前編:こんなの聞いてないモル
一体、何がどうなってしまったのだろうか。
いや、死んだおじいちゃんが言っていたじゃないか。いつ如何なる時でも冷静に物事に対処しろ、と。僕は深く深呼吸をして、とりあえず現状を整理するために一から振り返ることにした。
まず、僕はコンビニ帰りに道を歩いていた。うんうん、確か時刻は夕陽も落ちかけた夕刻だったかな。それで、小腹が空いたからコンビニで買ったフランクフルトを咥えてスマホを弄っていたはずだ。
その時は漫画アプリを読んでいたはず。お気に入りのウェブ漫画が一気に三つも更新されて、少しだけ浮かれていたっけ。こう整理してみると結構覚えてるものだ。案外自分の記憶力も馬鹿にできないな、と僕は少しだけ得意げになった。
それから、ウキウキで僕はある住宅街の角を曲がったわけだ。そして僕の視界に飛び込んできた、二つの眩しい光。あれは間違いなく、自動車のライトだろう。それだけ確信があるのは、その直後にドンという鈍い音がして全身に物凄い衝撃を受けたからだ。十中八九、車に轢かれた。つまりは交通事故だ。
とりあえず僕が覚えているのはそこまでだった。その後は視界が暗転して、気がついたら見知らぬ場所にいたわけなんだから。
自分がいる場所をぐるりと見渡す。そこはどうやら洋風のお屋敷のようだった。部屋の装飾を見る限り、かなりの金持ちの屋敷ということがわかる。テーブルや椅子、果ては電気のスタンドやら暖炉やらまで、庶民にはまるで手が届かないであろうものであるこが素人目にも見て分かるほどだからな。
もしかして、この屋敷の主が交通事故に遭った僕のことを介抱してくれたのだろうか。そうとなれば、お礼を言わなければなるまい。僕は、身を起こすとゆっくりと立ち上がった。
……?
おかしい。“立ち上がる”というだけの単純な動作を行うことができない。どういうわけか、僕は今四つん這いで地面に伏しているらしい。床が随分と近いし、椅子やテーブルが妙に大きい気もする。
妙な不安感に襲われる中、部屋の片隅に姿見があるのを見つけた。何故か立ち上がることができないので、恐る恐る這うように床を移動して姿見の前まで移動する。そこで、僕は漸く自分の身体に起きている変化に気がついた。
「えーーっ!!」
姿見に映った自分の姿。白と薄茶色の毛に覆われたもふもふの全身。あるんだか無いんだかわからないほどの短い手足。楕円形の丸い身体に、顔からは白いヒゲがぴょんぴょんと生えていてつぶらな瞳をしている。誰が見ても文句無しの、モルモットだった。
「なんだこれ、どうなってるモル! ふざけんなモル!! って何だこの喋り方はモル!?」
受け入れ難い事実に、半狂乱になってそこら中を駆け回る。しっかり喋り方まで可愛くなってるとかどういうこと!? 大体ここはどこ!? 人間だった僕の身体は!? あ、痛っ!!
慣れない身体で駆け回った(這いずり回ったと言った方が正しいだろうが)せいで、テーブルの脚にぶつかって僕はずっこけてしまった。そのままごろりと腹を天井に向けて仰向けの姿勢になってしまう。じたばたと手足を動かしてみるが、その手足は空を切るばかり。
「え、これ詰んで無いかモル……?」
どう頑張っても、その短すぎる四肢は床に届くことは無かった。待て、まだ諦めるのは早い。こう、うまく身をよじって。腰を使ってくるっと、こう勢いよくクルッといけば……あ、いけそう……。
ジタバタしながら、僕の手足がもうすぐで愛しの地面と再び設置できそうだという時。そこで僕は、初めて自分のことを見下ろす視線があることに気がついた。
もがく僕のことを嬉しそうに見下ろすその姿。年齢は十代後半といったところか? ピンクがかったセミロングの髪をし、キラキラした大きな目。黒いフリフリのワンピースを着て、しゃがみ込むように僕のことをじっと見つめている。あっ、パンツ見えそう。
もし僕がまだ人間だったなら間違いなくナンパしているほどの美少女だ。ナンパしたことないけど。
「あら、丸裸でみっともないポーズして。何休んでんの?」
驚きのあまり仰向けのまま固まる僕に、その美少女はニヤニヤしながら言い放った。彼女に指摘されて、そういえば丸裸だったことが急に恥ずかしくなった僕は、慌ててひっくり返ろうともがき出す。
悪戦苦闘すること数十秒。なんとか体勢を立て直すと、再び美少女のことを見上げた。
「あの、キミ! ここは一体……」
「ご主人様」
「は?」
視界がぐるりと回転する。彼女は僕の身体を鷲掴みにすると、なんとあれだけ苦労したのにまた地面と僕の背中をドッキングさせてしまったのだ。
「ご・主・人・様よ。自分の主人に向かって、キミだなんて失礼だわ。やり直し」
「ひ、ひどいモル!」
再びジタバタともがく僕だったが、コツを掴んだのか今度は十数秒もかからずに元の体制に戻ることが出来た。心なしか、僕を見下ろす美少女はさっさと元の体勢に戻れてしまったことに不服そうな気がするけど。ま、まぁ気のせいだろう。
「キミ! 何を……」
「ん?」
笑っているだけなのになんという圧力。僕はその圧倒的な迫力に相手がたった一文字声を発しただけで本能的に逆らってはいけない相手であるということを理解した。コホン、と小さく咳払いして改めて喋り直す。
「ご主人様。モル……モ……。なんで“モル”って言えないモル!? ああ! もう良いモル! モルは何でここにいるモル!?」
どう頑張っても、「僕」って言うことができない。実際に声を発するときは一人称まで“モル”になるのか。もう、とことんモルモットやってんなぁ僕。嫌気が指しつつも、ヤケクソになりながらご主人様に質問をぶつけてみる。
「ウフフフ……私の可愛いモルモットちゃん。良いかしら? ここでは私の言うことは絶対なの。何でアナタがここにいるとか、ここが何処かとか、考える必要はないわ。アナタは私に呼ばれたから、ここに存在している。ただそれだけのことなのよ?」
「そ、そうは言ってもモル。目が覚めたらモルモットになってたら誰だって混乱しちゃうモル」
「まぁ、そうねぇ。じゃあ大サービスでちょっとだけ教えてあげちゃおうかしら」
ご主人様はそう言うと、椅子に座って足を組み直した。スカートから艶めかしい肢体がちらりと覗く。モルモットとなった今、僕はかなり視点が低いのでどうしても目のやり場に困ってしまう。
「シンプルに言うと、人間としてのアナタは残念ながら死んじゃったの。ヒトは死んでしまうと魂になるんだけど、その魂が成仏しちゃう前に私がモルモットとして転生させてあげたってわけ」
「……」
その衝撃たるや、僕から言葉を奪うには十分すぎるものだった。彼女の言葉を信じるなら、とにかく今の僕は文字通りこのヒトのモルモットなわけだ。交通事故を起こして、あろうことかモルモットに転生してしまったと。……なんか思っていたのと違うなぁ。もっとこう、せっかく転生するなら剣と魔法の世界で大冒険ってのを想像してたのに。
「そういえば、この世界ではモルモットが喋るのは普通モル?」
「何を言ってるの、そんなわけないじゃない。世紀の天才たるこの私が召喚したからこそ、アナタは喋ることができるのよ。感謝しなさいね?」
ご主人様はそう言うと僕の鼻先を、そのつま先でツンと突付いてみせた。女性経験が乏しい僕としては、年頃の女性にそういうことをされるとどうしたって照れてしまう。
あ、でも。もし転生しているなら、よくあるライトノベルみたいに自分のステータスとか見られたりしないのかな。だってモルモットが人間と会話できる世界だもんね。何があってもおかしくないぞと、僕はダメ元で念じてみることにした。ステータス・オープン!
一瞬の間のあと、『ブン』という古いテレビが起動したときのような音がして眼の前に情報が映し出される。うわ。まさか本当に出るとは。
『モルモット♂ 固有名:なし
体力:G 魔力:G 筋力:G 知力:G 敏捷:G 器用:G
スキル:<種早食い>』
……うん。弱い。よっわ! 僕よっわ! しかもスキルの種早食いって! 食事以外何の役にも立たなそう! これは、いよいよ何かと抵抗することは諦めたほうが良さそうだ。能力もオールGだしね。多分これ最低値でしょ? だってその証拠に……。
「あらぁ、随分お粗末なステータスねぇ?」
ご主人様が超絶ニヤニヤしてこっち見てるもの。あっ、これステータスウィンドウ他のヒトにも見られちゃうんだ!? なんか自分の内面を覗き見られたみたいで急に恥ずかしくなってしまう。
「そっ、そういうご主人様はどうなんですモル?」
「ん? 見たい?」
僕は顔を赤くしつつも、ダメ元でそう尋ねてみた。しかしご主人様は自信たっぷりに微笑んでみせると、ステータスウィンドウを開いてみせてくれたではないか。随分素直に見せてくれるなぁと、僕は彼女のステータスをまじまじと見つめる。
『ヒューマン♀ 固有名:???
体力:D 魔力:B 筋力:E 知力:A 敏捷:C 器用:C
スキル:<魔力強化>、<召喚術>、<★ご都合主義>』
おおう。典型的な魔力タイプって感じのステータス。おそらく最高ランクであるAランクの能力もあるし、彼女が自称する“天才”ってのも案外本当なのかもしれない。自信たっぷりに見せてくれたのも、この能力値ゆえなんだろう。しかも僕と違って役立ちそうなスキルが三つもあるし。その内一つは星マークがついてるけど、特別なスキルなんだろうか?
「グウ」
ご主人様のスキルを眺めながらこの世界の仕様について考えている時。突然、腹の音が鳴った。そういえばお腹が空いたなぁ。転生前に食べそこねたフランクフルトが恋しいけど、今の僕はただのモルモットだ。食事ですら、ご主人様にねだらないと食べさせてもらえない。……非常に情けないが、背に腹は代えられない。
「あのーご主人様。モルはお腹が空いたモル」
恐る恐る、ご主人様にお願いしてみる。僕のお願いを聞いたご主人様は、すっと立ち上がると僕のことを振り返りながら妖しく笑ってみせた。
「ホラ、何してるの? 食事にしましょう。付いていらっしゃいな」
そのまま、ツカツカと歩いて部屋から出ていってしまう。案外いい人なのかもしれないと、僕は彼女の後を小走りに追いかけていった。そこで待ち受けている、とんでもない事実を知らずに。