法を探しに行くことができなくなるのではないでしょうか」
……そう、そうなのだ。
ティーレ様は私が話せるようになる方法を探したり、探させてくれたりはしないだろう。むしろ、私が話せる様になったら困るはずだ。
だから、侍従になるという事は話すことを諦めることと言っていい。
「私はお嬢様の呪いを解きたいと思っています」
私は頷く。
「私はお嬢様の意思を尊重します。……我儘を言って、お嬢様を困らせたくはありません。それに、国交調査員として外国を調査したら呪いを解く方法が見つかるという保証もありません。安定を取るのであれば、女王様の御膝元に行かれた方が良いと思います」
そこまで言って、ラフィネが口をつぐむ。
またしばらく時間が経って、ラフィネはぽつりと呟いた。
「でも……やっぱり私はまたお嬢様とお話がしたいです」
声に出したことを意識していなかったのか、慌てたように口を押さえたラフィネは申し訳なさそうに目を逸らした。
「申し訳ありません……。忘れてください」
忘れろと言われても忘れられるはずがない。
私だってラフィネとたくさんお喋りしたいし、もっと一緒にいたいと思っている。
でも、だからと言ってラフィネの言う通り、国交調査員になったからといって呪いを解く術が見つかるとは限らない。博打の為に王女の侍従という上手い話を棒に振るなど、簡単に決断できるものではないのだ。
結局、そのまま結論は出ることなく屋敷に戻る事になった。
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「お帰りなさいませ、お姉様」
「よう、ラリア。謁見はうまくいったか?」
屋敷に戻ってくると、妹のチュルヌとディグニ様が出迎えてくる。……あれ、なんでここにいるの? ディグニ様は成人式に出られていたし、そもそも自分の屋敷に戻ったはずじゃ。チュルヌだって嫁ぐからあっちの屋敷に……。
「お前の事が気になってな。式が終わったその足で聞こうと思っていたが、お前が見つからなかった。だからわざわざ屋敷まで出向いてやったのだ」
ディグニ様がため息をついて私を見た。確かに式が終わった直後にティーレ様に呼ばれて個人面談してたから、見つかるはずがない。
不可抗力とはいえ、申し訳ない事をした。
「申し訳ありません、ディグニ様。式の後、お嬢様は所用で他の方と同じタイミングでの退場とはなりませんでしたので……」
「ほう? 王宮内で所用があったのか。……まあいい、その辺りも含めて報告を聞こうじゃないか。サジェスもお前の報告を楽しみにしていたぞ」
兄上も? ……いや、まあ家族の就職関係の話とかは気になって当然か。ロクァース家の当主でもあるんだし。
ディグニ様はその黒い短髪を揺らして執務室へ向かって歩き出した。
……ん? 黒髪?
そういえば、ディグニ様って黒髪で赤い目だよな……。それに、メスィ領は王宮のある中心地……。まさか。
ディグニ様もティーレ様たちと同じさとり妖怪なのでは……? 王族も王族じゃない相手には心が読めることに気が付かれないようにふるまっていたし、もしかしたらもしかするんじゃ……というか、ディグニ様がチュルヌと婚約したのもそのためなのでは……?
「お姉様? ディグニ様をじっと見てどうかされましたか?」
チュルヌが首を傾げながら私の顔を覗き込んでくる。私は慌てて何でもないよと手を振った。
危ない危ない。あの秘密を知っているのは私だけなのだ。変に感づかせるわけにはいかない。
「それでは行きましょうか」
疑念を残したまま、ラフィネの言葉に従って私たちは執務室の扉の前に立った。
コンコンとノックをして中に入ると、そこには椅子に座って書類仕事をしている兄の姿が見えた。
父上との世代交代をして大分経つけど、未だに少し違和感がある。体型の差も大きいのかもしれない。父はふくよかな方だったが、兄はかなりのやせ型だし。
「よく来たね。好きなところに座ってくれ」
そう言って兄上は私たちの方を見る。私達はそれぞれ一礼して席に着く。兄上、チュルヌ、そしてディグニ様。ラフィネは私の後ろに控える。各人が位置に着いたのを確認すると、兄上が口を開いた。
「さて、成人おめでとうラリア。思えば10歳の夏にラリアが喋れなくなってから色々な事があった。一時はどうなる事かと思ったけど、ある程度は何とかなって本当に良かったと思っている。そして、今日。君はようやくなりたい自分になることができるようになったはず。謁見を終えて、式を終えて、君は将来どうすることに決めたのか。教えてくれないか」
私が国交調査員になりたいと言っていたことについては兄上もよく知っている。だから、この質問の答えは分かり切っていて、改めて確認しよう、といった意図なのだろう。
でも、私の代わりにラフィネが答えたのは、恐らく兄上の予想とは違うものだった。
「お嬢様は、女王様に侍従になることを勧められました。勿論お嬢様は国交調査員になりたい旨をお伝えになっていましたが、女王様なりのお考えがあるのかもしれません」
ラフィネの言葉に、皆が目を丸くした。
「お前が女王の侍従に? 本気か、それは」
ディグニ様が訝しむように言う。そりゃ、私みたいなのが女王の側近になるなんて冗談みたいな話だ。無理もない。
「本気です。あまり詳しいお話は聞けませんでしたが、執事であるメーシス様が仰るには、お嬢様がティーレ様のお気に召したとのことで」
「……ああ、見目は美しいもんなぁお前は」
見目“は”ってなんだ! 私は身も心も清廉潔白だっての!
こういう私の心の叫びを聞いて楽しんでるんじゃないだろうなディグニ様! よく見たらメーシス様と同じブローチ付けてるし! これ確信犯では!?
「でも、ディグニ様。ティーレ様は女性の方ですよ。いくらお姉さまが可愛いからと言って顔で側近の方を選んだりなんて……」
「知らないのか? あのお方は男性も女性も好きだと公言しているぞ」
え? 何それ知りたくなかった。それlike的な好きじゃなくてlove的な好きの方だよね。
あとチュルヌの真顔で私の事可愛いって言ってくるの変な破壊力あるな。圧と言うか。
「まあ、侍従の仕事と言えば掃除や身の回りの世話が主だからな。お前みたいに会話不可能な奴でも何とかなる。下手に話しかけてこないから逆にありがたいのかもしれん」
「なるほど……。そのような考え方もできるのですね」
「年がら年中自分の従者が世話をしてくれているお前がその従者役をできるのかは甚だ疑問ではあるが」
それは……頑張って学ぶしかないかなぁ……。幸い教えてくれそうな人はいっぱいいるわけだし。
というか、何か侍従になる事前提で話が進んでるような気がするけど、私はまだ国交調査員を諦めてはないからな!
「……盛り上がってるところ悪いんだけど、結局どうなんだい? ラリア。どちらに進みたいんだい?」
兄上が場を治めるように言う。助かった、けど……いざどっちがいいのか聞かれると、どうにもはっきりとは言えない。
悩んでいる私を見かねてか、ラフィネが私の代わりに口を開く。
「それが、どちらにしようかお嬢様自身も決めかねておりまして」
その言葉を聞いて、兄上がうーん、と声を上げる。そして、軽くペンを走らせた。メモでも取っているのだろうか。
「まあ、急に方向転換しろと言われても難しいだろうね。どちらにせよ、君の意思だ。この家は僕が継いでいるから心配はいらないし、ディグニ様もいらっしゃるから、やりたいことをすればいいと思うよ」
兄上の優しい言葉が身に染みる……。父上がいなくてよかった。
ちなみに父上は母上と一緒にバカンスへ行っている。私の成人式にあたって今行くべきじゃないとごねにごねまくっていたのだが、兄上が良い感じに言いくるめてくれた。ありがとう兄上。
「しかし、女王の誘いを断るだけの利があるのか? 国外へ出たところで呪いを解く方法が見つかる道理もないぞ」
「……仰る通りでございます。しかし、0よりは1の方が良いというのも事実だと思うのです」
「とんだ博打だが……本当にそれでいいのか? 今だって不自由はあれど生活できない事もない。意思疎通だってとれる。自ら言葉を発することにそこまで拘るのか? 私としては無謀だと思うのだが」
ディグニ様がそんな事を言う。ごもっともな意見ではある。あるのだが……。
目の前の餌に釣られてフラフラと行き先を変えてしまっているような気もするので、なんとなく自分の選択をこうも簡単に変えていいのかという疑問もあったりする。元々意志の強い方ではなかったけど、「呪いを解く方法が見つかるかもしれない」とか「今のままでも意思疎通ができる相手と一緒に生活する」とか、そんな上手い話をぽんぽん目の前に置かれたら迷うに決まってる。
「悪い事は言わん。安定を取っておけ。女王の侍従になる機会などもう来ないぞ」
「しかし……」
「優柔不断は何も産まんぞ。……ラリア、お前返事を返す用の便せんを頂いただろう」
え? ……確かにもらったけど。
「私に渡しておけ。こちらで書いてティーレ様にお渡ししておく」
「ディ、ディグニ様……それは……」
「どうせ本人は字が書けないのだから何も問題はないだろう。……心配するな。別にお前の意思を蔑ろにするつもりはない」
本当に反映してくれるのかな、私の意向……。まあ、ディグニ様も心が読めるのなら私の考えは分かるはずではあるけど。
「ラリア、一度侍従として働いてみろ。そこでティーレ様と直接関わって考えを纏めるんだ。あのお方は途中で職の転換を変えるのを禁じるようなお方ではないし、秘密を漏らす方でもない」
一度侍従として働いてからでも遅くはない、か……。そうなのかも知れないけど、いいのかな、こんなに右往左往してて……。ディグニ様は「心配するな」って言ってるけど、かなり不安だ。
とはいえ、ここで渋ってもいい事がなさそうなので、私はディグニ様にティーレ様から頂いた便せんを手渡した。
「ディグニ様、いいのですか? お任せしてしまっても……」
兄上が聞くと、ディグニ様は「ああ、任せろ」と肯定の意を示す。
「レフレッシとも話をした上でティーレ様に打診しておく。お前たちはゆっくりと知らせを待っておけ」
「わ、分かりました」
ラフィネが少し心配そうに返事をすると、ディグニ様はやれやれと言った表情で「心配するなと言ってるだろうが」と呟きながら立ち上がる。それに気づいたチュルヌが合わせるように席を立つ。
「さて、私たちは帰るとしようか」
「はい。……お兄様、お姉様、ラフィネ、お邪魔致しました。私たちはこれで失礼致します」
チュルヌが深々を礼をすると、ディグニ様は部屋の出口へ進む。ラフィネが慌てて扉へ向かい、扉を開く。
「邪魔したな。……また来る」
そう言いながら軽くこちらを向き直り、すぐに踵を返して部屋を出ていった。相変わらず妙な威圧感があるよな、あの人は……。頼り甲斐も勿論あるんだけども。
とはいえ、ディグニ様に任せてしまった以上、私は返事を待つことしかできない。せめて、待っている間に考えをまとめておかなくては。
どうなるんだろう、これ。
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