誘拐は全否定・後編
「近接戦を磨くのはいいが、よほどの才能がなければそれだけでは高みに至るのは厳しいものがある。やはり距離を埋める牽制が使えるのとそうでないのは雲泥の差だ」
とある宿屋の一室。
スノウ・アルトは、腕を組んでひとりの少年に講釈を垂れていた。
「いいか、少年。間合いとは、己が相手に干渉できる範囲のことをいう。魔物相手ならば浄化の光は確かに有用だ。しかし、あれは対人戦だと目くらましにしかならん。だからこそ、物理的に距離を超えて相手に届く攻撃手段が必要となる。魔物だけが敵だというほど、世の中は平和ではないんだ」
「は、はい」
誘拐犯がなに言ってんの、というツッコミは残念ながら出なかった。
女性にしては長身で、出るところは出て引き締まったところは引き締まっている体つき。木彫りの面をとったスノウの素顔は、凛々しく整っている。『聖騎士』と呼ばれることになった彼女の風聞の良さは、見た目の良さ由来が九割であるといっても過言ではないことを少年はまだ知らないので、スノウの言葉に素直に頷く。
「よろしい。牽制手段を増やしたあとは、信仰の壁は使えるようになれ。あれは便利だ。浄罪の剣は使えなくてもいいが、信仰の壁は必須だな」
「信仰の壁を、ですか……」
「ああ。信仰の壁は顕現さえできれば、防御の面で絶対的に信頼できる。第一、盾を持たない前衛など脆くて危なっかしいにもほどがある。わかるな?」
「わかります。でも俺、そこまで信仰が固いってわけじゃないんです。神典は読み込んだんですけど、いまいち身に着けられる気がしなくて……」
「ふむ、難しく考えるな。信仰とは、そういう一面的なものではないぞ。信仰の壁は、多面の壁の一つを選べばいい。広くある必要もない。小さく、一枚あれば盾として十分だからな。秘蹟は解釈により形を変える。考えるより感じろというやつだな!」
「なるほど! それで、あの……」
「ん、どうした? なんでも聞くがいい」
なにか口ごもっている少年を、スノウは笑顔で促す。
その笑顔に、少年ことレンは聞けなかった質問をようやく投げかけた。
「いや、なんで俺、こんなことされてるんですか……?」
いうまでもないことだが、レンがいるのはスノウに誘拐された先である。麻袋に包まれて連れてこられたために具体的にどこかだかは判断できないが、どこかのホテルの一室であることだけはわかる。
誘拐先で誘拐犯から戦力アップになる講座を受けているのだ。レンからすれば意味不明としか言いようがない。
だが、不自然さを問われたスノウの態度は朗らかなものだった。
「なんだ、そんなことか。見込みのあるやつを育てるのは当然だろう? 未来の近衛の一員候補だからな!」
「近衛……? あの、どういうことですか?」
「お前は隊員にふさわしい気がするんだ。私の直感は、そうそう外れないからな。今度も折を見て鍛えてやろう!」
「そ、そうですか。それはありがたいような……そうでもないような……」
「心配するな、少年! 私のことはこれから教官と呼べ!」
「は、はい! 教官!」
「いいぞっ、剣をとれ! 素振りを見てやる! まずは基本からだっ」
「はい!」
自信満々な態度のスノウに押し切られて、レンは言われるがまま素振りを開始する。
なにせ相手が正真正銘『聖騎士』スノウ・アルトであると知ってしまったため、レンは誘拐されたというのに敵愾心を抱けずにいるのだ。相変わらず有名人には無条件で影響されてしまうあたり、どこまでいっても庶民的である。
そんな風にして室内で素振りを始めた二人を不審そうに見る女性がいた。
「スノウ。おぬし……暇なのか?」
「いま、こいつの訓練で忙しい」
スノウの答えは、素っ気ないものだった。
護衛の返答にオユンは、はてと首を傾げる。
正直、攫ってきた相手を武装解除も拘束もしないで教練をしている状況は、誘拐を命じたオユンからすると意味不明の一言である。
だが、いつもは無駄なことをしないスノウがやっていることである。何か意味があるのだろう、あるいは顔が知られたからこそ篭絡しているのかもしれないと一人で納得する。
しかし手持無沙汰であると、オユンはあくびをする。
「おぬしがいいのならば勝手にすればよいが……暇だのう。あとはリンリーのほうが愚妹をくだせば、それで終わりか」
「そうか? 気にするな。すぐ忙しくなる」
「なに?」
オユンが聞き返した瞬間だった。
外に通じる部屋の扉が、吹っ飛んだ。
スノウは自分に向かって飛んできた扉の残骸を、信仰の壁の盾で受け止める。衝撃で砕け散った扉の破片がとばっちりで素振り中のレンに直撃した。
「あだぁ!?」
「追いついたわよ、不審者!」
堂々真正面から現れたのは、ミュリナだった。
レンに残った金縛りの呪跡をたどり居場所を突き止めた彼女は、迷わず扉を蹴り壊して入り込んだのだ。凶暴さと紙一重の果敢さと、犯罪に半歩ほど踏み込んだ、まがうことなき器物損壊行為である。
犯罪者に対処するためには自らも多少の犯罪をおかす勇気のあるミュリナは、レンを見つけ顔を輝かせる。
「レン、無事だったのね!」
「う、うん。無事だけど……」
「良かったわ。でも頭、怪我してるじゃない。そいつらのせいね……! ぶっ殺してやるわ!」
男前な台詞を吐いたミュリナが、スノウとオユンを睨み付ける。レンの頭の怪我はミュリナが吹っ飛ばした扉の残骸がぶつかったのだが、気持ちは嬉しかったので指摘しないでおいた。
突然の出来事に目を丸くしていたオユンは、スノウへと視線を向ける。
「これは、どういうことだ? 面倒が舞い込んできたようだがのう」
「お前がご自慢のおガキ様のせいだ。雑な呪術を使っていたからな。あのめんどくさそうな女、かなりの腕前の魔術師だ。追跡もお手の物だろう」
「そうか。リンリーめ。あやつも、甘いところが多いのが欠点だのう」
優れた魔術師は、多彩な技を持つ。魔術に長じることは世界を知ることに等しく、何事にも対応できる能力を得るのだ。
いますぐにでも二人に襲いかかりかねない殺気を飛ばすミュリナを制止したのは、レンだった。
「待ってくれ、ミュリナ! 教官は悪い人じゃないんだ!」
「レン!? あんた、お兄ちゃんの時もそうだったらしいけど、有名人に会う度に感化されるのやめなさいよ! 誘拐した相手をかばうんじゃないわよ!」
「はっ! 言われてみれば!? 俺、誘拐されてたんだった!」
さっそく影響されていたレンを叱責、正気に叩き戻す。
「ったく。レンを誘拐されたのもムカつくけど、イチキに迷惑はかけたくないのよ。さっさと帰らせてもらうわよ」
「そうか。この際、人質がどうのはどうでもいいが……隊員を連れていかれるのは困るな。その少年の素直さは惜しい。彼は上官の命令を遵守する一兵卒になれる素質があるからな!」
「はんっ! 止めれるならやってみなさい。これでも私、勇者を殺すために鍛えに鍛えたのよ」
スノウの言い分を鼻で笑い飛ばしたミュリナは両手に短剣を携える。研ぎに研いだ刃を、スノウへと向けた。
「勇者の仲間ごときに、負けると思って?」
「ほうっ、言ってくれるじゃないか!」
狭い室内で、ミュリナとスノウの一騎打ちが始まる。それとほぼ同時、レンも動き出していた。自分が誘拐されていることを思い出したレンは、オユンを狙う。
スノウとの会話を察する、こちらが主犯である。彼女を取り押さえれば事が済むと、非武装と見て制圧しようと飛びかかった。
肩に、鈍い痛みが走った。
「っぃづ!」
「妾も、見くびられたものだのう」
非武装だと思っていたオユンが振るったのは、鉄でできた扇だった。
ただの扇だと思って油断していたレンに一撃をくれた彼女は、ミュリナと戦闘を始めたスノウを見てため息吐く。
「まったく、スノウの様子もおかしければ愚妹もろくに言うことを聞かぬ。リンリーも失態続きと、この国に来てから思い通りことが進まんが……ちょうどよい」
愚痴をつぶやくオユンが、剣を構えたレンを見て嗜虐的に口端を持ち上げた。
「この国で溜まった鬱憤、貴様を叩き壊して憂さ晴らしをするのもよかろう!」
***
イチキは、ゆっくりと道を歩いていた。
狐を模して届けられた手紙に残っていた痕跡をたどり、術者のもとへと向かっているのだ。
たどり着いたのは、移民街にある空き地だった。人よけの結界の気配を跳ねのけて足を踏み入れると、そこには十歳ほどの少女がいた。
柵に腰かけ、地面に届かない足をぶらぶらさせている。退屈そうにしていたリンリーが、イチキに気が付いた。
ぱっ、と表情を明るくした。
「あ、やーっと来た」
リンリーは、ぴょんと跳ねて着地する。イチキは、ただ無言で彼女を観察していた。
「お手紙見てくれた? ちゃんとこっちに来てくれて助かったよ」
一族から天才と呼ばれほめそやされている少女リンリーと、一族から追放されながら天才を自認している少女イチキ。
似ているようでまるで異なる姉妹が、二人きりで対面した。