1-11:恋文よ、明日へ届け
「やりましたね、お嬢様」
その日、目覚めた私が最初に聞いたのは、ラフィネのその言葉だった。
時計を見ると午前9時過ぎ。普段は7時には目覚めているので大寝坊な訳だが、その件について何か言われるわけでもなく、ラフィネは嬉しそうだった。
「お嬢様のお声が聞けないのは残念ですが、お嬢様とお話が出来るようになってラフィネは嬉しいです」
そう言いながら、ラフィネは私に一冊の本を手渡してきた。
受け取って表紙を見ると、そこには『国語辞典』と書かれていた。なるほど、わざわざ用意してくれたのか。私が辞書を受け取ったのを確認すると、ラフィネはキラキラした目でこちらを見ていた。……何を期待しているのだろう。
「お嬢様お嬢様」
……なんだい?
「おはようございます」
え? あぁ、うん。おはよう……?
……あ、あー……そういう事。分かった分かった。と、私は辞書を開いて「おはよう」の単語を探し、それを指差した。それを見るとラフィネは勢い良く私を抱きしめた。ちょっと痛い。
「あぁ、お嬢様! 良かった、本当に嬉しいです……私は……私は……」
涙声で私を抱きしめながらそう言うラフィネ。凄くありがたい事だけど、そろそろ苦しいので離してほしい。でも多分私が辞書で「離す」の語を指差していることに気が付いていないだろうから意味がない。
この会話法の欠点は相手に見る意思がないと伝わらないことだな。あと読めない人にも伝わらない。平民の町とかじゃ多分会話できない。ううん、そこまで画期的じゃない気がしてきた。
どうしようもないので私はラフィネの背中をぽんぽんして離してもらえるよう懇願してみる。
「……え、あ……。す、すみません。感極まってしまいまして……」
よかった、離してくれた。
……あぁ、でもこれで私の言葉で文章も書いてもらえるし会話もできる。レフレッシ様への返信の手紙をラフィネに書いてもらおう。
ラフィネが離してくれたので、そのままベッドの横に腰掛ける形に移動する。手元の辞書をパラパラとめくって見て、なかなか狙った単語をすぐに引き出せないので付箋でもつけるかと考えたところでラフィネが思い出したように「あっ」と声を上げる。
「お嬢様、今日はお寝坊さんでしたので朝ごはんは無しです。10時からお稽古の時間が始まりますので準備をしましょうね」
あっはい。まあ、そうだよね。知ってた。
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昼も過ぎ、15時手前。私は客人を迎えにラフィネと廊下を歩いていた。
というのも、昼食を終えた直後に父上から「15時にお前に客人が来る」なんて言い出したからである。誰が来たかくらい言ってくれればいいのに。私に対してはかなりぶっきらぼうな父上である。……私以外に対してもそうなのかは知らない。他の人に聞いたことがない。
応接室に入り、客人が来るのを待つ。ソファに座って足をプラプラさせていると、向かいの扉が開く音が聞こえる。その音に合わせて、私はソファの前に立ち姿勢を整えた。
「お嬢様、セクトル伯爵令嬢がお見えです」
案内役のメイドがティーセットを持って入ってきた。そして、程なくしてまた扉が開かれる。
「ご機嫌よう、ラリア・バヴァ・ロクァース」
銀髪ロール髪の気の強そうな令嬢が、目つきの鋭いお付きのメイドを連れてやってきた。
目の前に置かれた紅茶を一瞬眺めてから、令嬢は私の方を見る。
「あらあら、相変わらず性格に似合わない大人しそうな顔をしてますわね」
おいおい、挨拶だな。私だって好きでこういう顔になってる訳じゃない。美人な方だと思ってるから別にいいけど。
というか……え、誰だ……誰だっけ?
顔を見る。ううん、覚えがない。こんな強烈なキャラ、そうそう忘れなさそうなのに。
私はこっそり辞書を開いてラフィネに「誰」の単語を指して見せる。「えっ」と小さく呟いたラフィネが慌てて私に耳打ちしてきた。
「お嬢様、セクトル伯爵令嬢のヴェルテュ・ウィル・アレテー様です。ええと、ほら、隣のメスィ領の……」
メスィ領といえば権力と金が1番なことで有名な領。そこの伯爵令嬢となればガチのお嬢様系なのはまあ想像つくか。……でもいまいちピンとこないなぁ……。
「まさか、私のことをお忘れになった訳ではありませんわよね?」
え? い、いやそんな、マッサカー。思わず目を逸らす私。それに気づいたヴェルテュが眉間にシワを寄せる。
「ガリファリア女学校主席卒業のわたくしを忘れるとは、貴方ちゃんと学校で勉学に励まれていなかったのではなくて?」
……あ、思い出した。そうだ。私より年が一つ上で、アミティと同い年。アミティを抜いて学年一位の主席卒業した女学生が居た。それが今目の前にいるヴェルテュ・ウィル・アレテーだ。学年違ってたし順位とか正直どうでも良かったからあまり覚えてなかった。
ちなみにガリファリア女学校は5歳から8歳までの3年間、貴族の女性としての嗜みや勉学を集中して学ぶための学校である。妹のチュルヌが通ってるのもそこだ。
紅茶を一口飲み、ソーサーにカップを置くと彼女はため息を一つついてこう言う。
「全く、そんな適当な娘にわたくしのレフレッシ様が絆されているなんて。考えたくもありませんわね」
「……え? あの、セクトル伯爵令嬢様、デクシア侯爵令息様とは御知り合いで……?」
ラフィネがそう聞くと、ヴェルテュは腕を組んでふんっと息を吐き答える。
「知り合いも何も。わたくしとレフレッシ様は永遠の愛を誓い合った仲ですわ。ポっと出の貴方方にどうこう言われる筋合いはありません」
なるほど、そう来たか。つまりレフレッシ様の婚約者と……はぁ……はぁ⁉︎
「永遠の仲を……? では、婚約されているのですか?」
「ふふ、そうとも言えるわね」
「……いつ頃約束されたのですか?」
「あら、それを聞いてしまうのかしら? そうね、教えてあげてもいいわ!」
喋れていた頃の私も大概だったけど、なんというか、相手してると疲れるキャラだな……。ヴェルテュが自信満々に踏ん反り返って片手をお付きのメイドに差し出すと、メイドは一枚のハンカチを彼女に手渡した。
「そう……あれは私が5歳の誕生日を迎えた時……」
ハンカチを握りしめ、さながらマイクの様に持ちながら、演説をするかの様に話し出すヴェルテュ。
「初めて城下町に来たわたくしは、初めて見るたくさんのお店に目を輝かせ、ふらふらと歩き回っていました。どれも庶民的なものではありましたが、わたくしにとってはそれがとてもとても珍しいものでしたから、それは夢中になって歩き回りました……」
話が長いので割愛すると、初めて城下町に来たときに迷子になって、その時助けてくれたのがレフレッシ様だった。……というお話である。それが最初の出会いで、そこから文通が始まり、6歳の頃に愛を伝えた……らしい。
正直途中から聞いてなかったので、後でラフィネから聞いた。
「というわけで、彼にはわたくしという者がいるのに、最近訪問してみれば貴方宛に手紙を書いているではありませんか!」
叫ぶ様に言いながら持っていたハンカチを投げると、すかさずメイドがキャッチして畳み直す。うまい連携である。慣れてるんだろうな……。
「ですから、今日は忠告しに来たのですわ。彼はわたくしと婚姻を結ぶのです。領地の安定にもそれが良いのです。ですから、貴方は彼をこれ以上誘惑する様な真似はなさらない様になさい。よろしいですわね?」
……よろしいですわね、と言われましても。
「……ええと、セクトル伯爵令嬢様。不躾ではありますが、質問をよろしいでしょうか……?」
「何かしら?」
「その、愛を伝えた後……何かありました?」
「嬉しいよ。という返事が返って来ましたわ。これは認めていると言ってよろしいでしょう? それが何か?」
「6歳の頃ですよね」
「ええ」
顔を見合わせる私とラフィネ。何が言いたいんだと言いたげなヴェルテュ。
「何か言いたいのなら早く仰いなさいな」
「ああ、いえ……何でもありません。大丈夫です」
「ふぅん……?」
首を傾げて訝しげな表情をするヴェルテュをよそに、ラフィネが私に耳打ちする。
「……デクシア侯爵令息様……覚えてらっしゃるんでしょうか……?」
……さぁ……。パンドラの箱みたいなものだから開けたくないなぁ。
でも、そうか。レフレッシ様を狙ってる人がいたのか……。これは下手に刺激しないほうがいいな。
「とにかく、仲がよろしいのは良いことですが、誘惑する様な真似だけは許しませんから、そのつもりでいなさいな」
そう言い切ると、勢い良く立ち上がり、髪を翻しながら扉の方へ向かいつつ、
「それでは、お邪魔致しました。また訪問させて頂きますわ。紅茶、美味しかったですわよ」
と、言い残して出て行った。
なるほど、根は悪い人ではなさそうだ。面倒臭そうではあるけど。
「何というか、賑やかな方でしたね」
ラフィネが扉を見ながら呟く。
恋敵……の様な者が現れた訳だけど、私としてはその実感があまりないまま対面の時間が過ぎてしまった。
色々言われたけど、とりあえずレフレッシ様への手紙は書かなくては。デクシア侯爵家への訪問の日も迫ってきているし。対話の方法はなんとか身に付けたけど、会って何を話すかは考えてないんだよね。
魔法の事、天使の事、婚約の事。沢山ありすぎてどうにも纏まらないけど、今のうちになんとかしよう。そう、次の目標はデクシア侯爵家への訪問で何か問題解決の糸口を探す事なのだから。




