欠陥クラス―5
始業式が終わってからというもの、これまでと同じように通常の授業が行われていった。特進科という括りは授業に関して言えば普通科と同じ内容で別段変わり映えもしない。人数が少ない分、見下すような目を向けてくる教師と睨み合う回数が増えたくらいか。
休み時間や昼休みは、それはもう静かなものだった。会話のない教室はこんなにも心落ち着けるものなのかと感心し、授業で蓄えられた睡魔に身を委ねていた。
最後のホームルームでは大した連絡もなく、阪無は早々に話を切り上げた。
「――こんなものかしら? それじゃあ今日は終わりましょうか」
「ありがとうございました」と教壇上から言う阪無に対し、「ありがとうございました」と、生真面目に返したのは赤石と白崎、そしてにやけ顔のオウジと呼ばれていた女子だった。
阪無は教壇から下り、扉へと向かっていたが、
「ああ、黒屋君。悪いけど少しこの後視聴覚室まで来てくれないかしら?」
早々に席を立とうとした俺を見てそう言ってきた。
「視聴覚室? なんでそんなとこに」
視聴覚室は俺たちのいる四階から一つ下の三階の角にある。授業などでもほとんど使われず、どの部活動も使用していない教室で、俺も一度教室の前を通りがかった事があるくらいだ。
「悪いけどって言ったじゃないの。いいから来るように!」
言い終えると阪無は口答え無用と訴えているかのように、颯爽と教室から出て行ってしまった。
はぁ……また呼び出しか。めんどくせっ。
憂鬱になりながら帰り支度を始める。赤石、青野は早々に教室から立ち去って行った。俺もさっさと視聴覚室に行って用を済ませて帰ろうと、席を立つ。
「あはは。黒屋君呼び出しですかぁ?」
ちょうどそこへ声を掛けてきたのはニヤけた顔が特徴のオウジであった。どこぞのホラー映画さながらの長い黒髪が顔を半分覆っていて片目しかはっきりと見えない。しかもその片目は血走っているようでもあった。髪を襖か何かに例えるならばまるで小さな穴から覗かれているようで怖気が走った。
「お前は……」
「わたくし、黄色い地面で黄地と言います。よろしくですねぇ」
にこやか……ではあるのかもしれない。しかし何かしらきっかけがあるわけでもなく、裏のありそうな笑みを浮かべている目の前の女子は明らかに異常だ。
「黄地か。わかった。――で? 何の用だよ」
「いえいえ、用事など特にはありません。あなたが自己紹介してくださったのにわたくしの方がしないのはおかしいと思いましてね。残り一年とは言え決して短くはない時間です。名前くらいはわたくしも覚えておいてもらいたいのですよ」
「そ、そうか。まあ、あまり喋る機会もないとは思うが、そう言う事ならな」
こいつ……教室の片隅で念仏でも唱えていそうな奴だと思っていたが、意外と積極的なのか。まさか話しかけられるなんてな。
こうした学校生活での日常的な会話というものが俺はあまり得意ではない。他人と喋らず孤高にやってきた弊害であろうが、いきなり話しかけられても全く話題が思いつかないのだ。
ガンつけられた方がよっぽどわかりやすい。だが、あんな目で間近に迫られてもそれはそれでこえーな。
しかしまあ、こいつには一つだけ聞いてみたい事がある。
「なあ黄地。お前なんでそんなにヘラヘラしてんだよ」
「ほぉう?」
俺の質問にすら黄地は笑い、面白がっている。顎に手を当てながら俺を観察するようでいて、常に目元が笑っているのだから奇妙な事この上ない。
「まず第一にその質問をしてきたのはあなたが初めてですよ。基本、他の皆さんは気味悪がってまず会話にすらなりませんからね」
「そりゃそうだ。何がそんなに楽しいのか知らねぇがな。考えの読めない相手ほど怖いものなんてねぇよ」
漫画なんかじゃよくあるが、常ににこやかなキャラほど強キャラ臭がプンプンする。それは心の内を読ませない笑顔と言う仮面を被っているからで、ポーカーフェイスの一種とも言えよう。
もっとも、黄地の笑顔は狂気を孕んでいるように俺には見えるが……。
「ふへへ。私の考えが読めないのですか? こんなにも私は一つの感情をさらけ出しているというのに!」
黄地はおもむろに両手を広げ天井を見上げた。
「私は人生を楽しんでいるのですよ。笑顔とは喜びを謳歌している何よりの証拠。自分の人生をこれ以上なく楽しいものにしたいのです! 笑顔でいればそれだけで嫌な気分さえ吹き飛んでしまうのですから!」
「…………」
まるで狂信者まがいの演説だ。何の根拠もないアジ文を聞かされているみたいで、どう返答していいのかもわからずに俺は一瞬たじろいでしまう。
こいつはヤバい。早くどうにか……しなくてもいいか。
「それは、楽しいから笑っていると言う事か?」
黄地はこちらを見た。その笑顔は幾分か、今までより穏やかなものだった。
「ええ。私にとって笑っていられる時は、幸せな時間ですから」
これまで狂言にしか聞こえなかった黄地の言葉だったが、最後呟くように言ったその言葉だけは彼女の本心であるような気がした。
「そうか。そんじゃ悪いが、俺は行くからよ」
「あ、はい。足止めしてしまいすみません。ひひ」
特に中身のない鞄を引っ掴み、俺はつい逃げるような足取りで教室を出た。
今後一年間同じ教室で勉学を共にしたところで、あいつの考えは到底わからないような気がする。やっぱりああいうタイプは俺でも苦手だ。白崎もなかなかであったが、少し話しただけで黄地は見た目も言動も異常性をかなり発揮していた。
黄地がある意味とても有名だという男子の噂に、俺も納得せざるを得なかった。






