少女たちの行く先は・中編
イチキは緊張していた。
手紙を差し出す手が、意思に反してぷるぷると震えている。体の制御が効かないなんて、久しく覚えていない感覚だ。
こっそり視線を上げると、イチキが姉とボルケーノから聞いた人、レンは困ったような顔をしていた。
「手紙……? なんで、俺に?」
「ぼ、ボルケーノさんから、レン様のお住まいをうかがいまして、そのっ、あの、それで……!」
「へえ、アニキさんに?」
「は、はい!」
頭に血が上って、自分の口がうまく回らない。
情けない、恥ずかしい、と思いつつも、こんなに緊張するのはいつぶりだろうかと思い返す。
生まれ故郷の書庫に案内された時は、感動が大きかった。初めて討ち入りに行った時は、ただただ怒りに満ちていた。
記憶を掘り返してみて、気が付いた。
たぶん、生まれて初めてだった。
「ていうことは、イチキちゃんはアニキさんの知り合いなの?」
「は、はい! そうでございます!」
「なるほど。全然そんな感じには見えないけど……」
どんな感じに、見られているのだろうか。
基本的に、イチキは誰かと会う前にはその人間の人となりを調べつくす。経歴を洗って家族構成を探り、なにをどう対応すればいいのか、完全に把握する。
だが今回は、それをしていなかった。
もちろん、調べようと思えばいくらでも調べられた。けれども、してはいけないような気がしたのだ。
兄に、似ている人と聞いたから。
詳しく知らない相手だからこそ期待に胸を膨らませて、衝動に押されるようにしてがままに訪れた
「あの、それで、わたくしごときが、差し出がましいのは承知の上ですが……!」
知っているようで、知らない人。興味と憧憬だけが募った人を相手にするのは、イチキ自身が予想していたよりずっと勇気が必要だった。
「受け取っていただけると嬉しいです、けど……」
言っていて、不意に心がしぼんでいった。
兄に似ている人と姉から聞いた時から、どんな殿方だろうと思いを募らせていた。ボルケーノが兄に似ているという人と行動を共にしたと聞いて、どんな方だったのかと話をせがんだ。家を知っていると教えてもらい、異性に対して積極的な友人のミュリナの話を聞いていたのもあって、つい手紙をしたためて尋ねて来てしまった。
誰かと、新しい縁を結んでみたかった。
それが、自分と姉の心を救ってくれた兄のような人ならば、大丈夫なのではないかと思った。
けれども。
自分が、なにを受け取ってもらえると思ったのだろうか。
「……」
絶望した先だったこの国で、奇跡のように兄妹の契りをかわせた出会いがあり、まるで普通の人のように素敵な友達ができたからと、何か思いあがっていたのではないか。
生まれ故郷の血縁に忌われ売り払われた自分が他者から必要とされる奇跡など、これ以上にあるはずがないのに。
すっと頭が冷えた。
思い上がった自分が恥ずかしかった。いま以上の何かを求めようとした自分の愚かしさが、心臓を鷲掴みにした。
手紙をしまい、無礼を詫びて立ち去ろうと思った時だった。
「まあ、アニキさんからっていうなら、とりあえず受け取っておくね」
「ぁ」
レンが、イチキの手紙をひょいと受け取った。
差し出していた手が、指先から暖かくなった。イチキは自分の気持ちがぱあっと晴れたのを感じた。
「これ、伝言かなにか? きれいだけど、なんで梅の枝なんてあるの?」
「いえ、どちらも併せて、わたくしの気持ちでございます!」
「はい?」
きょとんしたレンとは対照的に、イチキの表情は晴れた心のまま華やぐ。
空になった両手の指先を合わせて幸せそうに微笑んでから、イチキはちらりと上目遣いになる。
「その、贅沢を申し上げるようですけど、よろしければお返事いただけましたら……」
「返事……? え? アニキさんからの伝言じゃないの、これ。どういうこと?」
戸惑うような瞳でじっと見つめられ、目が合った。訪問の当初からガチガチだったイチキの意識では、初めて顔をしっかり見た。
ぽんっと、イチキの頭が茹だった。なにを言われたのかもわからなくなってしまうような熱を帯びた顔を、とっさに両袖で隠す。
「へ、返信用のものを、同封してあります。その、ご迷惑でしたら、焼き捨ててしまってよろしいので……!」
「いや、焼き捨てるって!? さすがにそんなことは失礼なことしないけど!」
「あ、ありがとうございます!」
自分の気持ちを受け取って、大切にしてくれるという答えは、イチキの胸を打った。
「そ、それでは失礼いたします! 夜気が冷える時期なので、お体、大切になさってくださいませっ」
「え、いあや、ちょ――」
一礼したイチキは無作法を承知で、ととと、と速足で立ち去る。なにやら呼び止められていた気もするが、いまのイチキはいっぱいいっぱいだった。
角を曲がったところで人払いの結界を構築。人目を避けてから、自分の胸に手を当てて一息つく。
「……ふう」
とくとくと心臓が小刻みな音を立てていた。
さっきのやりとりを思い出して、羞恥で頬が熱くなる。まともに受け答えすらできなかった。なんという失態だろう。絶対に、情けない小娘と思われたに違いない。
「わたくしも、まだまだ未熟者でございます……」
しょんぼりと肩を落としてから、今度はレンの姿を頭に浮かべる。
「あれがレン様、なのでございますね」
想像していたよりは、兄とは似ていなかったような気がする。考えてみれば当然で兄が死んだのは、十代の半ばにもならなかった頃だ。
まだ子供だった兄のイメージが先行しておて、たくましくなりつつある年頃の青年が出てきてびっくりしてしまったのが動揺の一翼を担っていた面もある。
レンと兄とでは上背が違う。自分との接し方も違う。なにより、声がまるで違う。重なるイメージのほうが少なくて、姉が何をもって兄と似ていると言ったのかは、まだわからない。
でも、それはそれとして、イチキは袖を口元に当てる。
「ふふふ」
なぜか、そんな差異など気にならなかった。
それは、もらった言葉が嬉しかったからかもしれない。自分をないがしろにする態度を、一切示されなかったからかもしれない。ほんのわずかの交流で、レンの誠実さが感じ取れたからかもしれない。
イチキがレンに渡した手紙に書いてあるものは、ありふれた内容だ。
兄に似ている人とやらと、手紙のやりとりで交流をしてみたかった。
それ以上を望むような大それたことはしていない。誓って、それだけだ。
もし返信があれば、また文をしたためよう。なかったら、寂しいが諦めよう。
「文通、できるとよいのですが……」
贅沢というにはあまりにもささやかな願いを抱いて、イチキは姉の待つ拠点の帰路へと就いた。






