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修道女の説教・後編


 頭をわしゃわしゃしすぎたせいか、レンは拗ねて先に帰ってしまった。


「レン君も男の子だなぁ」


 年下の男の子を十分にいじくりまわして満足したシスターさんは、機嫌よく呟きながらパンケーキにぱくつく。料金は払ってあるし残りは半分ほどあるから、ゆっくり味わって食べるつもりだった。

 奴隷少女ちゃんのことが好きなんだと言った時の精悍な顔。あれで自信と実績が付いたらレンも『男』になるのだろう。

 しかし、奴隷少女ちゃんのことを改めて考えてみると、不思議なことは多いのだ。商売をしている場所も、格好も、内容も。そしてなにより、初めて出会った時の彼女の言動は、いまをもっても謎だ。


「どうしてあの子は――」

「ファーン」

「――うわぁぉ!?」


 聞きなれた無機質な声に、肩が跳ねた。

 いつの間に近寄っていたのか。常連シスターさんの真横に無表情の先輩が立っていた。


「せ、先輩? どうしたんですか?」

「羊皮紙の買だしの帰りに見かけた」

「はあ、なるほど……」


 言われてみれば、いつもは聖典を詰め込んでいる背中には大量の丸めた羊皮紙を背負っている。レンにあげた分の写本を作り直すための羊皮紙だろう。教会にもストックはあるが、何かこだわりがあるのかもしれない。


「して、ファーンはなにをしている」

「ただの仕事終わりのティータイムですけど……先輩も食べます?」


 一口どうぞ、と差し出す。

 無表情の先輩の鉄面皮は、ぴくりとも揺るがなかった。


「奢侈は感心しない」

「む、そうきますか」


 たまの贅沢くらいはいいと思うのだが、なるほど。清貧はあらゆる信徒の規範である。砂糖がさほどの高級品ではなくなった昨今でも、教会において甘味などもっての他という風潮は根強い。

 確かにパンケーキを頬張り紅茶を嗜んでいる現状は清貧とは程遠い。

 どう説得したものか。常連シスターさんは、頭に叩き込んだ教典を探る。


「先輩。神は人を泥よりこねて創り賜いました」

「しかり」


 聖書の序盤、創世の一節である。

 教会の教えでは、この世は一塊の泥であり、神が捏ねることにより万物が生まれた。砂が神の涙により濡らされることで泥となって固まり、涙の余剰が海となった。

 創世の基本は当然、目の前の先輩も承知している。


「我らは大地の御子であり、世界は神の御手により象られた。本来、信仰と祈り、わずかな湿り気さえあれば、神より賜りし身が朽ちることはない」

「なるほど、一理あります」


 常連シスターさんは先輩の真似をして頷く。

 さすがにわずかな湿り気だけじゃ三日で死ぬと思うが、それは口には出さない。なんか目の前の人なら本気で生きていけそうな気がするからだ。


「しかしながら先輩。これもまた、大地の産物です!」


 だからこそ、常連シスターさんは屁理屈を堂々と主張する。


「砂糖も、小麦も、蜂蜜も、大地より実った恩恵です。つまり我らが組成と元は同じ! ならば神の恩寵を賜り食すことの何が奢侈でしょうか!」


 わざとらしく大仰に言って、にっこりと笑う。


「どうぞ、先輩。おいしいですよ」

「…………」


 イーズ・アンは差し出されたパンケーキを、じいっと見つめる。

 そうして、数秒。ちょっと屁理屈過ぎたかなと常連シスターさんが笑顔のまま冷や汗をたらりと流した時だった。


「……一理ある」


 そっと口を開いて、フォークにぱくつく。

 まるで子供のような、あるいは数年ぶりに食べ物を噛むような、不器用な咀嚼。味わうというよりは、戸惑うようにぎこちなく食み、ごくりと飲み込む。

 そして一言。


「甘い」

「パンケーキですから」

「しかし、そうか。これなるが大地の恵みというのならば、甘味が福音たるのも必然」

「……気に入ったんですか?」

「否」


 表情こそ一切変わらないが、なんとなく言動が喜んでいる感じもする。おいしかったのかなと問いかけて見れば、否定が返ってきた。


「久しく忘れていた。空腹は鏨であるが、食は福音であった。喜びもまた、神への祈りである」

「先輩?」

「感謝する、ファーン」

「はあ、そうですか」


 やっぱり気に入ったのかなと思って、とりあえず、もう一切れ。一口サイズを切り分けてフォークで差し出すと、もぐもぐと食べてくれる。

 いつもは何を考えているかわからない人だが、餌付けをしているような感覚で、なんとなく楽しい。


「こういうおいしいものが食べられるのはいいですよね、やっぱり」

「ファーン。効率主義は愚かである」


 食事の話が効率主義の話になった。

 なんでこの人とは雑談で普通の共感が得られないんだろうと内心で嘆きつつ、会話に付き合う。


「どういうことですか? 人間社会はなんだかんだ、効率重視だと思いますけど」

「効率とは即ち、他者への依存と自らの減少だ。社会という枠組み自体が、怠惰を生む。人が己の行いを他者に代行させんがために、人は通貨経済を構築した。活動を自らの体ではなく金銭で代行させることは、すなわち堕落の証。果てには信仰すらも金銭で免除されると考える」

「まあ、発禁にされた免罪符とかはそういうところから生まれましたよね。となると、つまりは自給自足しろってことですか?」

「否。本来の人は足りえぬものなどなく、ゆえに給する必要がない。生れながらの人間は、自らの他に祈りと信仰のみがあればよかった。今の人類が原初たりえないのは、原罪を抱えるがためである」

「はあ、原罪ですか」


 いつも通り、わかるようでわからないことを言ってくる。

 特に原罪論は教会内でも派閥が分かれているところで、下手に突っ込めない。自給自足も否定されるとなると、人間に植物になれと言っているんだろうかと先輩の言葉に首を傾げつつ、ふと問いかけが浮かんだ。


「……先輩」


 毎回教義に繋がる論法も、いつもならさらっと流せる。だが、さっきレンと話して昔をちょっと思い出したからだろう。鉄面皮で信仰を語る先輩へ、思わずぽろりと本音が出てくる。


「私は、信仰でシスターになったわけではありません」


 革命が起こるまでの、最後の皇帝の時代。ある意味、あの改革は効率主義の極みであり、だからこそ予定外の出来事すべてに対応できなかった。

 ひどい時代だった。

 あの時代を生き残った国民で、あの十年で親しい知り合いが死んでいない人間は、社会階層の上澄みにいた人々ぐらいだったというくらいには、ひどい時代だ。

 そして常連シスターさんの知り合いは、家族を含めて誰一人として欠けていなかった。

 あの十年があるからこそ、彼女は聖職者を目指したのだ。


「私は自分の心のために、神職を得ました。それは罪でしょうか」

「否。それもまた、信仰である」


 不信心を聞かされ、しかし狂信者と名高いこの人はいささかも揺るがない。


「さしたる思いを神に捧げていないのに、ですか」

「ファーン。神の可否など論ずるに値しない」

「そうですか……」


 まあ、この先輩は絶対にいると信じて疑っていないだろう。ならばどんな人の意思も神の御心によるものだとでも言うのかと思っていた。

 だから続いた言葉は、信じがたい響くを持って彼女の耳に届いた。


「この世に神はいない」


 常連シスターさんの手からポトリとフォークが落ちる。お皿に当たって、がしゃんと無作法な音を立てた。

 神の不在を言葉にしたのは、世界一意外な人物だった。思わずまじまじと無表情の先輩の顔を見る。


「この地に煉獄は数多あるが楽園はない。地上に残されたのは、愚かな我ら人の子のみである」


 感情のうかがえぬ彼女の瞳を、ずっとガラス玉とよく似ていると思っていた。透き通るほどの信仰で透徹しているのだと思っていた。

 違った。

 彼女の瞳は泥に似ているのだ。丸く固め、磨きぬいた光の一切が介入しない泥の瞳こそが、この人の無表情の真だった。

 聖人となるにたる奇跡を得る際に、何を見て彼女の瞳は光も闇も受け入れぬ色になったのか。


「天上にある神は人を救わない。地上において、神の不在を知ってから真の信仰は始まる。利害、必要性、生理的欲求、選考、多数決。人は救いを求め、善悪を分ける道徳原理を確固たるものとすべく説き続けた。しかしファーン。人は、絶対的に愚かだ」


 イーズ・アン。

 『皇国最悪の十年』によって生まれた聖人は、疑うことから始まった決して揺るがぬ己の信仰を語る。


「肉袋に過ぎぬ人の愚かさゆえに、原典は至言絶対であると知れ」


 少しだけ、無表情の先輩の心が見えた。

 彼女は、どのような人間の意思にも価値を感じていないのだ。人が人を律せると決して信じられないから、不在と知る神の絶対を求めた。


「神なき人の世にあって、祈りと信仰のみが人の愚かさを払拭する正義足り得る。ゆえに、祈りに距離はなく、信仰を阻む壁はない。必要なのは克己による回帰であり、進歩は滅びの道でしかない。人は決して、神になれぬのだ」

「そう、ですか」


 思っていた以上に、この人の信仰の奥は深いのだ。


「して、ファーン」


 そろそろパンケーキもなくなるタイミング。やはり唐突に話が切り替わる。


「先ほどの少年とは、なにを話していたのか」

「ああ、見てたんですね」


 意外と前から見られていたんだと思いつつ、隠すような事でもないので素直に告げる。


「先輩にも相談してたじゃないですか。あの子が相談してきたあれ、本人の許しを得たんですよ」

「ふむ。現世での禊を済ませたのか」


 この先輩にはレンが全否定された後に落ち込んでいるところで相談にのってもらっていた。教典を与えたのもその時だ。

 あまり他人との交流を記憶する人ではないのだが、珍しく覚えていたようで、納得したように頷く。


「ならば、次なるは神の許しを得る試練に挑むべきか。ファーン。後日、教会に連れてくるといい」

「……あ、あはははー。そ、そうですね。今度は機会があった時にでも――」

「いや、あるいは見かければ連れていく。あの少年には、克己が足らない」


 ごまかそうとしたが、すでに決定事項のようだった。

 あちゃあと息を吐く。ロクなことにはならない予感はする。だが常連シスターさんでは、信仰に基づく先輩の行動を止められる気はしなかった。


「あの……レン君、いい子なのでほどほどにしてあげてくださいね?」

「無論、適切を講じる」


 適切とは、なんだろうか。常連シスターさんの顔がちょっと引きつる。

 ごめん、力になれそうもない、頑張れ。

 常連シスターさんは、心の中でレンに謝りつつも応援した。


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