血縁は全否定・後編
ミュリナとスノウは激しい立ち回りを続けていた。
オユンが宿泊所に選んだのは高級宿だ。室内にしては広いスペースを存分に使って二人は戦っていた。
「まったく、めんどくさい上に凶暴な娘だな。室内で暴れるな。宿の主人に申し訳ないと思わないのか?」
「ご心配なく。損害は全部誘拐犯にもってもらうから、犯罪に加担した自分の身の上を恨みなさい」
ミュリナはスノウの間合いには切り込まない。なにせ相手は『聖騎士』とまで呼ばれた騎士だ。近距離戦では分が悪いと承知している。
円運動を基本に距離をとって遠距離魔術の打ち合いは、ほぼ互角だ。互いの攻撃を相殺しあい、周囲への被害を出さない高度な闘いが展開されていた。
その傍らで、レンはオユンと戦っていた。
レンの振り下ろしを、オユンは鉄扇で受け止める。その重さに彼女は顔をしかめた。
「ぐっ、この小童が……!」
苦し気に顔を歪めつつも、剣を弾く。戦いは始まってから終始、レンが優勢だ。
その様子を見てミュリナは激を飛ばす。
「レン! さっさとその女をとっ捕まえなさい! 雑魚よ、そいつ。逆に人質にしてやりなさい!」
「おう!」
ミュリナが叱咤に答えて、レンは剣を振るう。
忌々しいと顔を歪めながらも、オユンはなんとかしのぐので精一杯だ。そもそも剣と鉄扇では間合いが違う。早打ちできる小規模な魔術で抵抗しても、魔を滅する浄化の光で散らされる。大きな魔術は使わせる暇を与えずにレンが攻め立てている。
スノウは、予想通りの展開だなと驚きもしなかった。
オユンは、そもそも戦う術を専門にしているわけではないのだ。せいぜい護身術をかじっている程度。文官としてみれば、なるほどかなり強い部類に入る。だが武官と比べれば下から数えたほうが早いし、仮にも戦いを職としているレンに及ぶものではなかった。
レンは、弱くない。強くなっているのだ。
真の主を見つけたいまとなっては、オユンを守る義理もない。隊員のちょうどよい練習相手だと、ミュリナとの戦闘を長引かせてレンの闘いぶりを見守っているのだ。
スノウが見ている間に、レンが制圧に切り替える。正しい判断だ。オユンもだいぶ体力を削られている。
だが、そこまで簡単に勝負がつくほど甘くはなかった。
「低位の分際が、調子に乗るでないぞ……!」
鉄扇がばらけた。
扇の形が崩れ、四方に突き刺さる。杭となったそれを起点に、結界が形成された。
レンが切りかかるが、弾かれる。かなりの硬度だ。レンは、すぐさま浄化の光を発動させて刀身に纏わせるも、さすがに術具を使っているからか、あっさり切り裂くとまではいかない。
だが、徐々に刃は食い込んでいる。このまま押し切れるとレンが判断した時だった。
結界を切り裂くより早く、オユンが袖から何かを取り出した。イチキのように空間を作っているというわけではなく、ただそこにしまってあったのだ。
人をかたどった土偶を握りしめ、結界の中に籠城したオユンが祝詞をあげる。
「かしこみかしこみ申し上げる。祖のそのままの祖霊に申す。先祖祭りの霊威高まり、重ねて重ねてお願い申す。感謝と慰霊を重ねて捧げ、命と絆の紡ぎを願う」
何かの魔術なのは確実だ。発動させる前に倒してやると、レンが結界に力をこめる。浄化の光が魔術を食い破り、結界を突破した。刀身の腹で殴って気絶させようと剣を振るった。
相手は護身具の鉄扇も手放している。勝った、と思った時だった。
オユンが、素手でレンの剣を打ち払った。
「ぉわぁっ!?」
打ち払われた衝撃に、たたらを踏む。先ほどまでとはまるで違う腕力だ。あまりの違いに変な声を上げてしまう。
それを見て、戦っていたミュリナとスノウは、ぽかんと呆ける。
レンは知らずとも、戦闘知識が豊富な二人はわかっていた。
祝詞により発動する力は多くの場合、魔術ではなく神秘術だ。
まさかオユンがそのような切り札を切るとは、この二人でも予想していなかったのだ。思わず二人して戦闘の手を止めて、オユンを凝視してしまうほどに驚いていた。
彼女たちの視線を、どう勘違いしたのか。オユンは傲然と肩をそびやかす。
「ははっ、どうだ! これこそ我らが祖霊を降ろす秘術! 祖霊が功績をもって神通力を得る神業よ! ここまで追い詰められるとは思わなかったが、これにはひとたまりもあるまい!」
切り札を切ったオユンが、打って変わって攻めてくる。
神秘術により祖霊の力を宿したいまのオユンは、力もスピードもさっきまでとは段違いだ。レンでは一撃でもまともに食らえばたまらず昏倒するだろう。単純な身体能力だけなら、近接魔術で強化したミュリナよりも高いかもしれない。
力関係は完全に逆転した。素手のオユンの攻撃をさばくだけで精いっぱいのレンに向け、呪符が投げつけられた。
「身のほどをわきまえなかったこと、後悔せよ」
炎龍が、顕現した。
呪符が燃え上がり、龍をかたどる炎熱となってレンに襲い掛かる。熱波が頬を焼く熱さに、火力を知る。レンが使う浄化の光で対抗できる魔術ではない。とっさによけようとして、気が付いた。
後ろには、ミュリナがいる。
「ッ」
避けられない。避ければ、ミュリナを巻き込む。自分がどうすればいいのか。とっさに思い浮かんだのは、壁だった。
壁を。
レンは、祈りを捧げる。
一枚の、壁が欲しい。両手がふさがっていようとも、自分の後ろにいる誰かを守ってくれる壁が。堅固にそびえる守りの光が。害意を隔する光の壁が、欲しい。
いや、違う。
自分が、大切な人を守る壁になるのだ。
願った想いを、祈り、捧げる。
レンに、炎龍が直撃した。片付いたか、と溜飲を下げたオユンは目を見張った。
光り輝く壁が、そびえていた。
「な、にぃ?」
炎は、届いていなかった。レンの前に、光の壁が展開されていたのだ。
信仰の壁。
隔世を体現する強固な壁に、オユンの攻撃は阻まれていた。
「レン……」
「ふふっ、素直だな、本当に」
ミュリナが驚き、スノウは楽し気に笑った。
ぶっつけ本番で成功した秘蹟に、レンは安堵の息を吐く。そして、改めてオユンに剣を向けた。
なるほど、確かに力の総量はすごいかもしれない。だが技量がまったく伴っていない。予備動作が丸出しだ。レンでも次の動きがはっきりわかる。
だからこそ、レンはふてぶてしくにやりと笑って挑発する。
「お前、大したことないな」
「き、さまぁッ……!」
さあっと屈辱で青ざめる。逆上したオユンが飛びかかってくるが、動きはますます単調になっていた。当たらない攻撃にオユンの苛立ちが増し、とうとうしびれを切らした。
「スノウっ!」
「ん? なんだ?」
「遊ぶのを止めて、こいつらを殺せっ。もういらん!」
「遠慮しておく」
簡潔な拒否だった。
オユンの言葉に従うそぶりを見せない。それどころ、視線すら合わせなかった。
「お前はもう、おしまいだからな」
スノウは浄罪の剣を消し、一歩下がって距離をとる。そして降参、とでもいうように両手を上げた。
その態度にオユンは戸惑いを隠せない。
「スノウ……? お前、何を言って――」
スノウの真意を聞き出そうとした時だった。
「不心得者が」
無情の声が、響いた。
オユンの表情が凍り付いた。ミュリナが、ひゅっと短く息を吸った。レンはぎくりと身をこわばらせた。スノウだけが、やっぱり来たかと肩をすくめた。
さっきまでそこに、人の気配は一切なかった。その人物は突如として出現したのだ。
オユンは、おそるおそる振り返る。
実際に目の当たりにしても、視界に映った人物に人の気配というものはない。だが確かに、この室内に一人、人が増えていた。
一歩、寸前までそこにいなかった女が足を踏み出した。
「我らが神の下にあって、死生観を捻じ曲げる邪法を用いようとは不信心の極み。不愉快、この上ない」
湧き出るように現れたのは、小柄な人物だった。
まったくの飾り気のない修道服に、背中には聖書を山積みにした大荷物を背負っている。作り物のように整った顔には、表情というものがない。
だというのに、彼女の周囲の空気がきしむほどの怒りを、なぜか感じることができた。
「いささか小うるさく響いてはいたが、ここまでの増長を許すとは、我が身の不明を恥じるばかりだ」
オユンも彼女の情報は手に入れていた。知らないはずがなかった。この国に入るにあたって、最も警戒すべき人間の内の一人だ。
この都市には一人、『仙人』――この国の言い方を借りるのならば『聖人』がいる。
奇跡を賜った修道女が、ぴたりとオユンに視線を定める。
「悔い改めろ、異教徒よ」
神にささげた洗礼名と生まれ持った名を合わせることが許された彼女の名を、『聖女』イーズ・アンといった。






