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欠陥クラス―6

 鍵の開いていた視聴覚室へと入ると、埃っぽい匂いが俺の鼻をくすぐった。室内は薄暗く、カーテンの隙間からの光には細かな粒子のような埃が舞っている。あまりよく使われていない教室なのだとはすぐにわかった。


「来たわね。ちょっとこっちに来てくれる?」


 一体ここに何があるんだ? 視聴覚室なんて入った事もねぇし、なんか気味悪いな。

 どこか懐かしさを感じさせる長机がいくつか並んでいるだけで無駄な物が一切ない。前方には大きめのスクリーンがありその横にはまた更なる扉があった。

 鍵がかかっていたのか、阪無は鍵を開けその中へと進んでいく。俺もその後へと続いて入った。


「うわ。なんすかここ」


 スチール棚に所狭しと並んだ資料やビデオテープの数々。準備室の方は妙によく整理されているようで、指で棚をなぞってみてもほこりが全くつかないほど掃除もされているようだ。

 しかし狭い。通路と言えるかどうかの狭い棚の間隙を縫い、更に奥へと進む。


「ちょっと狭いけどついてきて」


 奥へと進むと、カーテンで仕切りを施された空間があった。

 阪無が何の躊躇いもなくそのカーテンを開くと、そこには全く別の空間があった。

 まず目に入ったのは真っ白なシーツに覆われたベッド。そして、まるで応接室のように丸い机に向かい合った二つの一人掛けソファ。そのすぐ隣の棚にはコーヒーメーカーが乗っかっている。更には漫画がずっしりと並べられた本棚まであった。

 これは……完全に部屋だな。


「わたし秘密基地って結構好きなのよね」


 機嫌良さそうにそう言うと阪無は棚からコップを二つ取り出し、コーヒーを淹れ始めた。これにも驚いたがシンクと蛇口が目にとまり、この部屋には水場まであるらしい。

 俺はソファに座りながら感嘆の息を吐く。


「すげぇ。俺もこういうせまっ苦しいけど自分だけの部屋みたいなの嫌いじゃないっすよ。でもいいんすか? 秘密じゃないと秘密基地とは呼べないと思うんすけど」

「いいのよ。ちょっとあなたに話したい事があったから。授業終ってちょっとゆっくりしたかったし」


 まだ仕事中じゃないのかこの人……。


「はいどうぞ」


 湯気の揺らめくコーヒーが差し出され、とりあえず一口飲んでみた。


「――旨い。コーヒーも呑めてベッドがあるから仮眠も取れる。おまけに漫画もあるから暇つぶしもできるし、結構いい部屋っすね」

「でしょ? 適当にいろいろ持ってきたんだけど部屋つくってみたら案外心地よくってね」


 阪無も俺と反対側の椅子に座り、自分のコーヒーを啜り始めた。


「でも見つかったりしないんすか? こんなんでも一応は学校の一室でしょ?」

「その時はその時。私は今ゆっくりできればそれでいいのよ」


 大分楽観的な性格をしているようだ。見つかったら大層問題になりそうな気もするが。

 コーヒーカップを机に置き、ゆったりとくつろぐ阪無に目を向ける。


「それで俺に話しってなんですか? 今日の感想でも聞きたいんですか?」

「それもあるんだけど……そうね。とりあえず今日は授業を受けてみてどうだったかしら?」

「別にこれと言って文句もないっすね。むしろ静かに過ごせて普通科の授業よりましだったかもなー」


 授業中教師にジロジロと見られて何かと落ち着かないが、昼休みは静かで自分の机でぐっすりと眠れるのはありがたい。


「はぁ~」


 これ見よがしに阪無は重い溜息を吐いた。


「どうせあなたも孤高を愛する一匹オオカミだとは思ってたけど。少しは仲よくしようって気はないのかしら? 教育者の私からしてみれば和気あいあいとしてる方が気が楽なのよね」

「別に邪険にするつもりもないですけど、こちらから積極的に慣れ合うつもりもないっす」


 今までもそうしてきたし、これからもそうするつもりだ。

 更にコーヒーをひと啜りし、目の前で頭を悩ませる教育者を見る。黒いストッキングに包まれた艶めかしい足を組み、深い香りの揺蕩うブラックコーヒーに口を付ける様は大人の女性としてとても魅力的に見えた。

 結構美人だよなー。性格はなんか裏ありそうで怖いが。


「そーねぇ、そりゃああのクラスに協調性なんて求められてはいないんだけど、むしろ協調の取れない人間の集まりみたいな所ではあるんだけど……」

「そうっすよ。先生方も難しい事なんて考えず、ただ淡々と授業を教えていればよいのでは?」


 他の奴は知らんが俺は楽だと思うし、教師連中にとってもその方がいいだろう。

 だが俺の言葉を阪無は一蹴した。


「そういう訳にもいかないのが教師たる者の宿命よ。教師である以上はあなた達の担任として余計な世話だろうとも焼かせてもらうわ」


 持っていたコーヒーカップを机に置くと、阪無はにこやかなに微笑みかけてきた。


「と、言うわけで、ダメもとで聞くけど――白崎さんと仲良くして欲しいのよね」

「は?」


 白崎の名が出され、どう反応していいのかもわからずにとりあえず聞き返す。


「白崎と仲良く? どういう意味っすか?」

「白崎さん……あの子はね誰とも喋らないし、当然――っていうのもかわいそうだけど、友達なんていない。私も何度か連絡を兼ねて話しかけてみたりもしたけれど、何の話題にも興味を示さなかった」


 阪無は置いたコーヒーを見つめながら語り続ける。


「特進科が設立されたのは二年前。君たちが入学してきた頃ね。私は新任教師として特進科の担任を押し付けられた。設立当初は誰も生徒がいなくって、面倒を見る相手がいない分楽ではあるけれど、それならどこか別のクラスで副担任でもさせてもらいたかったのに……あのクズどものせいで」


 ……白崎の説明の筈が、なんかいきなり愚痴になってきてんすけど?


「んんっ。——ごめんなさい。君たちが入学してきてすぐ一人の女子生徒が特進科に編入したわ。問題を抱えた生徒を教育、更生する学科ではあるのだけれど、まさかあんな大人しそうな子が自分から志願してくるなんて思ってなかった」

「あいつは、白崎は自分からこのクラスに入ってきたんですか?」

「ええそう。最初はクラスに馴染めなくて普通科の生徒と距離を置きたいのかもしれない……なんてありきたりな考えでいたのだけれどね」


 語る阪無の表情が僅かながら悲しいものへと変化していく。


「正直に言うと、私は二年間白崎さんと付き合ってきて、あの子の事を何も知らない。知っているとするなら、それは彼女が何にも興味を示さないって事ぐらいかしら」


『機械人形――みたいだよな』


 始業式で男子生徒が言っていた言葉を思い出す。

 機械のように意思を持たず、人形のように自分の人生に操られている。

 白崎には生きていれば自然と滲み出る人間性みたいなものが、全くと言っていいほどになかった。


「真っ白……いえ、透明かしら。彼女には何もないもの。そして――」


 遠い目をして語っていた阪無は本題とばかりに身を乗り出し、俺へと顔を近づけてくる。


「故に孤独。白崎さんはお父さんと暮らしているみたいだけれど、私も会った事ないし、どんな家庭事情を抱えているのかわからない。多分、誰も頼れる相手がいないだろうし、誰かに頼ろうともしないのでしょう。学校だけじゃなく、日常生活まであの子はずっと一人なのよ」


 そして顔の前で手を叩き合わせた。


「お願い! 特進科に来てまだ日の浅い君にしか頼めないのよ! 少しでもいいから白崎さんと話してみてくれないかしら?」

「いや、なんで俺がそんな事……第一にめんどくせー。第二に俺が得しねー。第三に何を話せばいいのかわかんねー」


 白崎は何の話題にも興味がないと阪無もそう言っていた。なら俺には無理だ。親友すら持った経験のない俺には。

 コーヒーカップに口を付けようとしたが、いつの間にかコーヒーは無くなっていた。仕方なくカップを机の上に戻す。


「無理に決まってんじゃないすか……あいつとは今日少し喋ってみて大分おかしい奴だとはさすがの俺でも思ったし」

「え? 喋ったって、白崎さんと?」

「そうっすけど? 話の流れからして奴しかいないでしょ?」


 そう言うと阪無は驚いたように大きく目を見開いてパチパチさせていた。


「ど、どんな話したの? 後学の為にぜひ教えて」


 そんなに興味をそそったのか、阪無は手帳を取り出しメモの用意を始めた。そして俺が白崎との大した事もない一幕の話を聞かせると、手帳にペンを走らせる。まるで取材でもされているかのようだった。


「なるほどね。意外と哲学的思想の持ち主なのかしら?」

「哲学的? 始業式に行きたいか行きたくないかってのがですか?」

「当たり前に思えるような物事に向き合い、思考し、本質を見極めようとするのが哲学者よ。実際白崎さんは成績もいいし、周りの人間と温度差ができてしまうのは自然な状況なのかもしれないわね」

「なんか益々仲良くなれない気がしてくるんすけど」


 だがしかし、俺には奴が哲学的というよりも、周囲の物事に対してより自分の心が知りたいんじゃないのかと、そんな気がする。


「でもこんな白崎さんの情報が聞けたのもあなたが会話してくれたおかげね。やっぱり私が目を付けただけの事はあるわ」


 メモ帳を閉じて、先生は嬉しそうに笑った。


「そんな大層な事でもないと思いますけど。話したっつってもちょっと喋っただけだし」

「そんな大層な事あるの! お願い! やっぱり白崎さんとまた話してみてくれる? そしてその内容を教えて欲しいのよ。少しずつでいいから、ね?」


 困ったような笑いに変わる。俺みたいな不良かぶれに拝み倒す阪無を見ていると、なんだか段々かわいそうに見えてきた。

 どうせあと一年で卒業なんだし、白崎も今までなんだかんだ学校生活を送れてるんだろうから放っておいても良さそうなもんだけどな。

 俺はソファの背もたれに体重を乗せて腕と足を組み、あくまで興味のない風体を装って言った。


「……やってみますよ。あまり期待してもらっても困りますけれど」

「ホントに! ありがとーっ」

「んわっ! お、おい!」


 阪無は俺の方に駆け寄ってくると、豊満な胸に俺を押し付けた。

 け、結構でかい! スーツ越しにでも柔らかさが感じられる。しかもなんかいい匂いが……。


「はっ! ……あ、あなたちょっと! 何私の匂い嗅いでんの!」


 自分の胸を隠しながら恨めしそうな目で俺を睨んでくる。


「い、いや。嗅いだのは認めますが、押し付けてきたのはそっちなんで」

「くっ! まあそうね……私のせいでもあるか。でも次はちゃんと息を止めておきなさい」


 次あるのか! んー今度はもっと鼻の通りをよくしておかねーとな。

 阪無は居住まいを正し、咳ばらいを一つ入れた。


「んんっ。でも本当にありがとう。私もできるだけ協力するから。君が良ければこの部屋も使って貰って構わないし。せまっ苦しい所だけど」

「それなら、遠慮なく使わせてもらいます」


 コーヒーがタダで飲めるってんなら狭い部屋に文句はない。漫画とかもあるし、暇つぶしくらいには使えそうだ。ありがたく使わせてもらうとしよう。

 阪無の頼みと言うのもただ白崎と会話してくれればいいってだけの簡単なものだ。今日話してみて只者じゃないのは何となくわかったが、別に理由なしに拒まれているわけでもない。適当に喋ってりゃいいんだ。


「それじゃ改めて、これから一年間よろしく。黒屋星治君」

「はぁ……はい。よろしくお願いしますよ」


 期待の眼差しを向けてくる阪無から差し出された手を握り返した。その小さな手はしっとりとして柔らかくて、温かかった。


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