己を支配する感情との出会い―6
「黒屋? それに……なぜ白崎が?」
俺と白崎を視認して、赤石にしては珍しく切れ長の目を大きく見開いた。
「まあ、こいつは置物程度に思ってていい。勝手についてきただけだ」
冗談抜きで置物のように突っ立っているだけの白崎を後ろに下がらせ、俺は赤石の前へと歩いて近づいた。
「不良が何者かに襲撃されてるって噂を聞いた時点で、お前の顔が一番最初に浮かんだ」
赤石は生徒会長であった頃に暴力事件を起こした前科があり、その事件に関わっていたとある不良グループを一人残らず殴り倒し、撃退した。
「あの時見たお前の怒りを、俺は忘れらんねぇよ」
「そうか、俺は忘れた。……と言っても、激昂し過ぎて何も覚えちゃいないがな」
怒りに任せた拳、痛みを恐れない闘志。あの時の赤石は鬼人そのものだった。
なぜそんなに喧嘩が強いのかなんて俺にはどうでもよかった。元々野球部でレギュラーを張っていて運動神経もよかった男だ。優れた運動神経を喧嘩に応用すれば、その辺のゴロツキなど相手にはならないだろう。
むしろあの時の強さの原動力と言えたのは、赤石が見せた怒りだった。
「そうか。だが俺には今でもわからない。お前はあいつら……不良の何にキレてたんだよ?」
「何に? 存在そのものさ」
赤石は二メートル程の高さのある塀まで歩いていき壁に背中を預けた。弱まりつつある夕陽の光を完全に遮っていたその場所は完全に闇となり、赤石が段々とその闇に溶け込んでいくかのように俺には見えた。
「半年前くらいか。俺は二年の生徒会選挙で生徒会長に選ばれた。優等生の風貌を着飾り、先生方や真面目な生徒たちに愛想よく接していれば、自分の学内での評価がうなぎ上りになっていく——俺にとって生徒の頂点はそんな単純な居場所だったよ」
些細な思い出でしかないと、赤石は単調な声音で語り始めた。
「でも決して生徒会長としての役割を疎かにしていた訳じゃない。委員会の統括、部活動の管理。活動方針に沿っての取り組み。どれも精力的にこなしていった。ただ——」
赤石は言葉を区切る。一つ溜息を吐き目を閉じた。
「どうしようもない風紀の乱れだけが俺をイラつかせた。うちの学校は大半が真面目な生徒で学力も優秀だが、少なからずそのレベルから漏れる生徒が現れる。そういった奴らが腐れ始め、不良生徒として校内に蔓延っていたのは大抵の人間が知っている事実だ」
「そうだったのか? 俺は知らなかったぜ」
「お前は……入学当初から俺を困らせていたな」
すっとぼけた俺に赤石の声は凄みを帯びた。
「どんなに注意を呼び掛けても反発してくる不良共にどれだけ手を焼かされた事か。特に俺が苛立ったのは反発もしてこず、俺をいないものとして扱う心根まで乾ききった奴らだ」
「そんな干物みてぇな奴がいんのかよ」
「……お前みたいな奴なんだよ」
本格的に赤石の声が重みを増している。そろそろボケんのもやめとくか。
実際に俺も赤石生徒会長サマから直々に注意を受けた経験が何度もあった。喧嘩で問題を起こしたり授業をサボったりする度に小言を言われたもんだ。
「なぜそんなに反社会的行動を取るのか俺には理解できなかった。世間に反抗したって、格好つけたって自分の人間としての価値が上がるわけもない、むしろ下がっていく一方だと言うのに」
拳を震わせていた赤石は自分のその手に気付き、脱力するように息を吐いた。
「そして苛立ちが募っていく中、あの事件を起こしてしまった」
「赤石生徒会長不良撲殺事件」
「撲殺してないが、これからお前を撲殺してやろうか」
「冗談だろーが。ったく、通じねぇ野郎だな」
こいつも白崎みたくあまり笑わねぇから本気で言ってそうで怖すぎる。
「……だが、違っているのは殺してないくらいか。ある日、気弱そうな女子の風紀委員長から校内で煙草の吸い殻が発見されたと報告があって、昼休みに俺はその現場に同行した。部員が集まらずほとんど廃部状態となっていたソフトボール部の部室が不良共の溜まり場になっていたんだ」
「ソフト部か。俺らが一年の頃から悪い噂しか聞かなかったからな。弱小の癖に抗議とかヤジだけは県内一位だって馬鹿にされてたしよ」
「ああ。顧問の先生もさじを投げ、ほとんど部活動として機能していなかった。それから腐った部員たちがあそこに溜まり始めた。俺と風紀委員長が現場に行った時、扉を開けたら鼻が捩れるような煙草の煙が充満していたよ」
「そりゃあ、タイミングがいいのか悪いのかわかんねぇな」
「とりあえず風紀委員長には教師を呼びに行かせ、俺は中にいた五人と対峙した。教師が来るまで扉の前に立ち、そいつらをその場から出さないように」
「それで襲い掛かってきた不良共と揉み合って、結果的にお前が殴り倒してしまったと」
「いや、最初不良の一人に小突かれて、俺は何もしなかったさ。黙って扉の前に立っていればその内先生が来てくれるだろうと思ってじっと立っていた。だがあいつらの暴力が段々と激しくなってきて、俺はうずくまりながら理不尽な痛みに耐えていた」
赤石の眉間に皺が寄る。俺は赤石の話を聞き続けた。
「膝を折り畳んで亀のように痛みに耐えていた俺は考えた。……どうしてこんなにいたぶられなければならない。間違っているのはお前らの方なんだ。それなのになぜ俺はこんな痛みを堪えなきゃいけないのか、ってな」
「…………」
「考えが頭の中で渦巻いて、俺の本能が叫んだ。——もう我慢の限界だと」
当時を思い出しているのか、言葉の端々に棘が見え始めていた。
「その時視界が真っ赤に染まった気がした。鮮やかな赤色で、目の前が何も見えないんだ。自分の身体が勝手に動いているかのような、そんな感覚だった。身体中に感じる痛みが消えて、握りしめた拳は何かに勢いよくぶつかっていって、振り上げた脚は何かを蹴りあげて——俺は本能の赴くままに、不良共を殴り、蹴り倒した」
「悲惨だったな。五人の内二人は本気で気を失ってた」
「理性を取り戻した時、俺を抑え込んでいたのはお前だったな、黒屋。その後すぐ風紀委員長が多くの教師を連れて駆けつけてきた。俺はお前を含め、驚愕の目で自分を見てくる教師たちに恐れ慄いたよ。どうして俺をそんな目で見るんだっ……てな」
その日の昼休み、暇で散歩していた俺はグラウンドの隣にある部室棟の前を通りがかった。昼休みの部室棟は人気がなく静かで、そういう落ち着ける場所をぼーっとしながら歩くのが好きだったのだが、その日はやけに怒声や物音が部室棟の一角から聞こえてきた。
ソフト部の部室に入った時、赤石は気を失った男に追い打ちをかけようとしていた。あのまま俺が止めていなければどうなっていたのか、想像するとゾッとしない。
「後は知っての通りだ。俺は停学処分で自宅謹慎。謹慎が明けてからはあの特進……いや、欠陥クラスの一員になったわけだが……」
そこまで言って赤石は塀から離れ、ゆらゆらと身体を揺らしながら闇の中から俺の方へと歩いてきた。明らかに様子のおかしい赤石を見て、俺は哀れだと、そう思った。
なあ赤石。お前はもう、あの頃の自分を見失っちまってんだな。
辟易する学校生活で腐っていた俺に「真面目に授業を受けろ」だの「他人を傷つけるな」だの宣っていたかつての赤石はもういない。
それに代わり——異端の人間が、ここにいる。
赤石はそのまま俺の両肩をガッシリと掴み俺を睨みつけてきた。近くで見る眼鏡の奥の双眸は血走っていて、今にも殴り掛かってきそうである。
「今でも治まらないんだよ! 怒りが! あんな奴らがうじゃうじゃと蔓延っているんなら全員ぶっ倒してやりたいくらいにだ。なぁ黒屋。俺はこの怒りをどう沈めればいいんだ?」
握り絞められる両肩に痛みを感じ始めた時、前のめりで迫る赤石の胸を右手で突き放した。
「——っ!」
「わかった。じゃあ俺が受け止めてやるよ。お前の怒りを」
上着のブレザーと学生鞄を完全に置物と化している白崎に預け、(そういやいたんだった)突き放されて唖然としている赤石を睨んだ。
「来いよ赤石。俺だって不良共と何も変わらない。いくらでも俺を殴ればいい。でもな——」
異端者に見えて哀れだとは思う、でもそれだけだ。自分の中に堆積した怒りの感情を発散しきれていないだけ。
赤石は自分で制御しきれない怒りに、出会ってしまっただけなんだから。
「今後一切、人を殴らないと俺に誓え」
驚いていた赤石は一転して口元に笑みを浮かべ、俺と同じようにブレザーを脱ぎ捨てた。未だ肌寒い風が暗い夜道を通り抜ける中、腕を捲り臨戦態勢を整える。
「悪いな黒屋。遠慮なくいかせてもらう」
俺が突き放した間合いを、赤石は走って詰めてきた。
「お前みたいな奴が、心底気に食わないからなぁっ!」
とうに日は落ちて、暗闇の中をはっきりとした輪郭を持って怒りが迫ってくる。悲鳴に似た赤石の怒声が廃ビルの壁に反響して、雲一つない夜空の彼方へと消えて行った。




