記憶障害
スタンフォード監獄実験と呼ばれる心理学の実験があった。ランダムに選ばれた大学生徒を看守役と囚人役に分けて、その役の通りに2週間を過ごすという実験だ。なんの権威もない普通の生徒たちは実験が進むにつれて本物の看守や囚人のように振る舞い、実験が終わった後の心理テストで囚人の心理は本物の囚人の初期症状と変わらない心理を持っているという結果が出たのだ。
それは学園にも当てはまるのかもしれない。ランダムに選ばれた少年少女ではなく超能力者の的性がある者たちが集まった学園は、その広々とした校舎とは裏腹に生徒同士の関係は閉鎖的だ。さらに学園の上層部は有望な生徒を外の世界のルールで裁かれないように、学園に生徒で構成された秘密警察を置いている。チェーカーと呼ばれる者たちの暴走をアーサーと前内務委員の責任として
罷免したが、内務委員会自体は消えていない。生徒会の大権も、学生に与えるには大きすぎるものだ。それが上層部の望んだことであれ、意に反したことであれ、結果が全てだと言うにはもう綻びが大きくなりすぎている。
「生徒たちは演じている。超能力という力があれば大人の言葉なんて耳に届かないだろうに、教員たちだって上位生徒は止められないだろうに、大人たちのグレート・ゲームに代理として望んで参入している。」
学園の異常さに気がつく生徒はそう多くはない。大半が擬似的な権力に溺れて異常なものを正常だと思うからだ。そんな中、数少ない例外のナンバーワンとして、PKDI:RANK4の1人、柴田公正は嘆いていた。彼は所謂外様だ。普通の中学校に通い、才能を見出されて学園横浜と契約したのだ。
「俺がそれなりに高い地位にいるのなら、学園の慣習を変えたい。自由だって?そんなことはない。ここは何処よりも閉鎖的だ。」
そんな嗚咽にも似た嘆きを聞いている者もいる。大智だ。
「そうだな。俺も外様だから分かる。殺人許可証なんてものがあって、それがあれば殺人が正当化されるなんてどうかしてる。」
開発指数4の生徒は会長代理ともなると把握している。把握しているだけで手足として使える訳では無いが。
「そして、俺たちの共通点はもう一つ。イリイチだ。たまたま話したことがあるが、ロシアじゃあ殺し屋として鳴らした怪物が、この学園だと中道派よりだ。金で動く殺し屋の方がまだ倫理感を持ってやがる。」
「金のために人を殺すのと、権威という実態なき空気のために人を殺すってのは全く違う。まさか殺し屋の倫理感を評価する日が来るとは思っていなかった。」
大智と公正はため息が止まらない。大智は学園の狂った倫理感を見せつけられた形となった前の一個大隊壊滅。公正は契約金という罠につられて入った学園で表が裏で裏が表という逆転現象を何回と見てきたのだ。
大智は少し言うべきか迷った顔で言葉を選ぶ。倫理感でいえばマシよりの殺し屋が今記憶障害を起こして戦闘ができない旨を。
「……そのイリイチの事なんだが…。実は…。」
信頼に値する仲間だと思った相手には誠意を持って接するのが大智の長所だった。今それは公正に与えられている。
公正がより虚しい目付きになるのはこれから数秒後のことである。
「本当は家族に連絡する案件だが…。如何せん彼には家族はいない。」
生徒を預かる身でもある学園は、生徒に危機が迫った場合はそれを連絡する義務がある。普段は閉鎖的な学園だが、そこすらも閉鎖的にしてしまうと生徒が集まらなくなる危険性がある。
「イリーナという少女は彼の妹では?」
医者の1人が提案する。イリイチとよく似ている少女は能力も全くの生き写し第六感だ。
「…当人に聞いてみるか。12歳の少女に分かるものか。」
兄の危機に対して全く寝れていないイリーナは部屋で閉じこもっていた。目は血走っていて、顔つきもよろしくない。それに痩せたようにも見える。
医者が部屋のインタホーンを鳴らし、鍵が空いているのを確認し部屋に入ると、そんな異常な少女の姿が見えた。
「…!イリイチは!」
か細い声を絞るかのように医者に問掛ける。感受性豊かな元々の性格に少女にとっては唯一無二のもう1人の第六感であるイリイチのことを考えているのは極々当たり前の事だった。
「…君にはショックかもしれないね。イリイチは…。」
医者は言葉を迷った。しかし、それを言わなければ話が始まらない。それに、少女にとってもこの話は非常に重要だ。
「………!」
なんとも虚しい瞳に少し元気が入ったようにも見えた。




