欠陥クラス―3
新年度と言う理由で阪無からこの特別進学科――通称特進科についての説明がされた。
このクラスは基本、問題を起こした生徒が生徒指導と言う名目で編入させられる場所らしい。
しかし例外もあり、自分から希望してこのクラスへと来る者もいるみたいだ。四人の内の誰かはそういう理由なのかもしれない。今回俺が特進科の一員となったように、これからも誰かが編入してくる可能性は十分にあるとの事。
授業のカリキュラムは普通科の生徒と同じで、特進科の方針は教師の目が届きやすい環境をつくり、生徒一人一人を集中して指導する態勢を整える――というもの。
だったら俺一人でいいと思うのは、傲慢が過ぎるだろうか。
ともかく、普通科に友達なんかいない俺からしてみれば、周りの人間が減っただけで、これまでと何も変わらない。むしろ教室内がスッキリしたぐらいだ。向こう一年は穏便に暮らせるだろう。
「さて、それでは一限目は始業式なので、みんな体育館へと移動するように」
一通り特進科の説明を終えた阪無は、それだけを言って教室から出て行ってしまった。
始業式……また校長の長話を聞いてないといけないのか。我が校の生徒らしい立ち振る舞いを常に心がけるように――なんていつも言っているが、そもそも何が我が校の生徒らしいのかが全くわからない。いつも断片的にしか話を聞いていないからだろうか。
教師のいなくなった教室内は至って静かであった。まあ当然だ。第一隣に会話をする相手なんていないのだから。
赤石、金髪女が速やかに教室から出て行った。それからニヤけ面の女子が俺を一瞥して教室から出て行く。何とも奇妙な女だ。
教室には俺と、不思議女子だけが残されていた。
なんだ? あいつはまだ行かないのか?
何を考えているのかわからない瞳で、不思議女子は前の席の机辺りをボーっと眺めている。ピクリとも動かず座り続けている様はまるで機械のようで、あるいは人形のようだった。
少し……気味が悪い。虚ろな瞳が本当は何を見ているのか全くわからない。
位置的には三つ隣の席のそいつに頭だけを向いて話しかけた。
「おい」
「…………」
「おい!」
「……聞こえてる」
「じゃあ返事位したらどうなんだ?」
「うん……なに? 黒屋」
振り向いた女子は子供っぽさの残る幼い顔をしていた。だが表情は堅く、俺が声を掛けたところでビクともしていない。
ていうかいきなり呼び捨てかよ。なんて図々しい女なんだ。
「おまえまだ始業式行かないのか? もう移動する時間だぞ」
自分で言っておいてなんて真面目な発言だろうと笑えてくる。しかし俺の声が届いているのかいないのか、不思議女子は視線を前の席に戻し、また人形のように動きを止めた。
「私は始業式に行きたいのか、行きたくないのか、考えている」
「は? 始業式に行きたいか、行きたくないのか? そんなの考えたって意味ないだろ?」
どっちかと言われればそりゃ行きたくねーけど。
「どうして?」
「どうしても何も行くしかねーだろ。この学校に通っている限りはよ」
そうとしか言いようがないように思えた。始業式だろうが終業式だろうがそれこそ普通の授業だろうが、めんどくせぇの一言で来ないようなら教師から目を付けられ、いずれは学校と言う組織から切り離されてしまう。
俺だって普通の授業すらめんどくさいと思う。だがもう三年、あと一年辛抱すれば卒業できる。……その残り一年がこんな場所に放り込まれるなんて想像してなかったが。
「そうかもしれない。今までもやらなくちゃいけない、行かなくちゃいけないって言われるがままに行動してきた。ただ、自分はどう思ってるのかって、考えてみたら……どっちかわからなくなった」
「……」
なるほど、これが異質って事か。
希薄な感情。常人と乖離した思考回路――今少し話しただけで目の前の不思議女子が普通からはみ出した異質な存在なのだという印象を持ってしまう。
「ねぇ黒屋。私はどう思ってると思う?」
純粋無垢か、あるいは複雑怪奇か――色の灯らない瞳が俺を見つめてくる。
だがしかし、俺には俺の考えがある、思考がある。俺もこいつと同じ異質と認められた人間だが、俺はこいつと同じようにはできちゃいない。
「おまえは……行きたくないんじゃないか? 始業式なんか」
「そうなの?」
「そう、そうだ。おまえは行きたくないんだよ、学校の行事なんて。むしろ授業にさえ出たくないって思ってるだろ? けれどもう三年。卒業まであと一年だ。あと一年教師連中の言う事に従って我慢していればこの檻から抜け出せる。おまえはそう考えているんだ」
さっきまで自分が考えていた内容を全部言葉にしただけだ。この不思議女子の頭の中の仕組みなんて全くわからない。だったら自分の考えを相手に押し付けておけばいい。
「そう、かもしれない」
お、意外と話の分かる奴じゃねーか。
「ああ。だからおまえは始業式にも体育祭にも文化祭にも卒業式にだって出なくちゃいけない。俺にはおまえがどんな奴かなんて全く知らないが、そうやって普通に紛れて待ち続けるしかねーんだよ。卒業さえできりゃ、んな余計な悩みを生み出すこんなクソったれな場所から抜け出せるんだからな」
不思議女子の見つめてくる瞳が、微かに動きを見せた。
「そっか、じゃあ……行きたくないけど、行こうかな。このクソったれな場所から抜け出すために」
だが、表情は全く変えず、声音も平坦なままで、不思議女子の感情に色を見つける事はできなかった。
「おう。早く行かないと遅れて目立っちまうぞ」
そう言いながら俺は席を立った。いや、冗談抜きでもう始まるんじゃねーか? まあ始まっててもコソコソ後ろの列に並んどきゃ大して目立ちもしねぇけど。
「うん。じゃあ、行こう黒屋」
俺と不思議女子は揃って教室を出た。なんだか一緒に体育館に行くような運びになってしまったが、多分時間もないし仕方がない。
「ちょっと走るぞ。あー……」
駆け足で走り出した俺のすぐ横を不思議女子も走っている。
「白崎」
人気のない廊下に上履きが床を叩く音が木霊する中で、不思議女子は自分の名を告げた。
「白崎涼。それが私の名前」
白崎涼か……赤石はともかく、一番最初にクラスの名前を覚えたのがこんな奴になるとはな。
「じゃあ――白崎。早く行くぞ」
「おう、黒屋」
「それは俺の真似か? やるならもっと感情を込めてやりやがれ」
こいつに話しかけてよかったのか? なんか嫌な予感がしてくるぜ。
正直今までの人生の中では初めて出会った人種だ。こんな奴がゴロゴロしてたら世界なんて回らないのだろうが、どんなに少数派でも肩身を狭くして生きているのは事実なのだ。
白崎涼——俺の人生に何も影響してこなけりゃいいんだが。
誰もいないせいで幅広く感じる階段を二段飛ばしで駆け下り、二人だけの足音が反響する廊下を走り抜け校舎を飛び出し、校庭の見える風通しのいい渡り廊下へと出る。体育館まではもう少しだった。