ゆるしの全肯定・前編
レンにとって最悪に近いその日の始まりは、いつも通りの朝だった。
本日はダンジョンの探索は休みである。昨日と同じく朝食の物足りなさに首をかしげつつも、昼まで何をしようかと考えていた時だった。
奴隷少女ちゃんのところに行くか、訓練所で剣を振るか。そう考えていたところに、レンの部屋の扉が乱雑に叩かれた。
「はいはーい」
来訪の音に、レンは応答へ向かう。
特に誰かと約束をしているということはない。誰だろう、もしかしてミュリナかもとレンは深く考えることなく扉を開けた。
怖いお兄さんが待っていた。
「よお、てめえか」
腹の底から轟くような、低い胴間声がレンの肌を打つ。
「は? ……え?」
予想外というか、自分との関連性が全くないはずの人物の訪問にレンの頭が真っ白になる。
目の前の人物は、平均体型のレンよりも身長が低い。だが小柄さなど一切感じさせない威圧感に満ちている。
レンも一度見かけて知っている人だ。カーベルファミリーの武闘派中の武闘派とスキンヘッドの大男が紹介していたアニキさんである。どういうことだと戸惑っているレンの顔を、アニキさんは見定めるようにじろじろと観察した。
「はっ、普通の面してやがんな。で、お前があいつのお客のレン、で間違いねえな」
「お、俺はレンですけど……あいつって誰でしょうか。て、ていうか、なんで俺のとこに……?」
「あ゛? 決まってんだろうが」
迫力のある声に、するどい眼光。レンの身がすくむ。
「お前の言うところの、世界で一番かわいい女の子のことだよ」
奴隷少女ちゃん=マフィアとのつながり=昨日、調子に乗った自分。
レンの頭の中で連鎖的にすべてがつながった。
まずい。地雷を踏んだ。自分の置かれた状況の危うさを自覚する。
「ちょっくら邪魔すんぞ」
「あ、はい」
今日が命日かも。
断れるはずもない強制力を持った言葉と共に、アニキさんが部屋に入ってくる。レンは冷や汗を流すとともに己の運命を悟った。
テーブルの前にどっかりと座るアニキさん。とりあえずは、まっさきに暴力沙汰になることもなさそうだ。お茶を用意して、レンは対面に座る。
「あの、アニキさん……」
「あ? アニキさんって、俺のことか」
「そ、そうです。俺はレンっていいます」
「知ってるよ。それで、てめぇは……」
ぶっきらぼうな返事をしつつアニキさんが話を切り出しかけた瞬間、また扉が叩かれた。
「あ? 誰だ? なんか用事でもあったのかよ」
「さあ……?」
もちろん、約束は特にない。
アニキさんが応対にでるよう視線で示す。今日はなんなのだろうかと首を傾げつつもドアを開けると、金髪の穏やかな目元をした男がいた。
「やあ、レン君!」
「勇者様?」
自分人脈を使ってレンの家を聞き出した勇者のご登場である。
なんの用だろうと訪問を怪訝に思いつつも、この状況の助けになってくれるかもと顔を明るくするレンの背後。部屋の中で、アニキさんが「げっ」と顔をしかめた。
「いや、実はちょっとミュリナとのことでレン君にはいろいろと聞きたいことが――ん?」
台詞の途中でにこやかな表情の勇者が、レンの部屋の中にいるアニキさんに視線を止めた。彼の目が、ゆっくりと開かれる。
「ボルケーノ……? ボルケーノじゃないか! なんでここにいるんだい!」
名前を呼ばれたアニキさんが、さっと顔を逸らした。
「や、人違いだろ。あんたはどこのどなたで? 俺みたいな一般市民とは関わりない偉い人間だろ」
「人違いなもんかっ。僕が君を見間違えるはずがないだろう? 久しぶりだね!」
「くそがぁ……!」
喜ぶ勇者とは対照的に、アニキさんは苦々しい顔をする。
レンは勇者とアニキさんの顔を見比べる。意外な人物同士の知り合いだ。
「へ? 勇者様、このアニキさんと知り合いなんですか?」
「アニキさん? あははっ、面白いあだ名だね。ボルケーノは、革命の時の仲間の一人だよ」
「ええ!?」
レンは驚愕して目を瞬かせる。レンも勇者の活躍には目を輝かせていたから彼の仲間は一通り知っているが、ボルケーノというのは聞いたこともない名前である。
当のアニキさんは、がしがしと頭をかいていた。
アニキさんは反社会組織の一員だ。勇者の仲間としてふさわしいとも思えない。それなのに、なぜ。
その疑問を読み取ったのだろう。アニキさんは深々とため息を吐く。
「そんな不思議そうな面すんな。革命なんて、そもそもが反社会的な活動だろうが」
「あ、確かに」
言われてみれば、その通りだ。目から鱗だと、レンはぽんと手を打って納得する。
革命の活動が始まった当初。特に、イーズ・アンが仲間となって教会の後ろ盾が得られるまでは、聖剣を抜いたからと言って、勇者の活動が世間的に認められていたわけではないのだ。
革命とは、つまりその時の政権への反逆だ。当時の官軍は皇国側であり、勇者は賊軍だった。勇者が人々に望まれていようが、公の相手が敵である以上、裏側の協力を得られなければ活動はままならなかったのである。
「拠点の確保やら情報収集やらは、もっぱらボルケーノの役目だったんだよ。それにしても懐かしいね。君のことは、この都市にきてからずっと探してたんだよ」
「うるせえ、クソが。お前、この小僧とどういう知り合いだよ。俺の調べじゃ、本当に普通のガキのはずなんだぞ。なんでお前が来るんだよ」
「妹がレン君と仲が良くてね。それと、君のところの子とも繋がりもあってレン君とは知り合えたんだよ」
「ああん? うちの奴らはともかく、お前の妹だ? しかも仲がいいだと? ……ちっ。どういうことだ。もう女がいんのか、このガキ」
「うちの妹の不名誉になるようなことを迂闊に口にしないでくれるかな? 少なくとも、まだ付き合ってはいないはずだよ。それより、君こそレン君とどういう知り合いなんだい?」
「お前も少し前にちょろちょろ嗅ぎまわっていただろうーが。あいつとのことで、ちょっと見ておきたくてな」
「んん? あの子と? ……それは、どういうことかな?」
二人の男が瞳に凶暴な光を宿す。そして同時にレンへと向いた。
そんな来客者二人の様子に、レンの冷や汗の量は増えるばかりだ。二人して、レンよりも格上の人物である。しかも何の話をしているのか、いまいち見えてこない。
「このガキ、とぼけた面して普通じゃねーのか? こっちのやべー勇者様みたいによ」
「失礼だね、ボルケーノ。やばい奴っていうのは、僕じゃなくて――」
「少年」
「――この子みたいなことを言うんだよ」
無機質な声の主の登場に、勇者の顔が引きつった。
扉を開けた気配もなかったというのに、いつの間にか小柄な女性がレンの傍に立っていた。
シスター服に、本の詰まった荷物を担いだ修道女、イーズ・アンだ。予想外の人物の予兆のない登場に、レンは目を剥きアニキさんも息を飲む。
「おいおい、なんでこいつまで来るんだよ……」
「や、やあ、イーズ・アン。神殿から出てるなんて珍しいね。しかも、どうしてレン君の家に……?」
「はて。汝は何者か」
「僕は君に何回自己紹介をすればいいのかな」
覚えのあるやり取りが繰り返される中、レンの頭はすでに処理能力を越えていた。
歴史に残るだろう革命の時の主要メンバー、勇者の仲間が三人もいるのである。あまりの豪勢さに目が回りそうだった。というか、純粋に狭い。四人もいると、レンのワンルームだと狭すぎて歓待できる人数ではない。
イーズ・アンは勇者にそれ以上の頓着を示すことなく、自分の部屋は一体どうなってるんだと顔を青ざめさせるレンへと向き直る。
「少年」
「は、はい!」
静かな、しかし異様な迫力のある声にレンは背筋を伸ばして返答する。
「告解がすみ現世での禊も経た汝の罪、神にゆるしを捧げる行いを告げに来た」
罪云々でイーズ・アンを直々に自宅に召還したレンへと、勇者とアニキさんはなにをしたんだこいつみたいな視線を注ぐ。
その件に関しては奴隷少女ちゃんとミュリナ、両方に関わっている。まさかここで自分のやったことを事細かく言う勇気はレンも持ち合わせていなかった。
しかし、ある意味ではこの二人から逃げ出す絶好の機会である。
「い、イーズ・アン様。儀式っていうのは、何をすればいいんでしょうか!」
「ダンジョンの最下層にて、巡礼を成し霊域の恩恵を得ろ」
「そっか。頑張ってくれ、レン君。じゃあね。僕はもう帰るよ」
「勇者様!?」
まっさきに勇者がレンへと別れを告げた。
ダンジョンの最下層。そこは地獄である。比喩でも何でもなく人の業の顕現による形成された煉獄だ。勇者をして、笑顔でレンを見捨てるレベルである。
「して、先ほどから同席する汝は何者か。なぜこの場にいる」
「偶然だよ。僕は、君にとって知らない人だろう?」
「この人は見届け人です! 俺の巡礼について来てくれる優しい人です!」
「ふむ、汝は見届け人か。それもまたよし」
「待って、ちょっと待ってくれ」
レンの巻き込み発言に、終始にこやかだった勇者が真顔になった。
「なんで僕がそういうことになるのかな。レン君?」
「み、見捨てないでくださいって! ダンジョンの最下層なんて、俺一人で行けるわけないじゃないですか! すぐ死んじゃいますって!」
「大丈夫だって! イーズ・アンがいるなら僕なんて不要だよ!」
「なんとなくわかるんですけど、たぶんあの人、僕を守る気とかゼロですよね!? 連れていくだけ連れまわして、途中で死んだら死んだで特に気にしなさそうなんですけど!」
「その通りだろうね!」
つまり連れ回されたら最後、死ぬことが分かりきった場所である。
一方的に見届け人認定された勇者も逃れられないと諦めて、巻き添えを増やすことにした。
「わかったよ、確かにレン君を見捨てるのは後味が悪いし、ミュリナも悲しむ。けど待ってくれ、イーズ・アン。あそこのボルケーノも、レン君の巡礼に付き合ってくれるいいやつなんだ」
「ほう。しからば、待て」
そろーっと気配を遮断して立ち去ろうとしていたアニキさんが、ぴたりと足を止める。
正確に言うと、彼の前には光壁が形成されていた。出入り口に張られ、微動だにしない信仰の壁が彼の逃走を防いでいる。
「ボルケーノ、ボルケーノ……。なるほど、汝には、覚えがある」
「いや、気のせいじゃねっすかね、へへ。俺っちはイーズ・アン様に記憶されるような人間じゃ――」
「否」
聖女を前にして完全にただのチンピラみたいな態度になったアニキさんへ、イーズ・アンは泥の瞳を向ける。
「そう、あれは神が如き振る舞いを模した愚かな皇帝打倒の時分。洗礼なき身にあって神の恩寵を受け取ったがごとし名を持つ不遜、忘れがたし。汝も回心を知るために、煉獄へと向かうがよい」
「マジかよ……」
アニキさんがいろいろと絶望したように空を見上げる。
革命時からそうだったのだが、親からつけられた名前のせいで目を付けられるなど不幸というほかなかった。
「しからば、この三名で務めを通し、汝にゆるしと平和が訪れることを祈る。いざ行かん、人の感情の果てに」
話は決まったと、いっさい意志疎通を果たさないままイーズ・アンが先導して神殿へと向かう。
彼女から逃れられると思っている人間は皆無だった。
「あいつらに関わりあるのが、どんな野郎か見に来ただけだったんだけどなぁ……」
「僕もミュリナのことを聞きに来ただけだったんだけどね……」
「俺なんて、特に何もしてないんですけど……」
各々が、身に降りかかった不幸を嘆いていた。






