「彼」の深層
「ユダヤ人か…。」
家に戻り、久しぶりに天井でも見つめながらやがて1日を終わらせようとしていたイリイチは、サラのことを不意に思い出す。先程の会議に参加した者は、世にも珍しいアルビノ、色素が先天的に少なく、虹彩に色素がないが故に生まれたのだろう赤い目に吸い込まれて、そこで終わりだったのだろう。
ただ、イリイチの場合は意味合いが違った。見た目も超能力も特別秀でているとも感じなかったのだ。第六感という深層を見つめる力を持った彼が、「ただのアルビノの超能力者」と言うだけでピリオドを打てば、今こうして彼女に思いを馳せるような、そんなことは断じてする訳がないのだ。
彼が最も気にかけたことは、彼女そのものであった。
「ユダヤ人ってのは…。宗教、ユダヤ教と結びつく民族集団…。だが、今となれば…ユダヤ人の親を持つ者は皆ユダヤ人だ…。俺も…。俺もそうなのか…?」
彼ことイリイチは、自分ですら解明出来ていない謎が多い。イリイチという名前ですら、渾名のようなものであり、本名ではない。
物心が着いた頃には、行きずりの女と1晩を共にして、その度に後悔して、自分の罪を教会で祓ってもらい、それから20分も経てば他人の罪を背負うべく、浄化作業を行っていた。
「よく燃える野郎だな。ったくよ、この脂肪を少しはスラム街のガキに分けてやれってんだ。」
本当は過去を思い出したくないのかもしれない。本当は現在は全て虚構なのかもしれない。本当は未来にあるものは惨めで哀れな死に方なのかもしれない。
守るものも、奪うものも、倒すものも、倒されるものも。
「俺は虚無だ。虚無の塊だ。殺して殺して殺して殺す。人間の意思はどこまでも素晴らしくて、どこまでも愚かで、どこまでも…どこまでも…虚無に…。」
深淵に近づけば深淵は蹴り落とそうと躍起になる。彼の感情の堰が切れたときはいつ時でも、同じ反応を示す。
巨大な邸宅に翻る狂気じみた笑い声に、富田が気がついて彼を伺いに向かう。
「旦那!落ち着いて!」
ヒステリック症候群。長きに渡る異常な生活が、第六感を変貌させて姿を表しているのは明白であった。
感情の制御が出来ていない。感情の動かし方が分からない。怒りも悲しみも喜びも楽しさも、喉が焼きちぎれそうな笑い声に全て詰められている。
「イ、イリイチ…?」
ただならぬ気配に勘づいた、もしくは目が覚めたイリーナが珍しく怯えているようだった。たとえ、目の前で親が肉塊になって辱められようと眉1つ動かすことのない少女が、狂気に触れた兄に対しては一重である。
「……第六感が弱まってる。富田さん!お兄ちゃんを気絶させて!」
咄嗟に飛び出たイリーナの言葉に、即座な反応を示した富田は、笑い転げてベットから落ちたイリイチに向けて、テーザー銃を放つ。痺れにより動きが止まると、同時にヒステリックも収まった。
「…………2人とも、悪かったな。取り乱しちまって。ここ4日間位寝れてないんだ。バトラー、睡眠薬か何か持ってるか?」
普段の掴みようのない性格を取り戻したイリイチは、この出来事の深層を不眠であるという結論としたのだった。
薄めのカルピス




