ヒモ野郎は全否定・前編
目次下のヒロインレースは女魔術師の猛追により、奴隷少女ちゃんの獲得票が五割を切っております。そして意外なほど健闘している常連のシスターさん……!
本日、レンが自分で昼ご飯を作って食べて思ったことは一つ。
「うまかったなぁ、あの朝ごはん」
女魔術師が作ってくれた朝ごはんのクオリティの高さである。
とろとろのシチューに味が染み込み旨味を閉じこめた牛肉。女魔術師があんなに料理が上手いとは知らなかった。
レンでは、何をどうすればあの味に至るのかもわからない。牛肉をフライパンで煮込んでみたらなんかよくわからない、食べれはするけどまるでおいしくはないものが出来上がった。
「先輩、魔法だけじゃなく家事スキルも高いとは」
まったく敵わないとはこのことである。
自分で作った名前を付ける価値もないよくわからない料理を食べながら、レンは朝の食事を思い返す。
初めて食べるくらいおいしかった朝食。彼女はあのエプロン姿で朝食を作っていたのだろうか。いつもの冒険者スタイルの上につけたエプロン姿。それに着替えるには、この部屋で昨夜の薄手の寝間着姿を脱いで――
「――ええいっ」
ぶんぶんと頭を振って邪念を追いだす。
見てもいないことをなに妄想しているのか。こんなことを考えるのは、女魔術師に対して失礼だろうと振り払う。
第一、自分は奴隷少女ちゃんが好きなのだ。女魔術師のそんなことを考えるとか、ダメだ。
しかし暇である。
昼ご飯を完食して洗い物を終えたレンは時間を持て余す。
昼間までの時間を使って装備の手入れも終わってしまった。このまま部屋に一人でいたらまた変な想像をしてしまいそうである。
煩悩発散のためにも、訓練所に行くか。それもいいが、あそこはダンジョンの出入り口である神殿と隣合わせだ。女魔術師と顔を合せることになるかもしれない。
「それはちょっと、まずいかな」
打ち合わせもなしにばったり顔を合わせたら、ポロッとおかしなことを言ってしまうかもしれない。それを他のパーティーメンバーに怪しまれたら最悪だ。女魔術師も、家出の先がレンの家だなんてことは周囲にばれたくないだろう。
ならば、行く場所は一つだ。
なにせ昨日までとは懐事情が違う。いまは、お金も余裕ができたのだ
「奴隷少女ちゃんのところ、行くかぁ!」
ちなみにできた余裕とはすなわち、女魔術師から受け取ったお金である。
公園広場に行くと奴隷少女ちゃんはいつもと同じように立っていた。
使い古しの貫頭衣を身にまとい、首には鎖付きの革のベルトを巻いている。珍妙な格好だが、レンはそれが自然だと感じられるほどに馴染んでいた。
勇者の件があったので何か変化があったのではと思ったが、そんなことはないらしい。
レンを見ると、プラカードで口元を隠した奴隷少女ちゃんは、にこっと微笑む。
ほっと、安堵に心がほぐれた。
「今日もよろしくお願いします!」
レンはいつものようにお金を渡す。
くどいようだが、特に何もしていないレンが女魔術師からもらったお金である。
もちろん奴隷少女ちゃんはレンのお金の出所なんて知りようがない。レンが差し出した千リンを普通に受け取った彼女は、そっとプラカードを口元からどかす。
「よろしくお願いされたの!!! 言いたいことをいっぱい叫ぶといいのよ!!!! えへっ!」
いつものようなあざとい笑顔。公園広場いっぱいに響き渡るようなハスキーボイス。
女魔術師と一緒にいるような息の詰まるような、無性にのどをかきむしりたくなるような、そんな感覚はない。安心と安全の魅力を全方位へと放つ奴隷少女ちゃんだ。
「実はさ、昨日いきなり俺んちに職場の先輩が転がりこんできたんだよ……」
「それは大変なの!!!!!!」
さも深刻だという口ぶりのレンに、奴隷少女ちゃんは大きく全肯定をしてくれる。
「いきなり他人の家に訪問するとは困った人なの!!! 訪問されるほうにだって準備というものが必要なことをわかってないの!!!!」
「そうなんだよ!」
奴隷少女ちゃんが賛同してくれたのに押され、するりと心を解放させたレンは言いたいことを吐き出す。
「昨夜、本当にいきなり来たんだよ、その人。家出をしたいから泊めてくれってさ。しかも一か月以上。相手が目上だから断りにくいしさぁ! ちょっと非常識な頼みだよな!」
「そうなの!!!!! 上下関係を盾にプライベートに入ってくるとは、困ったものなの!!!!! 親しき仲にも礼儀あり!!!! そもそも職場とプライベートの関係は分けて考えて欲しいの!!!」
「だよな! しかもその先輩、俺と同世代の女の子なんだよっ。それでその申し出って、普通ありえないよなぁ!?」
「まったくもってその通りな――女の子、なの!!!?!!??」
大変珍しいことに、奴隷少女ちゃんの声が裏返った。
それくらいありえないことなんだと自己解釈したレンは、大きく頷く。
「そうなんだよ! しかも俺のとこ、ワンルームなんだ。そこに長期で泊まるとかさ、もう、なんていうか、おかしいよなそれ! 正直、なんで泊まりに来たんだって感じだよ!」
「そ、そうなの!!!!! 年頃の女の子が男の一人暮らしに転がりこむのは感心しないの!!!! 付き合っているとは言っても、よろしくないと思うのよ!!! ちゃんと将来のことも考えて――」
「え、いや、別に付き合ってはないけど?」
「――そうなの!!!?!!??!」
よりにもよって奴隷少女ちゃんに変な勘違いはされたくないので、そこはきっぱりと断言する。
二度目に裏返った声に、レンはうんうんと頷く。そうだ。奴隷少女ちゃんが仰天するくらいありえないことなのだ。
「そりゃ、転がりこんだっていってもさ。先輩はちゃんとお金を払ってくれるし、食事も作ってくれたよ?」
「そ、そうなの!!! それは、えっと――よかったのね!!!!!」
「そうなんだよ。造ってくれたご飯はメッチャおいしかったし、しかも泊まっている間は家賃を全額も払ってくれるっていうし、生活費も自分が出すってさ。いたれりつくせりな感じはあるよな」
「……そ、そう、なの」
「俺、今月やばくてお金がなかったから助かるっちゃ助かるんだ。正直、お金につられて泊めたっていうのもデカいんだ」
「………………へー」
「あはは。実はここに来るのも、先輩のお金がなかったら無理だ――」
ぺし、と何かが頭にあたった。
正面にいる奴隷少女ちゃんが何かを投げたのだ。きょとん、としてレンは額に張りついたそれを手にとる。
レンが渡した千リン紙幣だった。
奴隷少女が、さっきレンから受け取ったはずの千リンを笑顔のままで投げつけたのだ。
「へ?」
レンは、ぽかんと呆ける。
レンに対する奴隷少女ちゃんの全肯定は止まっていた。
まだ十分には早すぎる。しかもこの雑な返金。いったいなんでだ、と疑念を抱いたのもつかの間。
くるりと奴隷少女ちゃんのプラカードが裏返る。
『全否定奴隷少女:回数時間・無制限・無料』
自分に向けられた表記に、ぎくりとする。
プラカードだけではなく、奴隷少女ちゃんの表情の表と裏が入れ替わる。レンを見る奴隷少女ちゃんの顔は嫌悪感でいっぱいになっていた。より正確にいうなら、この世に生まれ落ちた信じがたいゴミを見る目だった。
これから放たれる奴隷少女ちゃんの全否定モードを知っているレンは、じりりと後ずさり。
「な、なんで……」
「へえ!!!??!!? いま『なんで』って言ったの!!!!! そんな言葉が出るほど自覚がないとはびっくり仰天レンの助なの!!!!!」
ドスの効いたハスキーボイスが広場の空気を震わせた。
「聞かれたからには親切にも説明してあげるの!!!!! あなたの根性が腐ってるから否定してあげるのよ!!!!! 自分の言ったことと自分のやったことを思い返してみるといいの!!!!!!!!」
「え、え、え……?」
「女の子に頼られて同意して!!!!! 女の子からもらったお金で貧窮を抜け出した生活をして!!! 女の子の手料理を食べさせてもらって!!!!!!! その女の子について文句を言うとか救いようがないの!!!! しかもその女の子からもらったお金でここに来たの!!!??!? そんな自分の存在に疑問を覚えないなんて、あなたとっても根性あるのね!!!! ここで全肯定してもらう必要があるとは思えないの!!!!!!」
改めて他人から、しかも奴隷少女ちゃんから言われた客観的な自分の状況。
己の立場を自覚したレンは愕然とし、よろりとたたらを踏む。
「ち、違う……! 違うんだ!」
「違う!!??!!? なにが違うの!!!! なにが違うのか言い訳すら聞きたくないの!!!!!」
なにも違わなかった。
レンの言い訳など吹き飛ばす勢いで、真正面から罵声がたたきつけられる。
「よくもヒモ野郎経由のお金なんか渡してくれたのね!!!!! そんな汚れたお金なんて触りたくもないのよ!!!!! 他人に寄生するしか能がないヤドカリにも劣る生物がいったいなにしにここに来たの!!!?!!!?!」
「ヤドカリ、以下……!?」
「あ!!?!!? いまの表現は厳しい大自然の中で頑張って自分で我が家を見つけているヤドカリさんにあんまりにも失礼だったの!!!!! ヤドカリさんにごめんなさいって謝るのよ!!!!! ほら、ごめんなさいって!!!!!! ほら早く謝るの!!!!! 大きな声で、ヤドカリさん以下でごめんなさいって叫ぶの!!!!!!」
「う、うぅ」
びっくりするくらい反論の余地がない正論に、レンは涙目になる。
もちろん、全否定モードの奴隷少女ちゃんに容赦はない。
「なにも言えないの!!?!? へえっ!!?!!?! 意気地なしで反省もできないクソヒモ野郎になんか用はないから、とっととこの世から消え失せてほしいの!!!!! ぺっ!」
完全に論破され、勢いにも負けたレンはごしごしと腕で涙をぬぐう。涙が、止まらなかった。こんな情けない自分を、奴隷少女ちゃんにはこれ以上さらしたくなかった。
レンはくるりと奴隷少女ちゃんに背中を向けた。
「俺はヤドカリさんにも劣るクソヒモ野郎でしたー! ヤドカリさん、ごめんなさいぃ! 出直してきますぅうう!」
この世のすべてのヤドカリに謝って走り去っていくレンに、奴隷少女はあっかんっべーと舌を出した。
その日、常連のシスターさんはいつものように仕事をしていた。
神殿の治療院の中でも一般外来とは違い冒険者を治療する、スピードと経験が必要とされる部署。急を要する患者が運び込まれることも多く、最も忙しい上に顧客の柄が悪いというシスターの中でもぶっちぎりで不人気の部署である。
そこで働く常連のシスターさんは流れるような作業で人のケガを癒し、たまにいる態度や手癖が悪い客には『ちっ、このゴミどもが』と心の中で舌打ちをしつつも笑顔であしらう。仕事というのはそういうもので、今日も帰りは奴隷少女ちゃんのところに寄ろうと思っていた。
ふらりと神殿に訪れたレンを見かけたのは、そんな仕事の合間の休憩に入ろうとした時だ。
彼はようやく新人の域を抜け出しつつはあるが、一人でダンジョンに向かうことなどない。一人でここにくるのは珍しいなと目についた。
「うわぁ」
そして思わず変な声が出た。
何というか、顔色がやばい。血の気が引いた土気色だ。背中に負ぶさった暗黒オーラも相まって、今日からゾンビになりましたとレンが自己紹介したら納得できるくらいにはやばい。
「れ、レン君……?」
「え? ああ、はい」
呼び止めると、立ち止った。
どうやらレンの死体がうごいているわけではなく、ちゃんと生きてはいるみたいだなと確認して、ほっと一息。常連シスターさんは慎重に問う。
「どうしたの? なんていうか、顔色がまずいことになってるんだけど」
「あはは、たいしたことじゃ、ないですよ」
レンが、へらっと笑った。
清々しいが、いまにも溶けて消えそうな笑顔だ。
「ちょっとこの世から、消えうせにきました」
「よし落ち着こうかレン君。――すいません。ちょっと精神的な急患がいるんで休憩室を借りますー!」
あからさまに精神状態やばい子を落ち着かせるために、さっくりと使用許可をとった常連シスターさんはレンを休憩室に引っ張り込んだ。






