脳細胞再生
病院に担ぎ込まれた白人は、今となれば電池が切れたタンパク質の固まりに過ぎない。呼吸機能はとうの昔に停止しており、ここから行われることは蘇生とは言わないかもしれない。
「脳死判定はある意味チャンスだ。左脳に埋め込まれた人工脳髄には致命的な欠点がある。やはり、人間が人間の脳を作り上げることは禁忌に等しい行為だからな。ではどうすればいいのか?それは…。」
イリイチの脳髄は全ての機能が停止している。だが死には至っていない。それは心臓が動き続け、身体中に血を巡らせているからだ。ここに来ても彼の生命力の強さには感嘆を禁じ得ない。
「空洞化した左脳を再生すればいい。時間がかかる上に手術代も膨大、オマケに人工脳髄を搭載する施術よりも遥かに生存率は低い。」
「だがな。デメリットしかないものなんてこの世には存在しない。メリットとして、もうオーバーヒートに苦しむ必要もなくなるし、彼のシックス・センスを再現するための描写制御機能も必要ない。」
どうして、リーコンは、イリイチの左脳動作不順の末にシックス・センス使用不能判定、留めを指すように記憶喪失に陥ったイリイチの脳を再生させる施術を施行させなかったのか。一番の理由は時間が足りなかった。というのが挙げられるだろう。本校討伐の切り札としてイリイチの存在は必要不可欠。だが、脳細胞をひとつひとつ丁寧に再生していれば時間は追いつかない。
次に挙げられるのが安全性の欠如。脳の細胞を増殖していく上で、少しでも不純な細胞が入り込めば、その場で死が確定する。まだどこの国もどこの企業も到達したことのない地点である以上、尻込みするのは致し方ないことであった。
「でもな、今なら時間は幾らでもある。手術費はこいつの総資産から、そうだな、半分ほど貰えばいけるだろうな。」
リーコンの不可解極まる行動に、最前にイリイチを助ける格好となった昴は疑念を覚える。人工脳髄強化のために、人権無視上等な計画を行っていることは百も承知である。だからこそ疑問なのだ。
「プランアルファベットだっけ?そんな大掛かりな茶番劇なんて行わなくてもイリイチにちゃんと説明すればこの施術を受けただろうに。」
「それは有り得ないな。彼の猜疑心の強さは異様なものだ。まるで過大妄想のように。脳の中を引っ掻き回す、言わば実験に賛同する訳がない。一種の二重規範みたいなものさ。普段のイリイチのままで行くのなら人工脳髄強化の規範。こういう事態になれば脳細胞再生規範。」
「まぁ俺としてはどちらにしてもいいんだがな…。人工脳髄が細胞再生がと言われてもピンと来ないし。」
もはや垢が着いたような戒厳令も、この情報を知りうる者はそれを漏らすような真似はしない。様々な舞台で様々な敵を打ち倒してきた男も、脳を開けられるという状態になってしまえば無防備そのものだ。
「一応言っておくが、この話は決して漏らすな。イリイチはお前のことを結構買っているようだから教えただけだからな。」
偶然が作り出した状況を上手く操れる男の考えに終わりはない。
ダブル・スタンダードの使い方が間違っているかもしれないです。




