血縁は全否定・前編
「改めて、こんにちは。あなたの妹のリンリーだよ」
「用件をいいなさい。聞くだけ、聞いてあげましょう」
親しげとも言えるリンリーの態度にイチキは淡白なものだった。その表情は、普段ならば可愛げにあふれている彼女とも思えないような無機質さに覆われている。
だがそんな違いをリンリーは知らない。
「簡単だよ。この国の偉い人をオユン大姉に紹介して?」
「お断りいたします」
はっきりとした返答だった。
思わぬほど早い答えに、リンリーはきょとんとした。
「協力してくれないの? 国の一大事だって、オユン大姉は言ってたよ。イチキ小姉だって一族の一員じゃん。力を貸すのは、当たり前じゃないの? こういう時のために、この国にきたんでしょ」
「わたしくはあの方に裏切られました」
リンリーの言葉にイチキは心動かされた様子もない。ただ体験した事実のみを答えに、自分の意図を伝える。
「幼少に受けた傷は、一族に従うことで癒されるものではございません。わたくしは、あなたがたが血縁だからこそ反発します。二度と土を踏むことがないでしょう故郷がどうなろうと、知ったことではありません」
「そーう?」
決別の言葉を聞いたというのに、リンリーは楽しげだった。
「裏切られったっていうなら、オユン大姉に仕返しでもすればいいのにね。なんでこっちに来たの?」
「オユン様のほうは、少々厄介なものが身に潜んでおりますので。あれを払うのには、相応の準備が必要なのです。先にあなたを処理しに来ただけでございますよ」
「んん? なんの話?」
「知らぬフリをするつもりですか?」
イチキは不機嫌そうに目を細める。
「それに協力を要請するにしても――あなた方、仙人の発生を隠しておりましたね?」
「ありゃ、よく知ってるね。でもそれがどーしたの?」
「どうしたもこうしたもございません。仙人発生の報が大々的に報じられてはいないとなると、中央官僚のどこかで情報を止めているのでございましょう? オユン様お一人の問題とも思えませんが、愚かなことをされていますね」
仙人、聖人の発生は一大事だ。個人的に強力な力を有するのはもちろん、彼らの存在が注視されるものであるのは、彼らが現れる時期が歴史的に大きな意味を持つからだ。
「仙人、聖人は一国の興亡とともに現れるものでございます」
イーズ・アンがそうであるように、彼らは一国の終わりと始まりに発生する。その意味の大きさゆえに、彼らの存在は人類史に刻まれるのだ。
「国の滅びの前兆を見ておきながら、発見したこと自体が責任問題になると情報を遮断して隠し立てをした時点で、程度が知れるというもの。協力する価値などございません」
「オユン大姉は問題ないって言ってたよ。実際、鎮圧軍で抑え込めてるみたいだしね。大したことないんでしょ、仙人って言っても」
「……知らないとは幸せなことでございますね」
憐憫の声は、届かない。イチキからすれば、リンリーの無邪気さは、知らないということの罪そのままだ。
「オユン様と違ってあなたの身の内に潜むものがなかったのは、まさか知らなかっただけ、でございますか。自らで祓いを済ませていたと思っていたのですが……つくづく、愚かでございます」
「ねー、さっきもそうだけど、なんの話?」
「非才無知ゆえに累が及ばぬこともある、と、あなたの運の良さを褒めているのでございますよ」
「へー?」
小馬鹿にされたリンリーは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「人質、とってるんだよ? それ、わかってる?」
「あなたをねじ伏せた後に救出いたします。……もっとも、わたくしが出張る必要すらないかも知れませんが」
「そっかぁ! じゃあ力づくだね」
交渉は決裂で終わった。あとは力比べが物事の結果を出す段階だ。
むしろわかりやすくていいと口端を吊り上げたリンリーは、なにかを迎え入れるように両手を広げる。
「さあさあ、さあさあっ、おいでませ! おいでになられて参られて、あたしの力になりませい!」
祝詞を唱えると同時に、リンリーの体に獣の特性が現れる。頭からぴょんと耳が生え、お尻からぞろりと尻尾が現れた。人外の霊性付与による肉体強化。肉体的に人間より優れた性質を身に着けるための術だ。
リンリーが傾倒した魔術は、狐伝承由来の魔術だ。
地方伝承から発祥した術だが、マイナーであるからこそ対処が難しい。狐の力を上乗せする肉体強化と同時に、リンリーはイチキを縛り付ける管狐を召還。金縛りでの拘束を狙う。
勝負は、一瞬でついた。
「へ?」
リンリーが、ポカンと呆ける。
体を強化させると同時に、イチキを金縛りでとらえるために向かった管狐は、一匹残らず消え失せていた。
それどころか、先ほどまで確かにいたはずのイチキの姿も見えない。瞬きする間にリンリーの視界から消え失せたのだ。
どこに、と頭から生えた狐耳を動かそうとしたときだった。
「管狐。狐憑き。狐狗狸」
真後ろから耳元で、ささやかれた。
「狐を霊的媒体の呪として扱うのは、最東部に伝わる呪術でございますね。賢さの象徴ともなる狐の霊的概念は、呪具託宣としてもよい使役霊獣になりえますが、野生の狐というものは害獣として人の手を焼かせ続ける厄でもあります。そうして形成された伝承由来の領域は、取り扱うにはコストとリスクがメリットを上回りますゆえに、決して一般的になる術ではございません」
あまりにも容易にリンリーの後ろをとったイチキの手には、七つの石が握られている。
「伝承概念の狐の調伏にはいくつか手段がございます。そのうちの一つが、七か所の墓石を集め、石に閉じ込める手法。『これに近づけば鳥獣が死せる石』、殺生石の製法でもあります。あまり手に入るものでもないので、ありがたいことでございますね」
こつん、と手の中で鳴らした殺生石を袖にしまい、くすりと笑う。
「これを軒先に吊るすと、ちょうどよい虫よけになるのですよ」
虫よけ。
言われたリンリーが怯えた。リンリーの術など、虫よけ程度の価値しかないと言われたようなものだ。背後を取られて、彼女はすでに死に体といってよかった。
「さて、予想以上に程度が低い術でござましたが……次は、どのようなものが?」
それ以上は、なにもなかった。
リンリーの手札は切り札まで切ってある。それをたやすく完封された。管狐が封じられた時点で、もはやできることはなかった。身動きを採ることすらできずに怯えるリンリーに、イチキは首を傾げる。
「あなた、もしかして……わたくしがどうやって背後を取ったのかすら、わかっておりませんか?」
怪訝そうにしたイチキは、袖に手を入れる。取り出されたものを間近で見て、リンリーは「ひっ」と息を飲む。
雷に打たれた棗の木でできた地盤と、楓の瘤を削って作った天盤。ここまで限られた材料で作られたものなど、世界広しとはいえたった一つしかない。
「り、六壬栻盤……?」
リンリーの声が震える。
イチキが袖から出したものがなんなのか、彼女は正しく知っていた。
空間を支配して距離を作るための祭具。東方学術体系の集大成にして、秘術の一画を陣取る逸品だ。
「この程度も見抜けないで天才を自称しようなど……滑稽を通り越して哀れでございます」
リンリーのプライドは木っ端みじんに砕け去った。秘術を当然のように扱い『この程度』と言ってのけるイチキに震えが止まらない。
「あ、ありえない……だって、距離の掌握は、世界観測が人間の精度だと把握しきれる領分じゃないって……」
「だからこその奇門遁甲、だからこその六壬式でございましょうに……。確かに世界観測が基礎学術の一段階上の位にある高等学術ではございますが、正真正銘、人が見出した人のための学問でございます。すでにあるものを取り扱うのが魔術でございますが、それを前提として新たな真理を切り開くことこそが、我ら学徒の役割」
自分の理解の及ばない領分を神秘と押しのけようとする彼女に、煩わしそうな色を浮かべる。
無知と神秘は異なるものだ。自らの不明を認めない愚かさが、学術にまい進するイチキには煩わしい。
「そしてさらに別格たるが仙人、聖人。彼らは龍の一種――すなわち、時代の潮流をその身に受け、激動世代の象徴として『発生』する類のものです。神権授与者の『皇帝』や『天帝』などとは異なる超越者でございます。奇跡に近しい彼らは、決して学術より生まれません。それを大した問題ではないなどと口に出せるとは……一度彼らがどのようなものか、目にする必要がございますね」
自分の理解できないものをすべて理解できないものとしか扱えない幼女に、憐みの視線を向ける。
「な、なんで……? オユン大姉は、イチキ小姉は大したことないって……あたしは、天才だって……オユン大姉も、一族のみんなも……なのに、なんで! い、意味わかんない! なんなの!? なにしたの!?」
「その件についてはオユン様の、そして何より幼き日のわたくしの不備でございますね。血縁の情があった時は、一族の者に嫌われることがないようにと万全の気を遣っていたつもりでした」
幼き日のイチキは、オユンを基準として自分を引き下げていたのだ。イチキは、精いっぱい自分を低く見せていた。年長の姉に対して失礼がないようにと、分際をわきまえていたつもりだった。
だからこそ、真摯に謝罪する。
「まさかまさか、あの程度で畏れられるとは夢にも思いませんで」
精一杯引き下げて、従順にふるまって、ちょっとだけ自分の特性を示して、それでも遠ざけたいと恐れられたのがイチキだ。
才能を隠すことなく、自由気ままにふるまって、それでも利用できると判断されたリンリーとは、そもそもが違う。
自分のアイデンティティに縋りつくリンリーに向けられたのは、侮蔑を越えた落胆の瞳だ。
「神秘とはすなわち人類未解明のすべてを示しますが、それでも『奇跡』と『迷信』とで格付けがなされます。すでに卜宣は奇跡より転落し迷信にのみ支えられる『まじない』へと位を転落させました。悪魔の証明がしょせん『悪魔』と呼ばれる詭弁にすぎないように、未知にも純然たる格があり『階位』の分類の範疇です」
魔術師の戦いにおいて、自分の知識を知られており、相手の知識を知らないというのは致命的だ。だからこそリンリーが扱ったようなマイナーな学術を学ぶことに意味がある。
だが、広く深く知る者には決して敵わない。
「神秘を知らぬものほど神秘に夢をみる典型でございますね。あなた程度の実力でなにを勘違いしたのか……ああ、あなた様は六感があるのですね」
「な、なんでわかるの……?」
「わたくしもございますので」
あっさりと明かされたことに、リンリーは驚愕した。その反応をイチキはむしろ訝しむ。
「まさか、自分が唯一特別だとでも思っていたのでございますか? わたくしたちが感じているそれは、つまるところ概念領域の感知でございます。それが普通の人より鋭敏に感じられる。第六感というものは、それだけのものでしかないのですよ?」
リンリーが持っているのは、いわゆる霊感に近い。イチキは、それに加えて時間軸と空間把握能力の二つに関わる超感覚を有しているが、わざわざそれを明かしたりはしない。
「もちろん世界観測をより高い次元で感じられるというのは便利ですし、得難い才ではございます……あなた様の頭はそれを処理できていませんね。『なんとなく、わかる』。その程度のものでございませんか?」
びくりと震える。
その通りだった。リンリーが行使していた託占術は、自身の曖昧な感覚を言語化するためのものなのだ。
「オユン様はわたくしの才能を知って、怯え、放逐いたしました。それがどうして今更ノコノコ現れたのかと思いきや、なるほど」
リンリーの程度を知って、ため息。
「あなたを見て『この程度だったのか』と過去の記憶を都合よく改ざんしてしまったのでございましょう。哀れなことです」
リンリーとイチキは、確かに似たような才能を持っている。過去に恐れていたイチキと似たリンリーを見て、オユンは自分の若い頃の危惧を思い過ごしだったと判断したのだろう。
だからこそ、再び利用しようと顔を出した。
不愉快、この上なかった。
「あなたさまが神秘を扱うには、あまりにも研鑽が足りませぬ。偉大な先人が積み重ねた基礎をおろそかに、魔術を扱えるなど思い違いも甚だしい」
イチキの口調は出来の悪い子供を叱るようなものだった。
しかも、親愛の情など一片もない。
「さて、あなたの処断はどういたしましょうか」
リンリーの力量は、イチキが予測していたよりはるかに程度が低い。これっぽっちも脅威を感じ得ないレベルであり、まさしく殺すまでもないと判断してしまうほどだ。
絶対的な差を思い知って、自分の命運が目の前の人物に握られたと知ったリンリーは、抵抗の気力を完全に失っていた。
「い、イチキ……お、おねー、ちゃん」
上目遣いにイチキを見上げる。
震えながらも涙をにじませ、媚びるような目を向ける。
「ち、ちのつながった、いもーとに、そ、そんなひどいこと、しない、よね。えへ、えへへ。あたし、しってるよ? 一族の血は、ぜった――」
「お黙りなさい」
媚びた笑いを、冷たい声が遮った。びくりとリンリーに生えた狐の尻尾は震えた。
「わたくしの家族は、一人の兄と、一人の姉だけでございます」
肉親の情などというものは、一片も通っていない声だった。
リンリーの顔が凍り付く。顔色は蒼白だ。カチカチと、歯が合わらずに硬質な音が鳴る。
だが、なんとか助かろうと一縷の望みにしがみつく。
「そ、そう、だよね。オユン大姉は、イチキおねーちゃんの姉であるだもんね! ね!」
リンリーがそう言ってしまったのは、彼女がイチキとオユンとの間になにがあったか知らなかったからこそだ。
イチキの瞳から、温度と光が消えた。
「そうでございますね。そうであったことも、あったかもしれません」
無機質に呟きながら、イチキが手を伸ばす。
リンリーは決定的に何かを間違ったことを、悟った。
「何を勘違いしているか知りませんが、血縁にあって決して裏切らないという掟というのは、翻れば裏切ったものを決して許されないという意味であり、わたくしが知恵の一族を末代まで決して許さないことと同義でございます」
とん、と額に指を突きつける。イチキの指は額で止まらず、ぬぷりと音を立ててリンリーの脳に侵入した。
「あ、ええふぇな、な、なにこれぇ……?」
痛みはない。だからこそ、指で頭を探られている感触に、リンリーは笑いながら涙をこぼしていた。
指だけで止まらず、イチキの掌はすでに半分以上がリンリーの頭に侵入していた。
「なるほど、やはりあなたの六感は中途半端がすぎます。少し、霊域を広げて差し上げましょう」
イチキの手が、完全にリンリーの頭に入った。知覚に触れた指を、広げる。
「うぁ」
痛みが、走った。
身を引き裂くよりもつらい、感覚の強制変更。いままでリンリーが体験したことのないような、壮絶な痛みだ。
「あ、ぁああ、あああああ!」
「あれらを感じ、無知の分際を知れば、少しは己が矮小さを知れるでしょう」
リンリーの悲鳴を露と聞き流し、イチキは静かにつぶやきながら視線を遠方へと向ける。
警戒の色を宿した瞳は、レンたちがいまいる方向を正確に捉えていた。
「それほどに、かの者たちは隔絶しているのでございます」






